アップルパイの喜劇
とある村のとある少女のお話。
「待ってエマ!待てったら!」
後ろの方から声がします。きっとエマの知っている彼の声でしょう。
「ふふ!待てって言われたら待ちたくなくなっちゃう!」
エマはさらに走るスピードを上げます。細い足で目いっぱい地面を蹴っていきます。
地面さんごめんなさい。でも速く走りたいの!地面さんにとっては私の足なんて、私にとって藁に突っ突かれてくすぐったいくらいのものでしょう?
そう思っているうちに後ろからの声はどんどん遠くへ、力強さもどんどんなくなっていきます。
「エ…エ~マ~!お願いだから止まっておくれよ~。」
お願いされてしまっては仕方ありません。エマは優しい少女なのです。エマもそれは自覚しているようで。
「んっもう。仕方ないわね。そこまで言うなら止まってあげる。お友達の頼みだものね。」
自分で言わなければさらに良い子になれるのですが。
エマは足を止め、後ろからくるその友達が来るのを待ちます。
「はぁはぁ、やっと追いついた。」
追いついた友達はそう言いながら肩で息をしています。太陽に照らされて額の汗がキラキラ光っています。
「だらしないのね、トムは。ちょっと走っただけじゃない。」
エマはわざとらしくあきれた声で言います。本当に優しい子なのでしょうか。なんだか不安になってしまいますね。
「みんながエマみたいにいつでもどこでも元気っていうわけじゃないんだよ。もしそうなったら。きっと村を歩く人は一人もいなくなるだろうね。みんないつも全力疾走で生活することになるんだから。」
トムは少し向きになって皮肉めいたことをエマに言います。それを聞いたエマは。
「いいことじゃない!みんなが走って生活をしていれば、きっと私の村から毎年マラソンの選手が生まれることでしょうね!誰にも負けることなんてないわ、だってその人にとって、走るってことは息をするくらい当たり前のことなんだから!」
どうやらあまり期待していた効果は得られなかったようです。トムはもうこの話はしても無駄だと思い、話を変えることにしました。
「それより、エマ。どうしていきなり家を飛び出したりしたんだい?マリーおばさんもあんまり突然だったから、しばらく固まっていたくらいだよ。」
「それはね!」
そう言いながらエマは身体をくるりと反転させゆっくりと前を歩きながら言いました。
「呼ばれた気がしたの!」
マリーの気苦労が想像できる一言ですね。トムはエマの少し後ろを歩き、呆れる気持ちをぐっと抑えて続けます。
「そ、それは誰にだい?」
エマは続けます。
「んー。きっとあれは森の妖精さんね。だって森の方から声がしたんだもの。」
「だから森に向かって走っていたんだね。逆さ虹の森に向かって。」
エマたちは逆さ虹の森へと続く道を歩いています。その道は舗装された道では無く、沢山の人が同じ道を何度も通ったから生まれた、獣道に毛が生えたような道でした。
そんな道を全速力で走ることができるエマは本当に運動が得意なんでしょうね。
「そう!だって呼ばれたんですもの。誰に呼ばれたか確かめずにはいられないじゃない!びっくりさせちゃったママには申し訳ないのだけれど、好奇心には私のママにだって勝つことなんてできないわ。」
「それでもだめだよ。あの森はもう一つ呼ばれ方をしているの。エマも知っているでしょ?」
「知ってるわよ。戻らずの森、でしょう?一度は行ってしまった者は、同じ場所から出ることは決してできないっていう。」
「そうだよ、危ないよ。」
トムは本気でエマを心配しているようです。
「でも出られないわけじゃない。そうでしょ?出てくる場所が違うだけで、ほら、今まであの森に入っていった人たちだって、別に死んじゃったわけじゃないんだから、そんなに怯えることもないじゃない。」
エマは何を言われても足を止める気は無いようでした。
ですがトムにはとっておきがありました。エマの足を止めることのできるとっておきが。
「でも村にしばらく戻れないってことは、つまりマリーおばさんのアップルパイをしばらく食べられなくなるってことだよ?」
…エマの歩く足が止まります。現金な少女なのでした。
「トム。言うようになったじゃない。そんなことで私が止められるとでも思っているの?」
あくまで強気な態度は崩さない、そういう気持ちなのでしょう。ですが心は確実に揺さぶられています。
さらにトムが言います。
「残念だな~。そうだ!エマが戻ってこない間、マリーおばさんに頼んで、エマの分を僕に食べさせてくれるように頼んでみよう!きっと喜んで作ってくれるよ!マリーおばさんは本当に優しい人だから!」
エマの足が村の方へ引き寄せられているかのような動きをします。ですがまだ心は折れてはいないようです。
最後の一押しがトムの口から放たれます。
