正当な理由が無く公務員の援助に応じないと拘留または科料に処される
熊谷は搬送されてそこに既にいないが、熊谷の血で染まった庭石や熊谷ごと庭に落ちてガラスを粉々にした歪んだ窓枠はそのままである。
田神の隣の男は標準身長に細身の中年男性で今本と名乗り、今本の相棒らしき女性は田端と名乗った。
田神と同世代らしき田端は淡いグレーのスーツを着込んでおり、スーツから見えるシャツは淡いピンク地にグレーのストライプで前立がフリルになっている。
刑事というよりも丸の内で働くキャリアガールの雰囲気だが、背中にはその印象をぶち壊す小さめの青緑色のカエルが張り付いていた。
いや、丸顔に少し目が離れた可愛い系の顔立ちは、カエルに似ているともいえる。
「怖くなったかな。」
田端カエルが心配したように私に声をかけてきた。
「いえ、カエルのリュックが。あたしのは赤。赤だと矢毒ガエルみたいでしょう。」
「あら、おそろいなのね。私のはシュレーゲルアオガエルみたいでしょう。」
田端はふふっと表情を緩めるとくるっと私に背中を向け、私に鞄がよく見えるように背中を動かした。
すると、彼女のカエルは手足をぷらぷらさせて、プラスチックの目玉をぐるっと動かした。
「おい、田淵。お前は何をやってんだ。」
「なんだぁ、田神。一般人が公僕にその口の利き方は。」
「公僕だったら一般人にこそ慮れよ。」
田端は田神には小馬鹿にしたように鼻を鳴らしたが、再びくるっと私に向き合うと、保育園の保母さんのような笑顔を作った。
「それで、怖かったでしょう。小柄なあなた一人を大柄な男の家に一人で送り出すなんて、いまどきの護衛官の質の悪さに同情するわ。」
私は素敵な田端にうんうんと頭を上下させると、ぱしりと頭を田神に叩かれた。
「ヨッシーこの野郎。お前はあたしを護衛するんじゃなかったのかよ。」
「休憩中だと言っているだろうが。それから俺に大事にされたきゃ、田神さんと呼べ。」
「ハ、呼び名に拘るなんざ小さい男。それになぁ、休憩中でも我が社の社員で勤務時間の拘束中だろうが。手当ぐらいは弾んでやるよ。」
「手当てなんざいらねぇから、いいから俺に休憩くらい取らせろよ。俺は昼飯どころか朝飯だって食べていないんだよ。」
私は心優しい自分の存在が自分の中に残っていることを認めた。
右手で田神の胸元を掴んで私に身をかがませると、左手で彼のインカムマイクのボタンを押しながら叫んだのである。
「料亭折鶴に二名の予約!」
「あっつ。」
田神がインカムのイアホンが入っている右耳を抑えているのは、私が叫んだ声が田神のマイクを通して田神のイアホンに入ったからではなく、私が付けている無線マイクに共鳴した音が彼の耳元で起きたからである。
新人田神は知らないだろうが、購入先が違う品であるというのに、この無線マイクとインカムマイクが出会うと必ず共鳴が起こり、耳障りな共鳴音が鳴り響くのだ。
橋本達が「ハウリングだ!」と妙に喜んで部下の不平を無視しているのが意味がわからないが、耳を劈くマイクの共鳴音は、小人の巣のジジイ連中には子供時代の運動会などを思い出させるらしい。
しゃがみ込んだ田神に笑いを隠せない田端と対照的に、哀れみを含んだ目で田神を見下ろす今本が、私におどおどとした目を向けてきた。
「何か?」
「申し訳ありませんが、何が起きたのかあなたの言葉でもう一度最初から最後まで説明していただけますか?」