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シュン 12

更新遅くてすみませんm(_ _)m

お読みいただきありがとうございます。




 自分の顔がうっすらと映る窓ガラスの向こう、帰宅するサラリーマンたちの影に一瞬、ハニーの姿が見えた気がした。運転席の義父に一声かけて停車してもらい、飛び出すように車から降りる。


 きょろきょろとあたりを見渡すと、ハニーらしき髪と背中が曲がり角へと消えて、慌てて追いかけた。距離を縮め、角を折れたところで呼びかけようとした――けど、ハニーの隣にいる人物を目にして、その場で急ブレーキがかかった。



 ハニーの隣に、あいつがいた。他でもない、あの浮気男が。



 まだこうして、ふたりきりで、会ったりしてるんだ……。



 なんか、実際にふたりでいる姿を目にした方が、一瞬を切り取っただけの例の写真よりも、効いた気がする。


 だってどこから見てもお似合いで、年齢も釣り合いが取れていて、こうしてはたから見れば、俺と一緒にいるときよりも、自然な大人の恋人同士だった。


 だからといって、あの性格の悪いモラルに欠けた男にだけは、好きな人を譲るようなことはしたくない。それだけは絶対に嫌だ。


 なのに、あの浮気男の毒牙から最愛の人を救いに行くためのその一歩をこうしてためらってしまったせいで、またふたりを見失ってしまった。



 早く、ハニーを取り返さないと。



 もし、万が一、なにか取り返しのつかないことになったら……。



 考えないように、考えないように、と自分に言い聞かせるたびに、余計におそろしい想像に思考を支配されてしまう。純粋にこわかった。膝が、震えるくらいに。


 元気だった母さんも、事故であっけなく死んでしまった。


 まさかハニーに危害を加えようとまではしないと思っていた。けれども……。



 どうしよう。もしものことがあったら。ハニーが死んだら、もう生きていけない。



 きっと思いつく限り残酷なやり方で復讐して……ハニーのところに行く。


 ハニーの会社からバス停までの経路を、周囲を見渡しながら進んだ。それでも、ふたりの姿はどこにもなかった。引き返してあちこち駆け回り、ようやく見つけたときには、彼女はひとりきりになっていた。


 そのことに心底安堵して、手を挙げて声をかけようとした、そのときだった。ハニーの向こう側から走ってくる車が、ふいに、加速した。


 ガードレールも街路樹もなにもない、道路と白線で仕切られただけの場所に突っ立っているハニーへと、まっすぐに向かって。


 考えるより早く足が地面を蹴っていた、けど、全然間に合わなかった。ハニーの身体がすれすれのところを黒い乗用車が突き抜ける。すれ違ったほんの刹那、車中の人と目があった気がした。


 ふらっとよろめいたハニーが見開いた瞳にコマ送りのようにゆっくりと映る。心臓が早鐘を打つ音がどくどくと耳の奥に響き、全身が総毛立った。轢かれたと思った。もしくはどこか、当てられたのだと。


 殺意は押し殺されて、今は目の前のハニーにだけに集中した。


 抱きとめ、そのあたたかな体温とやわらかさに触れる。目の前を覆っていた不安が、晴れていくのを感じた。幸いにもどこにも怪我がない。そのことにどれだけ安堵したか。


 まあ、こののんきな様子のハニーには、なにひとつわかっていないんだろうけど。


 自分が狙われているなんて露ほども思っていないんだろうね。この人は。


 ふと顔を上げると、道の向こう側で彼が立っているのが見えた。少しだけ眉を下げて肩をすくめている。自分で言っておきながら、それでもまさか本当に事が起こるとは思っていなかったのかもしれない。