「エマは森に入っちゃったら、きっと甘いものなんて夢のまた夢、もしかしたら毎日にっが~いキノコばっかり食べなくちゃならなくなるかもね。」
エマの歩く方向が180度変わります。そして頬を軽く赤く染めながら言うのです。
「森へ入るのは、パイを食べてからにしましょう。」
アップルパイがエマの好奇心に勝った瞬間でした。
「全く、急にどこかへ行ったと思ったらアップルパイを作ってほしいだなんて。ほんとにエマは忙しない子だねぇ。」
ため息交じりにマリーは言います。さらに続けて。
「トム、エマを連れ戻してくれてありがとう。お礼にアップルパイ食べていくかい?」
トムは満面の笑みで答えます。
「「食べる!」」
どうやらこの場にはトムが二人いるようですね。
「ママ!アップルパイ作って!」
エマの両目には大きなキラキラが二個浮かんでいました。
「エマには言ってないっての!」
すかさずマリーが突っ込みます。
「えー!私もパイ食べたい~。」
駄々をこねる姿を見ていると年相応の振舞だなと思わずにはいられませんね。いや、見た目よりも少し幼いかも。
「エマの分も僕が食べてあげるよ。」
トム、その言い方はよくありませんね。火に油を注ぐようなものです。
「だーめー!エマの分はエマが食べるの!」
「だー、もう!わかったわかったから今日は特別沢山作ってあげるから、それでいいね?」
子供に甘いマリーなのでありました。
マリーは約束通りいつもより多めにアップルパイを二人に作ってあげました。沢山のアップルパイのホールを見た二人というと。
「うわぁー!なんて美味しそうなのかしら。それにこのいい匂い!毎日この香りに包まれて過ごせるなら、私なんでも言うこと聞いちゃいそう!」
「本当にいい香り!それに宝石みたいに光ってる!食べるのがもったいないくらいだ!」
マリーの作るパイは最高なのです。エマの頭にはもうアップルパイのことしか無いようでした。逆さ虹の
森のことなんて、ごみ箱にポイしてしまったのでしょう。
「さぁ、召し上がれ。」
というマリーの言葉を待たずして。
「「いただきまーす!」」
という二人の声がエマの家に響き渡るのでした。
二人でお腹いっぱいにアップルパイを食べきった頃、もうすっかり日が暮れていました。マリーはトムを家まで送っていくことにしました。最初は渋っていたトムでしたが、マリーが絶対譲らなかったので、二人でトムの家に向かうことになりました。親子を感じますね。
「じゃあ行ってくるから、エマ。お留守番頼んだよ。」
「じゃあねエマ!また明日。」
「またね!トム!」
そうして二人が出て行った後、エマはにたりと笑うのでした。
「準備は整ったわ。」
なんとエマ、あんなに頭の中がアップルパイで一杯だったにも関わらず。逆さ虹の森へ向かうことを覚えていたのです!これにはびっくりです。
そしてお腹の中に入ったと思われていたアップルパイをいくつか、服の中から取り出しました。
「これだけあれば十分よね。まず森に入ってすぐ一つ食べじゃない?朝ご飯に昼ご飯、夜ご飯分もちゃんとある。きっとパイが無くなる前には家に戻ってこられるわよね。」
なんとも楽観的な考えをしているエマでしたが、本人はこれが完璧な計画だと思っているようでした。
「あとはそうね。もし妖精さんに呼ばれているのだとしたら、こんなだらしない恰好ではいけないわよね。ほら、本で読んだことがあるわ、相手によっては相応しい礼儀や恰好が大切になることもあるって。きっと妖精さんと会うためにはちゃんとした服を着る必要があるに決まってる!」
どうやらエマを呼んでいるのは妖精だと、エマの中では確信に変わっているようでした。
服を着替え髪を梳かし、ついでに特別な日にしか履かない良い靴も履きます。最後にアップルパイが入った籠とランタンを持って準備完了です。
「それじゃあ出発…あぁ忘れてた!」
エマは髪とペンを持ってきて文字を書き始めました。どうやらマリーに向けた置手紙の様です。
「呼ばれたから会いに行ってくる!」
マリーが戻ってきたらきっと大問題になってしまうでしょうね。置手紙の役割を全く果たしていないようです。
そんな心配露知らず。エマは玄関を開け、夜道を歩き始めます。昼は明るくトムも一緒にいたおかげか、何も感じなかった道なのに、夜の暗闇の中ではひどく不気味に感じます。同じ道なのに時間が違えば感じ方も違う。エマにとってはどうなのでしょう。
森の中にはどんな出会いが待っているのかしら!楽しみだわ!
頼もしい限りですね。
また新しい物語を書き始めました。
またエマが主人公です。前回の物語に比べて少しは大人になったかな?
書いていて思ったこと、私はエマが大好きなんだなということ。
今回の物語は公式企画「冬の童話祭2019 逆さ虹の森」に向けて書いたものです。
毎日投稿は厳しいかもしれません、ごめんなさい。でも書いてます。着地はさせます。
どうぞよろしくお願いします。