個人の自由は憲法によって保障されている
田神は高級料亭に初めて来たからか、襖を開け放ったり、室内の装飾品を一々弄ったり、あまつさえ、壁を隅から隅まで手探りをして、あるはずのない壁穴までも探している。
「この部屋に覗き穴はないわよ。」
「他はあるんだ?プライバシー権はどうした?本にされたら困るんだけど。」
「はっ、宴の後事件かよ。覗き穴は普通にあるよ。酒が入ると暴力的になる人や従業員に無体なことをする人もいるからね。そういう人は覗き穴のある部屋に誘導してね、お互いに良い時間と関係になれるように心配りをしているってこと。」
「ものは言いようだな。」
田神は鼻を鳴らして答え、納得したのか私の向いにどかっと座って胡坐をかいた。
すると待ちかねたかのように襖が開いたのである。
「お前!のぞき穴が無いって……。」
田神が口ごもったのは、開いた襖から現れたのが和服姿の美しい女将であったからだ。
それもただの美女ではない。
すらっと背が高く痩せ型の彼女は色白で、武久夢二の美人画のようなはかなさを持った天女のような女である。
彼女が姿を現すのは折鶴が認めた客だけであり、彼女の美しさに魅せられた客も、噂の彼女に逢ってみたいと興味津々の客も、すべて高額支払いのリピーターという折鶴の良いカモになるのだ。
店の奥に篭っていただけの母を引っ張り出すという、私が二年前から始めたこの「一目千両」システムは好評を得て、折鶴の売り上げは鰻上りでもある。
寛二郎には「母親を使う最低な娘」と罵られたが、母を美しく飾り、且つ、この折鶴の立役者は母であると世界に発信したいという娘心でしかない。
彼女の作り上げた料理を板前たちが模倣し、コピーし、折鶴の膳に上がる。
この素晴らしき料亭は、今林美津子、現在は斎賀美津子であるが、彼女無くして存在できはしないのだ。
室内に入って来た母は、田神に深々とお辞儀をした。
「娘がご迷惑をかけています。」
「ちょっと、ママ。迷惑なんかかけてないどころか、あたしが迷惑かけられているの。この人折詰では新じーん。ただいま絶賛研修中なの。」
母の後ろに控えていた斎賀龍彦が噴出した。
彼が母から離れるはずはない。
彼は母が嫌だと言ったモノはゴキブリから人間まで平等に排除する心持ちであり、娘の私でさえというか、私こそ排除したい気持ちのような気がする。
「あら、だって。あなたのお付でしょう。」
「こんなに可愛い女子高生のくっつき虫ができるなら最高じゃない。」
「可愛いか?」
「うるさいよ。」
「本当にごめんなさいね。この子は寛二郎さんに似て乱暴な言葉遣いなだけで、寛二郎さんのように優しい子なのよ。」
全ての人間が優しいとしか受け取れない女性は、そんな人間だからこそ天使か赤ん坊に近い無垢な微笑を顔に浮かべて人を魅了できるのだ。
彼女はパンと拍手を打ち、白昼夢に陥ったかのような田神の目を覚ましたが、彼女が女将である以上、これはただの膳の支度の合図でしかない。
合図によってと次々と、といっても二名の従業員が私と田神の膳を運んできただけだが、姿を現した教育のなっていない従業員について私は大いにウンザリした。
これは誰の無権代理行為なのであろうか。