もしラクトア様がペンギンのヒナを拾ったら
他の三人の魔女とともにこの世界に生まれてから幾ばくの時が流れたか。もうはっきりとは覚えていない。というか、途中から数えるのをやめてしまった。
人間たちが自分たちのことを創世記の神話にどんな風に書いているか知ってはいるが、魔女たちが人間を創造したわけではない。魔力はあるが、森羅万象を統べているわけでもない。
悩む人を導き、死に向かう人に死を恐れなくてよいと安心させ、紛争があれば諌める。
神よりも人間に近く、人間より神に近い存在として、長きに渡り人間に寄り添ってきた。
それでも、人間は他人から奪い、他人を妬み、他人を殺めることを止めなかった。
四人は人間に近い場所で寄り添うことに疲れ、そっと見守ることにした。
そして、四人の魔女はそれぞれに住みやすい場所を求め旅に出た。
年に一度、新年を祝う夜には集おうと約束をして。
ラクトアも他の魔女と同じように世界を旅した。
そして、大陸から離れた北の、永久凍土で覆われた孤島にラクトアは城を構えることにした。
城の建設には少し骨が折れたが、ラクトアの魔法でそれは建った。クリスタルのように輝く氷の城。ラクトアは満足そうにそれを眺めた。ラクトアは近況を四人に知らせた。
やがて他の魔女たちからも、居を構えた知らせが届く。
使い魔を手にいれた話や、人間から預言者、大賢者と呼ばれているという話まで。
「なにやってるんだか。コガネなんて金輪際人間には関わりたくないって言ってたくせに大賢者だって?」
大きな城はラクトアひとりが住むには寂しい。
寂しいけれども、人間の中に混じって生活するのはごめんだとラクトアは思う。
「そうだ。気に入った人間を連れてくればいいんじゃないか」
ラクトアの脳裏に、世界じゅうを旅していたときに一人だけ気に入った男がいたことを思い出す。砂漠に近い街で暑さにぐったりしていたラクトアを、魔女とは気付かないで優しく介抱してくれた男。浅黒い肌に黒い髪。しっかりした体躯に抱えられたときは不覚にも胸がときめいた。
魅了の魔法を使って手に入れてしまえばいい。
ラクトアはさっそく行動に移した。
作戦は成功し、まさか魔女と人間の間に子どもが授かるとは思いもしなかったが、可愛い女の子が産まれた。
ただひとつの誤算は、永久凍土での生活は彼には合わなかったこと。
出ていこうとする彼を引き留めるために、彼を氷漬けにした。
彼は永遠に若いままでラクトアのものになった。
そのころラクトアは次元魔法を操れるようになった。
平行した次元に干渉して物質を転移させる魔法だ。のちにこの魔法をラクトアは異世界の言葉を用いて『お取り寄せ』と呼ぶことにした。
ラクトアが異世界からお取り寄せする様々なものは、娘にも影響を与え、ついに娘は次元魔法で異世界に行ってみたいと言うようになった。
「人間を転移させたことはないんだよ、下手をしたら次元のはざまで永遠にさまようことになるよ。危険じゃないか」
「この世界に魔女は四人って決まってる。氷の魔女はお母さん一人だけでいいの。魔力のバランスが崩れたら世界が崩壊するのよ。私は私の居場所を求めて外の世界に行きたい。つまりこんな動物しかいないところ死んでもいや! イケメンと知り合いたい!」
「イケメンはこの世界にもいるじゃないか。ああもう、そうかい。覚悟があるなら好きにおし。異世界で苦労してくるといいよ」
舌戦のすえ、反抗期の娘を異世界留学させたラクトアは、またひとりになった。
氷漬けになった愛しい彼は、話しかけても返事はしない。
すぐに泣き付いてくるだろうと思っていた娘も戻ってはこない。
むなしく、寂しい時が流れた。
そんなある日。
城の外を散歩していたラクトアの目にそれは映った。
瀕死の鳥のヒナが鳴く力もなく、雪の上に転がっているのを。
