母と息子
「どうして俺の家なんだよ。」
ダイニングテーブルを挟んで私の向かいに座る男は、自宅だからと砕けすぎるくらい砕けた様子で椅子に座って再び文句の声をあげた。
高部は加藤の家に私を送るように言わず、私を自宅に連れて行けと新人田神に命じたのである。
昨日に牧と買った着替えの大袋の品は、加藤の家を出た時から田神の乗る社用車の後部トランクに入れてある。
なんとなく加藤家に汚れ物の下着なども置いてきたくなかった、というだけの話であるが、今日に関しては備えあれば何とかのように思えている。
「高部室長に言えばいいじゃない。嫌なら高部の言うとおりに嫌がるあたしを車に乗せて自分の家に連れてこなければ良かったじゃない。あたしはホテルに泊まるくらいのお金は持っていますからね。あたしこそ、誘拐された被害者じゃない。」
「うるせぇよ。転職したばかりの試用期間中の人間に文句言うなよ。」
そこでキッチンで笑い声が上がり、私は急な来訪者の自分を暖かく迎え入れてくれた田神の母、私達の食後のお茶を用意してくれている孝子に頭を下げた。
彼女は田神の母とは思えないほど小柄で、丸顔で、とにかく可愛らしい人である。
どうしたらこんなに可愛い人からこんな乱暴者が生まれたのかというほどに。
彼女は私の前に可愛らしいカップに入れた紅茶を置いたが、なんと、小鳥の形をした砂糖がカップの縁に飾ってあるというものだった。
「わぁ、可愛い。こんなにもてなして頂いて、いただきます。」
孝子は私ににっこりと再びほほ笑み、自分の息子には何も出さないが後頭部を軽く叩いていた。
「て、母さん、何をするんだよ。で、俺のは?」
「あなたはビールでしょう。自分で持って来なさいよ。」
「ぷ。叱られてやんの。」
田神は私に向けて、「ねこかぶり」と口ぱくをした。
もちろん私が田神の脛を蹴らない筈がない。
「あっつ。」
「フフフ、もっとやんなさい。この子は図体ばっかり大きくてデリカシーも無いからね。それにね、いいのよ。お陰で美味しいお寿司を食べれたのだもの。何日でもいいのよ。」
折詰が支払った特上ずしの大桶のほとんどを食べたのは、折詰のお姫様が自宅に来たとぼやく姫様の護衛官であるが。
「孝子様は素晴らしいです。」
かっこ、こんな息子に耐えられるなんて、かっこ閉じる、だ。
「母さん。ふざけてないで。それで、お前は風呂に行って来いよ。」
「まだ紅茶に口も付けてないのに。」
「じゃあ、早く飲めよ。」
「先に入ればいいじゃない。」
「お客様に一番湯をどうぞ、だ。遠慮するなよ、俺は今すぐにでも風呂に入って休みたいんだからな。」
「なんだ?女子高生の後風呂に入りたいって希望か?」
「ちがうって。」
田神は物凄く真っ赤になって照れた顔つきで、私はもっと彼を揶揄いたい気持ちもしたが、ここには彼を生んだ母親という方の前でもある。
お茶を飲んだら田神の言う通りに風呂に入り、自分に与えられた客間に引っ込むことにした。
何しろ、孝子から私と会話したいというテレパシーを感じるのだ。
ここは、逃げだ。




