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ハニー42



 青空に叫んだ私は、即座にある新築アパートの、ある部屋まで一目散に駆けつけて、玄関のドアをノックしまくっていた。


 中にいることはわかっている!


 さっさと出てこい!


 しばらくドンドンしていると、控えめにドアが内側から開かれ、ほんのりとだけメイクを施した幼馴染の顔が、そっと覗いた。


「近所迷惑だから、入って」


 促されてドアの内側へと入ったが、急いでいるから靴を脱いで入室まではしなかった。こんなところで非常識だとか、そんなことは全部後回しで、前のめりで単刀直入に切り出した。


「それより、どこ!?」


「どこ?」


 ちょこんと小首を傾げる仕草に焦れた。


「シュンの留学先!!」


 まずはそれを教えてもらわないことには、なにも行動できない。返事を待っていると、謎の沈黙ののち、キラは嘆息をもらして、軽く腕を組むと壁に肩を預けた。


「…………ああ、それ」


 ああ、それ、って。


「やっぱりシュンくんのこと、本気なんだ。……ふうん、そうなんだ……、へえ?」


 な、なんか……目が、こわい……?


 が、怖気づいていられない。


「それで? そんなこと聞いて、どうするつもりなのかな?」


 私の答えがわかった上で、幼馴染はにこりと微笑み、意地悪にも問いかけてくる。私はあふれそうな気持ちを押しやって、一部だけ、大切なことだけを切り取って告げた。


「まだ、ちゃんと話し合ってない。私には、その権利がある」


 酔って書いた書類でも、正式に私とシュンとを結びつけるもの。


 それはまだ、有効だ。


 だからこそ、やらないといけないことがある。他でもない、この私が。


 視線を交わしてほどなく、キラはどう思ったのか、大げさに深いため息をつくと、壁に額をこつりとあてた。垂れた髪が、その表情を覆い隠す。


「最っ悪っ……。まさか、ミツがショタコンだとは思わなかったぁ……、盲点だった……」


 ショタコン……?


 ショタコンなのか、私。


 ショタコン……、ショタコン……。


「ねえ、そこでへこまないでくれないかな? 本当に、今さらだよ?」


 それもそうか。それにショタコンなのはお互い様だ。


 しかし……なぜだろう。さっきからキラが妙にピリピリしている。


 貴重な休みの日に叩き起こしたから?


 そりゃあ、怒るよね、普通……。


 萎縮しながら謝りかけたところで、


「あーあ。シュンくんキープしたままにしておけばよかったぁ」


 なんて思ってもないことを言うものだから、ついむっとして冷たく言い返した。


「次またシュンたぶらかしたら、今度こそ縁切るから」


 私の本気が伝わったのかどうかわからないけど、ちら、とキラの目がこっちを見た。


 散々嫌われることをしておきながら、そこにほんのかすかな怯えがよぎったのは、なぜなのか。


 もしかして、友達が皆無だから?


 私に嫌がらせをするのは、精一杯の構ってアピールだった、とか……?


 ま、まさかね……。


 変な想像を散らしていると、俯き加減のキラから、ぽつりととした声が聞こえてきた。


「……イギリス」


「え?」


「シュンくんの留学先」


「あ、ああ……」


 遠いな……果てしなく。


 どこだとしても遠いことには変わりないのに、欧州方面だと不思議と敷居が高く感じられる。


 絶望的な気持ちで立っていると、キラが無言で奥の部屋に行って、なにかを取ってきた。


「これ、住所」


 つっけんどんに突きつけられた紙を、おずおず受け取って中を開く。それはなぜか進路調査表だった。シュンの名前と横文字の大学名が書かれた枠の下の片隅に、住所が記されていた。シュンの筆跡ではなく、キラの字だ。


「……保護者が連絡してきたからね」


「そっか……」


 保護者……か。


 その立場も、もう私のものじゃないんだと、改めて突きつけられたみたいで、胸が痛い。


「……行くの?」


 問われて、ゆるゆると首を横に振った。


 有給がまだ残っているにしても、今すぐにどうこう出来る問題ではない。


 それにまず、一番で最大の問題として、パスポートがないわ。


 あるにはあるけどもう期限が切れている。これはもう、ないに等しい。


 だけどそのことに、ほんのちょっとだけほっとしている自分が浅ましい。


「わざわざ出向かなくても、その内帰って来るよ? ミツは待っていればいいんじゃないかな」


 そう言われてみれば、ずっと向こうというわけではないのだから、私から会いにいく必要もないのかもしれない。


 会いたくないと、思われているかもしれないし……。


 自嘲しながら肩を落とすと、いつの間にかキラがそっと隣に寄り添っていて、さっきまでとは一転、優しい声音で囁いてきた。


「ミツ、かわいそう。シュンくんに捨てられちゃって……。わかるよ、その気持ち。……辛いよね」


 慈しむように手のひらを頰に添えられて、戸惑いながらも頷いた。結局のところ、キラと私は同じ理由で振られているわけで、気持ちがわかると言われたら、そうなのかな、とつい納得させられてしまった。


「でもね、相手は高校生で、まだほんの子供でしょう? はじめからミツには合わなかったんだよ」


 うん、それは……そうだ。


「シュンくんはもう迷っていないよ。これからは誰かに依存しなくても、自由に生きていける。あの子はまだ若いから、これからたくさん素敵な人に出会って、刺激を受けて、たくましくなっていく。だからね、保護者なんて、もう必要ないんだよ」


 うん……言われなくても、わかってる。


 胸の奥がきしりと音を立てて、手をあてた。キラがそっと、俯いた私の肩に手を置く。やわらかく艶っぽい声が、耳朶に触れる。


「だからね、ミツ。今は自分のことを考えて、いたわってあげたらどうかな? 本当に、あの子のことが好きだったんだね。だったら、引きずってもいいと思うよ。思う存分。吹っ切れるまで、ううん、きちんと気持ちの整理がつくまで、しばらくは恋愛、お休みしていいんじゃないかな?」


「お休み……?」


 どの道シュンのことで頭がいっぱいで、新しい恋愛なんて考えられない。


「そう。今のミツにはたっぷりの休養が必要だよ? それから、今後のことは考えればいいの。一生独身でも、私だけはそばにいてあげるからね。一人で寂しいのなら、うちに泊まっていく?」


 うん、と言いかけたところで……はたと冷静になった。


 誰が一生独身だ。


 それに。


 いつもいつも、人が誰かと別れた直後には、これまでと打って変わって優しくしてくるせいでうやむやにされかけているけど、基本的にあなたに寝取られて破局しているのですが? 今回だけは違うにしても。


 親切だけはありがたく受け取っておくけど、これ以上は遠慮願う。


「帰る」


 きっぱり言うと、ちっ、というかすかな舌打ちのようなものが聞こえた気がした。


「うん?」


 あたりをきょろきょろしても、もちろんにっこりするキラしかいない。


「どうかしたの?」


「いや、なんか……」


 気のせいか……?


「ごめん、気のせい」


「そう? じゃあ、ちょっと待ってて。家まで送っていくね」


 あれ? なぜそんなことに?


「いやいや、別にわざわざついてこなくても……」


 私の疑問は、残念ながらさっさと靴を履いて玄関から出てしまったキラには届かなかった。


 短い間だったけど、シュンとすごした自分の家で、なにげなくも幸せだった日々の思い出を糧に生きていこう。しばらくは。


 そしてシュンが帰って来たら、そのときは……取っ捕まえて離婚届を書かせてやる!

 

 きっとそれがシュンに私がしてやれる、最後で最良のことだから。





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