 今は警告程度で済んでいるけど、相手はまともな人間じゃないことを、きちんと理解していなかった。この責任は、俺にある。


 彼がこちらへと手を差し出す。唇がごく小さく動く。不思議となにを口にしたのかわかって、うん、と伝えた。頷いた。


 心配しなくても、もうほとんど決めていたから。――一緒に行くことを。


 大好きだから、ハニーを傷つけたくないし、こわがらせたくない。これから先、怯えながら暮らしてほしくない。なにも知らないままでいてほしい。



 愛してるから、笑っていてほしい。



 これがもし、俺とハニーを引き離す作戦なのだとしたら、このときそれは確かに成功したと言える。


 この人のそばにいたら、だめなんだなって気づいた。……遅すぎだけど。


 やっぱりもっと適当な、俺の顔や身体目当ての女と結婚すればよかった。そうしたらこんな脅しに屈することはなかったのに……。


 結局俺はまだ全然子供だった。大人に抗うには、大人に頼らないといけない、弱い子供。


 だけど子供だって、牙を剥くこともある。


 いっそ殺してしまおうか。蘇ってきた殺意をどうしようかと考えながら、あの浮気男が血相を変えて走って来るのをぼんやり見つめる。


 こいつも、ここまでのことをされるとは思っていなかったんだろうね。真っ青だ。ハニーを抱きしめて無事を確認する。死ねばいいのに。


 ハニーは俺がいるからか、浮気男から逃れるように離れて、誤解だと言い募る。そして俺に告白めいたことを言おうと口を開いたから、動揺を隠して素早くそれを制した。


 だって今それを聞いちゃうと、せっかくの決心が揺らぐに決まってるから。聞きたくても、言わせない。

 

 好きだから身を引くなんて、こんな悲劇のヒロインじみたことをするなんて思ってもみなかった。


 まだけどまず先に、浮気男と対峙した。


 なんにもわかっていない人間相手に非難しても仕方ない。この男にハニーを傷つけるつもりがなかったのは血相を変えて走ってきた時点でわかっていたけど、それでも堪えることができなかった。


 大切なものを失ってから、後悔しても、もう遅い。


 二重の意味で。不誠実さで心を失い、たった今、永遠に失うところだった。


 胸ぐらを掴まれ近づいたことで、ハニーに余計なことを聞かれず八つ当たりできた。


「あんたらのせいで、ハニーが死ぬところだった」


 それだけですぐに察したらしい。


 だけど浮気男からしてみれば、俺のせいでハニーが死ぬところだったのだ。それでもハニーがいるこの場でそれを口にすることはなかった。迂闊にもらしてしまえば、裏でこそこそしていたことがバレるから。


 浮気男は俺を突き放し、憤然としたまま立ち去った。おそらく叔母のところへ問い詰めに行ったのだろう。


 結局あの男にとっての俺は、感情をぶつけるほどの相手ではなく、ただの些末な子供だった。そのことが悔しくもあった。


 だけどようやく、ハニーと向き合えた。


 ハニーのことは信じている。だから、言わないと。


 決意したところで、ハニーはすがるように、俺を一番だと言った。



 ああ、もう。なんで……かっこよく守らせてくれないの?



 泣いて台なしにする前に、本心ではない想いを告げないと。



「――ごめん、ね。もう無理だから……別れよう?」



 さんざん振り回して、ごめんね。これ以上は迷惑かけられないから。別れるしか、ないから。


 傷ついた顔をして、ハニーが身を引く。


 それをちょっとだけ、いや、すごく、嬉しいと思ってしまった。


 俺のこと本気で好きになってくれてたんだな、って。


 写真のせいと聞かれれば少なからず関係はしているけど、説明すれば彼女をまたこれ以上巻き込んでしまうから、言葉を濁した。


 もし今ここで俺を監視している誰かがいたとすれば、きっと別れたことが叔母にも伝わる。そうしたらもうこの先、ハニーが目をつけられることはない。



 彼の手を取るから。矛先が、代わるから。保護者である、義父に。



「他に……ご飯を食べさせてくれる人が、いるの……?」



 思いつめた顔でそう問いかけられて、そこは重要? と、自分の中にわずかに残った冷静な部分が突っ込みを入れる。



「まあ、うん……」



 曖昧に頷くと、別れを切り出したときよりもはっきりと、ハニーはショックを受けたという表情をする。



 ほんの少しだけ、違う意味で泣きそうになった――けども、



「そ……っか。うん。よかった。安心した」



 ハニーが、仕方ないねと言うように承諾した。その微笑みに、なにかがぷつりと切れた気がした。



「うん、わかった。……元気でね」


 自分から突き放したくせに、あっさりと了承されたことが受け止め切れずに、震える声で、うん、とだけ告げて背を向ける。


 思い通りになったはずなのに、なんでだろう、視界がにじんで前が見えなくなった。




 別れたくないと言われることを、期待していた。




 滴がこぼれて開けた世界にはもう、真っ暗な闇しか広がっていなかった。






次、ちょっと病んでる感じになりそうな予感……。

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