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ハニー39



 どうせやつは定時に上がらないと踏んで、逃げるように帰宅しようと目論み退社した。が、外で待つ影が見え、作戦が失敗に終わったことを悟った。


「行くか」


「行かないよ。一緒には、歩かない」


 絶対に。


 ただ、バス停が同じ方向だから、この場から逆方向へ行くというわけにもいかない。


「だったら前歩け」


 命令に従うみたいで腹立たしいけど、他人みたいに、私は前を行く。だけどバス停に着いてしまえば結局のところ同じだった。




 ……沈黙が気まずい。




 無言の空気に耐えきれず、ぼそっと独り言のように話を振ってしまった。


「……足、もういいの」

 

「ああ」


 ほらやっぱり折れてなかったじゃないか。


「用心して帰ったら?」


 気遣ったのではなく追い払おうとしているのが言葉の端から感じ取れたのか、達巳はやや眉根をひそめていたが、すぐに力を抜いて肩をすくめた。


「心配だからな」


 心配してくれるのは、まあ、普通に受け取ればありがたいことなんだけど……うぅーん、なぜだろうね。


 まったくときめかないわ。


 相手が悪いのもあるけど、年齢のせいだったらおそろしい。


 ああ……、じわじわと老化していくこの恐怖……。


 ヘコみながら、人ひとり分間を取って、そばにいる男へとひとまず、家まで付き添うことは断固として拒否しておく。


 だってさ、まかり違ってシュンと鉢合わせでもしたら?


 あの子を悲しませるくらいなら、自分の身が危険な方がましだ。



 それに……次は、ないだろうから。



 ……だから、距離を置きたいのに。このやろう。心配の前にいろいろ謝罪しろ。


「お気遣い痛み入る。が、ひとりで余裕で平気だから」


「いくら蜜が平凡な顔のアラサー女でも、なにかあってからじゃ遅いんだぞ? 力じゃ男には敵わないんだから。ましてや相手、大柄な外国人だろう。車に連れ込まれたら終わりだぞ」


「……おい。平凡な顔のアラサー女で悪かったな」


 こいつ私のこと嫌いすぎるだろう。


 それに言わせてもらえば、アレク氏は無理やりじゃなくスマートに私を車に乗せる。それこそ魔法使いのごとく。


 人をけなす男にこれ以上用はないね、ふんだ!


 ふてくされて、唇を結んだとき、ふと、なにげなーく顔を上げて――目が合った。道を挟んで向こう側。よく知る、青い目と。


「ああっ! 魔法使い!」


「はあ? 魔法使い? ……って、蜜!?」


 久々に現れた魔法使いことアレク氏は、私に発見されたことに困ったような笑みをして、なにかあるのかちらりと路地を見やると、そちらへとはらりと走り去った。



 逃すか!



 次の瞬間私の足は地面を蹴って駆け出していた。


 本人に直接何者か問いただして確かめれば、達巳はもう着いてこないだろう。気がかりがふたつもなくなり、一石二鳥だ。


 が、しかしさすが魔法使い。消失魔法でも使えるのか、普通にリーチの差か、私が路地を抜けたころには、もう後ろ姿さえ見当たらなかった。



 ……まあ、いい。逃げられはしたが、収穫もあった。



 神出鬼没のあの外国人は、確かにこのあたりをうろついている。


 目的が私なのかは、依然不明のままだけど。


 右へ行くか、左か。うーんと腕組みをしてない頭を振り絞りながらとりあえず右に進んで行くと、唐突に背中から身体を持っていかれるような衝撃が走った。


 え。


「わ、」


 なにが起きたのか。頭が理解するより先に、私の脇を猛スピードで走りすぎていく車体を、視界がコマ送りで捉えていて。


 前のめりに倒れながら、漠然と、轢かれた、と、他人事のように思ったけど、実際は鞄がサイドミラーに当てられただけだった。私の身体ではないなにかが壊れる音が、後から耳に聞こえてきた。


 車はクラクションを鳴らさなかったし、走行音も全然しないハイブリット車だった。私はまったくの無防備で、気づくのが遅れた。


 たぶんあと数センチずれていたら、身体をぶつけられていただろう。



「……っ、ハニー!!」



 ああ、だめだ。派手に地面にぶつかるわ、と思った寸前で、横から身体を抱きとめられた。


 支えられてもすっかりと腰が抜けて立っていられな私はゆっくりと地面に下ろされ、どくどくと暴れる心臓の鼓動をふたつ耳にしながら、首を反らして彼を仰ぐ。


 顔なんて見なくても、それが誰かなのかは声でわかっていた。


 そんな風に私のことを呼ぶのは、かわいくて頼りがいのある、うちの子だけだ。


 王子様のように現れて、かっこよく助けてくれた。


 我ながら乙女チックだ。足腰へろへろよぼよぼのおばさんだけど。


「シュ、シュン……? なんで、ここに……?」


 正直シュンがなぜここにいるのか、そんなことはどうでもよかったけど、それしか話題が思いつかないくらい、轢かれかけたショックが尾を引いていた。


 シュンは私の身体が当てられたと思ったのか、切羽詰まった表情でハニーハニーとうわごとのように呟き、必死の形相であちこち触って調べ、無傷と知ると今度は放心した様子で、ぽつりぽつりと答えはじめた。


「なんでって……ちょっと用事を済ませてから、ハニーの家に行こうと、思って。そうしたら、ハニーが……轢かれそうに、なってて……」


 シュンは私よりずっと蒼白な顔色のままで、車の走り去った方へとうつろな目を向ける。


 結局車に乗っていた人は謝りもせず、それどころかなにごともなかったかのように行ってしまったらしい。


 暴走自動車、こわい。スマホでも見てたのかな。


 もしそうでないなら、アレク氏を追って事故に遭いかけたわけで、これは警告的なものなのだろうかと勘ぐってしまいそうになる。



 もしかして、シュンと別れろという、警告……とか?



「よかった……ハニー……怪我、なくて、ほんと……よかった」



 ようやく気持ちが落ち着いたのか、シュンはどっと力を抜いて私の身体をぎゅっと締めつけると、頭頂部に額を押しつけてきた。


 本当に心配してくれたんだなと実感して、さっきまでとは違う心臓の高鳴りを感じた。


 年齢のせいじゃなかった、ときめいた!


 ときめきはまだあった。


 だからといって、若い、というわけでもないが。


「ありがとう、シュン」


 回された腕に、感謝や好きという気持ちを込めて手を添える。けれど、反応は返って来なかった。


 ぼんやりとどこか一点を見つめていたシュンが、ぽつんと一言なにか呟き首を縦にした気がしたので、振り返る。目が合うと、切なげに眉を寄せて、微笑んだ。出会った頃のような、儚い笑みだった。


「……シュン?」


 寄りかかっている背中を離して自力で立ち上がると、シュンも視線を落としたまま向き合うように立った。


「シュン、どうかした? 重かった?」


「重くはないよ。前にも言ったよね、ハニーは夢と欲ぼ……希望でできてるって」


 欲望でできてるのか、私は。


 語調に覇気は皆無だけど、思考はいたって普通の、平常運転のシュンだ。


 それでも、どこか、私のシュンらしくない。


 内心困惑しているところに、遅まきながら達巳が顔を強張らせながら、駆けつけてきた。





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