普段のラクトアなら、このヒナがやがて肉食動物に喰われても、それが自然の摂理だと放置をするところだが、その時は気付けばヒナを手にすくいあげていた。
「親に置いてきぼりにされたのかい?」
ヒナは動かない。柔らかな羽毛の温かさが命の火が消えていないことをラクトアに知らせた。
「お前はこのままじゃいずれ死ぬね。このラクトア様が拾ってやろうかね。感謝をおし」
ほんの気まぐれ。
なんの鳥のヒナか知ったことではないが、しばらくの間、自分のなかのいいようのない寂寥感を紛らわしてくれるだろう。
「この土地の気候に耐えられるようなら使い魔にするって手もあるね。使えなきゃ食えばいいか」
まずは瀕死のヒナの治療をしてやろう。回復魔法はそれほど得意ではないラクトアは、魔力をヒナに注ぎこんだ。
ラクトアの魔力を与えられたヒナは、魔獣となり、頭を斬り落とされるか、ラクトアが死ぬまで共に生き続ける存在となった。
しかし、鳥など育てた事がないラクトアは━━。
「喋れないのも面倒だね」
早々にヒナに名を与え、使い魔の契約をしてしまった。
使い魔となったヒナ、ルーフェスは人間の姿に変化できるようになった。
「お前の名はルーフェス」
ルーフェスは、きょとんと床に座り首を傾げた。人間でいえばまだ産まれて数ヶ月の赤子のよう。ルーフェスはへらりと緩く笑ってラクトアに手を伸ばした。
「あーうー」
「そうだよ。さあ、これをお食べ」
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「お腹壊すに決まってるじゃありませんか! いくら氷の魔女って言っても、ちょっと人より魔力があって、ちょっと人より長生きなだけで病気にならないわけじゃないんですよ!」
「うるさい、ルー。頭ががんがんするから叫ぶのはよして」
「もう、こんなに脱ぎ散らかして。本は開きっぱなして床に放置! 訳のわからない魔法陣をそのへんに展開しっぱなしにしないでくださいよ。あーもう、ここはボクが片付けておきますから、ラクトア様はベッドに横になってください」
「はいはい」
「ハイは一回で結構です。あとで薬草入りのお粥持っていきますから、おとなしく寝ててくださいね……ラクトア様、なに笑っているんですか」
「いやあ、ルーが人間の姿になっているの久しぶりに見たと思ってね」
「……ラクトア様のお世話に手がかかるので、ペンギン姿じゃなにかと不便なんですよ。下着とローブは手洗いだし、お料理も五本指の方がやりやすいんです。もう、にやにやしてないで寝てください。明日は魔女のお姉さま方がいらっしゃるんでしょう?」
「あー、そうだった。めんどうだね」
「そう思われるなら、最初の約定どおり年に一度にしておけばよろしいのに、なんだかんだと魔女集会を開いては飲んだり食べたり騒いだり……いけない! 今日はラクトア様の旦那様方のお世話をする日でした! お料理の下ごしらえもしなくちゃだし、ああ、忙しい!! ラクトア様、あとでお粥とにっがーいお薬湯も持って参りますから寝ててくださいね」
「ふふっ、そんなこと言って、いつも薬湯に蜜を足してくれているだろう?」
「知りませんよ! もーーはやく寝て!」
「添い寝してくれないのかい?」
「ひーー! 勘弁してください!」
真っ赤になってラクトアの部屋を出ていくルーフェスの後ろ姿を見てラクトアはクスクスと笑った。
泡をくって逃げていったわりに、途中で洗濯物を回収することは忘れない。
「本当にしっかりものに育ったものだね。さて、我が娘は今ごろどこでなにをしているのやら」
明日の集会という名の宴会が終わったら、娘を探してみようか。
ラクトアは、ルーフェスがひとりで大騒ぎしながら城内を駆け回っている姿を想像して、そっと目を閉じた。