記憶を呼び覚ますアイスクリームはその殺人者が不能犯では無いと言っていた
階段を上がりきった所で、私の出で立ちが田神の母である孝子の印象を悪くする行為だと気付いたが、天の助けかリビングにもダイニングにも孝子の姿は見えず、田神だけがリビングのソファに足を投げ出してビールをちびちびと飲んでいた。
厳つい顔と暗い目をしてビールを飲む様は、背中をソファに沈めて足を投げ出していても、彼がリラックスしているようには決して見えない。
すべてを背負った受難者にも見えるほどなのだ。
彼は一体何を背負い、何を苦しんでいるのであろうか。
「今日はお疲れ様。」
私の声に田神は私に振り向き、だが、その後に彼が漫画みたいにビールを噴出すとは思わなかった。
「きたなーい。風呂上りのあたしにかかったらどうするのよ。」
「いや、あの。ごめんなさい。」
「え?」
「イヤ。悪かった。俺に風呂が空いたとわざわざ教えに来てくれたんだよね。ありがとう。驚いてごめん。まるでエンジェ。」
「え?」
「いやいや、ビ、ビイちゃん。君をビィって呼んでいいよね。ビィはそのまま寝ていていいから。あ、喉が渇いているのかな。えっと、冷蔵庫のものは、気兼ねしないで何でも勝手に飲んだり食べたりしていいから。俺は風呂に入るから!」
今日一日一緒に出歩いておきながら、ものすごい早口で初対面の相手に対するような喋り方をした男は、一分一秒でも早く私から離れるべきだという風に、物凄いスピードで階上の自分の部屋に走ると、再び凄い勢いで階下に降りていった。
「あたしのみっともない姿に、あそこまで混乱しなくてもいいのに。」
私は首を振りながら、田神が勧めたように何かを飲もうと冷蔵庫に向かった。
「みっともないの?まぁ、あの晩熟には、その姿はちょっと扇情的だわね。」
孝子の声に彼女に振り向くと、三階から階段を下りてきただろう彼女は、先程私にかけた落ち着いた声とは裏腹に、田神の母であったと確信できるぐらい私の姿に目を丸くして田神そっくりの驚いた顔を作った。
口元などは埴輪みたいにOの形だ。
「化粧を落すとチビで不細工でしょう。子供っぽすぎて驚きました?」
「て、」
「はい?」
「天使ちゃん。妖精ちゃんだわ。可愛い、凄く可愛い。」
「はい?」
「欲しい。」
「はい?」
そこでようやく孝子は自分を取り戻したのか、一、二度咳払いをした。
「あぁ、ごめんなさい。それで、あなたはどうしてわざと変な姿にしているの?そのままの姿の方が凄く可愛いじゃないのって、またもやごめんなさい。人様の趣味に口出しするなんて、年をとった証拠ね。本当にごめんなさい。ジュースは飲む?お紅茶がいいかしら。あ、さっき飲んだばかりね。じゃあ、アイスクリームはいかが?あ、紅茶かコーヒーを付けた方が良いわね。」
物凄い早口で次々と混乱した言葉を吐き出すのは田神と一緒で、どうやら田神家は私の素の姿が事の他ツボだったらしい。
蓼食う虫も好き好きという所か。
「ありがとうございます。アイスクリームはいいですね。」
「私の手作りだから、あなたのお口に合うかわからないけれど。」
「手作りのアイスクリームなんて最高です。」
確かに最高だった。
卵色のバニラアイスにはバニラビーンズがつぶつぶと散っており、一口ごとに濃厚な素材の味が口腔内でじゅわっと拡がり、冷たくて甘いそれが、私の奥底まで刺激するのだ。
「どうしたの?おいしくない?」
「いえ。おいしいです。凄く凄くおいしくて、幼い頃の事を思い出すほどです。」
「それじゃあどうして泣いているの?」
孝子は卓上のティッシュを何枚か引き出すと私の目元に当て、私はそのティッシュを両手で押さえて顔を上にむけた。
手作りのアイスクリームは、私の間違いまでも記憶から引きずり出したのである。
過去の夏の日にママが私に作ったアイスには、農薬が入っていた。
珍しくまずいアイスには、私を殺すための毒がしこんであったのだ。




