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シュン10




「……これは、どういうことかな?」



 ずいぶん昔に就職と書いて持ち帰らされた進路希望調査の紙を、ようやく自分から再提出した俺に、先生が微笑みを深めて小首を傾げた。


 この微笑みはあれだ。自分の予想外の事態に対して、わずかに動揺しているらしい笑みだ。


 基本的に喜怒哀楽すべて微笑みだけど、なんとなく感情がわかる。


 そしてここは職員室で、先生が椅子を半回転させて俺を見上げているその光景を、なぜか他の先生たちがちらちらと見てくるから、優等生顔の俺も微笑している。


 先生受けは大切にしないとね。


「これから先の自分の人生と、どういう人間になりたいのかをよく考えた結果、こうなりました」


 紙を机へとそっと置いて、先生がまっすぐ俺を見つめて問いかけた。


「先生はいいと思うよ。個人的にはね。だけど、……本当に間違いなく自分の意思、だよね?」


「はい」


 目を逸らさず視線を重ね続け、先生が先に小さく嘆息をもらし目を離した。


「わかりました。案外意思は固いみたいだね。……本当に、いいのね? 後悔しない?」


 ちら、と眼差しで問いかけてくるのは、ハニーのことだ。


 ハニーになんの相談もせずに勝手に決めてしまったことをお見通しらしい。


「はい」


 だってこれが、最善だったから。だからせめて、自分で選んだ道だと堂々と言い張りたい。


「……そう」


 納得したのかしていないのか微妙な顔で、紙を机の端へと置いたのを見て、ひとつ口にした。


「先生」


「?」


「ひとつだけ、お願いがあります」


 小声で、ほとんど唇だけで言った。


 生徒に手を出したことを校長に黙っていてほしかったら、言うことを聞いてね?


 先生の愛らしい顔に、一ミリでもひびを入られたのは、僥倖だったと思う。


 ただ肝心の頼みごとを口にする前に、口に人指し指を当てられた。


「言わなくていい。先生、あなたのこと、結構お見通しだから」


 付き合い、長いから。


 せっかく主導権を握ったと思ったのに、してやられた気分だ。


 でも……うん、別れた後も違う関係が続くと、こんな感じになるだ。


 恋人でもなく、かといって友達でもなく。



 だけど、どうしてかな。ハニーとは、そうなれたらいいな、とは、思わなかった。



 職員室を後にし、誰もいない廊下の木目を眺めながら、あの日のことを思い返す。









「――シュン」



 シューンと真ん中をちょっとだけ伸ばす癖のあるその呼びかけに、思いつく知り合いはひとりだけだった。


 驚きに振り返ると、過去の面影とさほど様変わりしていない元義父が、いたずらの成功した子供のような笑顔で手をあげていた。


「久しぶりだね!」


「…………はあ」


 驚きと困惑のせいで、どっちつかずの中途半端な反応になってしまった。


 そんなことをおおらかな彼はあまり気にせず、俺の正面まで来ると嬉しそうに、馴れ馴れしく両手でぽんぽん肩を叩いてきた。


「大きくなったね!」


 いや、それはそうだと思う。前は彼の腰にさえ頭が届かなかったのに、今は……、今も、まだ見下ろさせるほど差があった。


 さすが外国人というべきか、いつまで経ってもその長身を追い越せない。


 昔から日本人よりなにごともひと回り大きい義父――アレクサンドル・ハーイェクと、ほぼ十年ぶりに再会した。なんの前触れもなく。


 状況は理解できている。心もいたって冷静だ。



 でもさ……、なにを話せばいいの?



 一緒に暮らしたこともあるけど、ほぼ他人の外国人だよ?



