君は憧れなんだ。
遡ること五年前。その頃の僕は人生の小さな分かれ道に立たされていた。
高校二年の秋。進路選択の希望用紙を握りしめるように持ちながら、あやふやな未来に漠然とした不安を抱えていた。
選択自体に迷うことはなかった。数学が苦手だから私立文系。元々その一択だ。
だけど、そんな自分に待ったをかけてる自分もいた。
そんな決め方でいいのか?
幾分かの可能性から逃げているんじゃないか?
消して残った道に進んで、その先に何がある?
その答えが見えなかった。
「……どうしよう」
頼りない呟きは、目の前を通過した電車の音にかき消された。
周囲に人は少なかった。学校の最寄り駅、生徒の帰宅時間を少しずらしたタイミングで、同じ制服の姿は少なかった。
「あれ、誠太だ」
だから突然横から声をかけられた時は驚いた。
「おぉ……真奈か」
パンパンに膨らんだ通学カバンを抱えた小柄な女子生徒が立っていた。同じクラスの真奈だ。
「今帰り?残ってたの?」
真奈は僕の座っていたホームのベンチの隣に腰かけた。真奈は片手に白い紙の入ったファイルを持っていた。
「自習してた。真奈は?」
「私は先生と面談。推薦あるのかなーって思って」
よく見ると、そのファイルには大学名が入っていた。都内に文系キャンパスがある、難関大学のものだ。
「もう行きたい大学まで決まってるの?」
「うーん、目星付けてるくらいだよ。今日は志岐大学の文学部の資料もらってきた」
「へーえ、文学部」
文学部、と言われても何をする学部か、あまりピンとこない。文系ではよくあることだ。
「私一応文学部なんだけどさ、別に日本文学の研究とかをしたいわけじゃないんだよね。文学は文学でも、実際に書く方の勉強したくて。そのための学部ってなると少ないんだよねー」
真奈は、先を見るように視線を上げながら言った。まるで大学生になった自分を見ているかのような姿勢だ。
書く方の勉強がしたい。真奈の趣味が小説を書くこと、というのは知る人ぞ知る情報だった。
「真奈は将来、小説家になりたいの?」
「うーん、まぁ、そうだね」
「……凄いなぁ」
未来を見据えて、それに向かう道を選択している。消去法で道を決める自分とは大違いだ。
しかし真奈はそこで、肩をすくめて卑下するように言った。
「小説家なんて部屋に篭って黙々と締切と戦う地味な仕事だよ。陰気くさいでしょ」
そうかな、と僕は素直に思った。
だって現に、陰気くさいでしょと微笑する真奈は楽しそうだ。生き生きとしていて、輝いている。
そんな真奈の姿勢が羨ましい。僕もこんな風になれたらいいのに。
「あ、電車来た」
真奈が呟いたと同時に、僕の家路と反対方面の電車がホームに入った。
手早くファイルをしまい立ち上がった真奈は、電車の方を向いて僕に笑顔を向けた。
「じゃあね!また明日!」
僕はそれに小さく手を振って見送る。こちらの電車ももうすぐ来るだろう。
駅のアナウンスが入ったと同時に、僕のケータイに通知が入った。
真奈からのメッセージだ。
『聞きそびれた。誠太は進路決めてるの?』
自分の進路。
ふと思いついたのは、真奈の小説家になりたい、という夢。
夢を追いかける真奈は僕の憧れだ。
叶うのならば、憧れの君の為になる道に進みたい。
――さて、何て返そうか。
そのままを言うのは違っている。僕は頭に浮かんだ適当な文を転がしながら電車に乗り込んだ。
それまで抱えていた、漠然とした不安感が、少しは拭えた気がしていた。