 中年になって、大人の渋みと色気をほどよく加味した風貌になっていても、中身は相変わらず子供じみているから、どう対応をすればいいのかはかりかねる。


 お互い嫌で家族の縁を切ったわけではないので、別にわだかまりがあるわけでもない。



 ただし。残していったこの名字だけは、ちょっとした恨みの対象ではあるけど。



「……お久しぶりです」


「うん。長い間……会っていなかったね」


 彼は柔和な大人の表情で俺の肩を引き寄せると、ぎゅっと抱きしめてきた。


 すぐに死んでしまった再婚相手の息子というだけの関係なのに、本当の親のように喜ばれると、くすぐったい気持ちになるのはなんでなんだろう。


「ずっと気になっていたんだよ、君のことが」


「それは……、ありがとうございます」


 もう俺たちのことなんて忘れて、新しい家族とかと幸せにすごしていると決めつけていた。


 実際はそうなのかもしれないけど、こうして仕事の合間にでも気にして一目会いに来てくれたのだから、まったくの嘘ではないだろう。


 杓子定規なお礼に、彼はふ、と苦笑のような息を吐いた。


「彼女の実家に引き取られたから、てっきり裕福な暮らしをしているものだと思っていた……んだけどね」


 ふいに、肩を抱く腕に力が混じる。


 俺が施設で育ったことを、なにかの拍子で知ったのかもしれない。本当の息子でもないのに、彼が責任を感じることでもないと思う。


 息苦しくなってきたからその腕から逃れ、一息つき、


「俺は平気ですから」


 安心してもらえるように、にこっと好青年風の笑顔を見せた。


 たいていの人はこれでなにも言えなくなる。本人がそう言うのなら……、と、はっきり一線を引いてくれるけど、それは日本人限定だったらしい。


「私が平気ではないよ」


 きょとんとして、あくまでも自分主観な彼に、作り笑いが中途半端な形で止まってしまった。


 ……まあ、そういうものかな。


 自分の知らないところで知り合いが、しかも子供が、虐げられていたという事実に、良心のある人ならいい気はしないだろうし。


「シュン。シュンがよければ、一緒に来ない? 夢だっただろう? リツのように、お母さんのように、海外で暮らすことが」


 突然の提案に戸惑う俺に、彼はにこやかなまま続ける。


「これまでひとりにしてしまったおわびに、君の抱える問題は私が解決してあげるよ」


「な……んで」


 なにからなにまで知っているのだろうかと、警戒を強めてじりっと後ずさりしかけた俺へと、骨ばった大きな手が頭をぐしゃぐしゃに撫でた。


「いいことを教えてあげる。たとえば彼女と離婚しても、君の戸籍が戻るのは私の戸籍だね。君のお母さんと再婚する際に、君は私と養子縁組の手続きをした。だから今も君は、私の息子にあたるのだよ」


 血の気が引いた。


 ハニーのことも、調べられている。


 動揺を悟られないよう、気づかない振りをして子供っぽく拗ねてみた。


「あなたの名字を名乗っていた時点で、わかってますけど?」


 髪を元に戻しながら軽く睨むと、彼は目を細める。


「そうだね。だったら、民法七百三十七条、知ってる? 賢い君ならわかるかな?」


「……」


 微笑み崩さない彼に、素直に思った。



 この人、なんで日本の法律を知ってるの?


 

 民法七百三十七条――未成年の子が婚姻をするには、父母の同意を得なければならない。



 両親のいない未成年者の婚姻にはゆるいが、片親でもいれば、その人の同意が必要になってくる。


 ただし。同意なしでも受理された場合、取り消しはされない。


 ここで彼が声をあげても、今さらハニーとの婚姻を取り消すことはできない。もう受理された後だから。


「君を諭すつもりも、彼女を糾弾するつもりもないよ。だけどね、もっと早くに君のことを知っていれば、その歳で結婚なんて形を取らなくても、力になってあげられたのに、と思ってね」


 彼の微笑みが、じわりと後悔の色に染まる。


 少しだけ、申し訳なく思ったところで、彼が一転ケロリと笑って続けた。



「それに彼女、リツに似てて、私の好みだったから」



 ずりっと肩から鞄が落ちた。



 一瞬でも悪いと思って、損した。マジで。



「ハニーはあげないから」



 母親は仕方なく彼にあげたけど、ハニーは俺のものだ。


 むしろ俺がハニーのもの?



「それに関しては、まだ私にもチャンスはあるものとして――」



 いや、ないし。なに言っちゃってるわけ、この外国人。



「本当に、私と来る気はない?」



 突然そんな話を持ち出されても、はい行きます、と誰が即答できるのか。


 それが顔に出ていたのか、彼は肩をすくめて苦笑をした。


「前向きに考えておいて。君にも悪い話ではない。しばらくここ、日本にいないことが、君のためになるから」


 そう言って彼は、どう調べたんだろうと不思議になるほど、叔母の企みや会社の現状などをこと細かく説明してくれた。どうやら遺産相続の問題はおまけにすぎないらしい。


 あの人たち、どこまで腐った人間なんだろう。


 呆れ果てるって、こういうことなんだね。一周回ってなんの感情が湧いてこない。


「そんなことを調べに、わざわざ日本に?」


 彼は目を細めて、ゆっくりと俺へと向けて手を差し伸べてきた。




「そう。君の助けになればと思って」




 ――君と、彼女の。




 どうしてだろう。その言葉が、嫌なくらい耳に残った。




時系列ごちゃごちゃですみません……。

まだ書ききれていませんが、次少しハニーに戻って、それからシュンくんのターンがあって終わりになるかな、と思っております。

いろいろ矛盾やおかしなところがあるかとは思いますが、深く考えずにさらっと読んでもらえたら幸いです。

こんなところまでお付き合いいただきまして、ありがとうございます(>_<)



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