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ハニー37



 いやぁ、やっぱりうちの子はなんでも着こなすなぁ……。



 なんてうっとりと見惚れている場合ではない!



 問題は私の方なのだ。洗ったせいか、服が試着したときより、なんか丈が短くなっている。それに、胸回りがちょっときついし、苦しい。窮屈だ。


 こうなってしまえばもう、私にとっては軽い拘束着だった。


「ハニーもしかして、胸寄せて誘ってる?」


「きつくて勝手に肩が前に寄っていくんです!」


「ふうん? 女の人って、大変だね」


 女じゃなくても、洋服選びは大変なものなんですよ?


 なに着ても似合う人にはわからない苦労だろうけどね。


「それで、どこに行くの?」


 私は行き先不明のままシュンに乗せられたバスに揺られている。当然アメリアもいる。


 シュンは目線を下げつつ、曖昧に行き先を濁した。


「一回、ハニーを連れて行っておかないとと、思ってたところ」


 うーん。ヒントがないから全然わからない。


 まあ、どこでもいいさ。うちの子が行きたいところなら、どこへでも。


 なんて軽く考えていたけど、バスがたどり着いたのは想像もしていなかった場所――霊園で。


 誰の、なんて言わなくてもわかる。


 バスの中でも言葉数少なくなっていたシュンが、さらに口を重くして、慣れたように霊園の前にあるこぢんまりとした建物へと向かっていく。その後に私も黙って続いた。どうやら花屋らしい。


 さすが霊園の前というだけあって、取り扱っているものは仏花が多い。


 シュンが迷わず手に取ったのは、黄色と白のシンプルな菊に榊の、味気ない花束。


 私は実家の墓参りに行くとき、普通に贈り物でもいけそうな花束を持って行く。もちろんトゲのあるバラや花びらが散るものは外して。


 だって、いかにも仏花というのは……物悲しすぎるから。


 花屋だけど店内には線香やろうそくのセットも売っていて、店主らしきおばあさんにそれらのお金を払ったシュンが、無言のまま手を繋いできたから、同じ強さで握り返した。


 霊園は管理が行き届いていて、ゴミひとつない。舗装された小道を進み、シュンは一旦私に花を預けると、手慣れた仕草で水場の水を桶へと汲み入れた。


「綺麗なところだね」


 ついしみじみとした感想をもらすと、シュンは不思議そうに首を傾げてこちらを見た。


「うちの実家、お墓参りのときはスニーカーに長ズボン、それと軍手持参が普通だったから」


「?」


 シュンがよくわからないという顔するから、私はこの霊園とは比べものにならない墓地の説明をするはめとなった。


「うちのお墓のあるところ、周りが畑で。夏場はねえ……草がね、ものすごいのですよ。膝まで草。草草たまに花。それをかきわけかきわけ、葉っぱやら虫やらをひっつけて、ようやく蜂谷家のお墓にたどり着くという場所でして」


 はじめ目を丸くしていたシュンが、私の雑草をかき分ける仕草に、たまらず笑い声を上げた。


 憂い顔が一瞬でも笑顔に変わり、私は内心で親指を立てる。


 うちの先祖代々のお墓、グッジョブ! 今度久しぶりに参りに行きます。


「わあ。俺、そこに入るのかぁー……」


 ……シュンや。うちのお墓に入る気なのか。マジか。


 虫の巣窟だぞ、あそこ。


「私はこの綺麗な霊園がいいわ」


 墓地にこんなこと言うのもあれだけど、品がいい。


 水場のコンクリートの隙間から生えている控えめな昼咲月見草とか、うらやましい。


 うちの墓に覆い被さらんばかりに蔓を伸ばすのは、どう見ても花のサイズがおかしい朝顔や、むしると臭いヘクソカズラだ。


 かぼちゃの蔓が伸びていたときは、さすがに引っこ抜くのにためらった。

 

「ここは……うん、そうだね。綺麗かもね」


「シュンの実家の?」


 実家という表現は正しくないけど。


「ううん。父方のお墓。うちの母親、絶対あっちのお墓だけは嫌! って言ってたから」


 まあ、あの叔母さんと一緒のお墓は、落ち着いて眠れないかな。


「……聞きにくいけど、再婚したお父さんの方のお墓には入らなかったの?」


 うーん、と唸りながら言葉を考えつつ、水をたっぷりと入れた桶を揺らし、シュンは歩き出した。


「分骨したから、あっちにも入ってると思うけど、外国だから……さすがにね」


 そうだね。お墓参りに何日もかかるのはちょっとね。


「それに、再婚しても母さん、父さんのことを忘れてなかったし」


 そうしてシュンが足を止めたのは、綺麗に手入れされている墓石のひとつ。さすがに供花は枯れていた。


「あ……、今さらだけど、こんな格好で来てよかった?」


「喪服じゃなくてってこと? いいんじゃないの? 命日でもないし。それに俺、喪服持ってないし」


「学生は喪服を持ってなくても、制服があればいいんだよ。そうじゃなくて、ご両親びっくりじゃないかな? いきなり高校生の息子が、十も年上の女とペアルックで来たら」


「父親はわからないけど、母親の方は細かいこと気にしない人だったから大丈夫」


 えぇー……? 絶対草葉の陰で怒ってると思うんだけど。


 嫌われてしまわないように、シュンが柄杓で墓石に水をかけているうちに、花を供える準備をしてポイントを稼ぐ。


 ……はっ! だけどこの浅ましい心は筒抜けなのか?


 すみません、お義父さん! お義母さん! こんな若い子をたぶらかしてしまって!


「ハニー? まだ手を合わせるのは早いよ?」


「これは別件です」


 ふうん? と、シュンは小首を傾げるも、さほど気にすることなく片膝をつき、マッチに火をつけろうそくを灯した。


 太陽はからっとしているのに、場所のせいなのかしっとりとした風が炎を揺らす。線香を火にかざすと、細い白煙が青空へと昇っていった。


 シュンは手を合わせる前に私を隣へと引き寄せ、墓石へと向かって告げた。


「俺、この人と結婚した。……報告遅れて、ごめんね」


 この瞬間、私の心の隅で、すでにかけらほどまで溶けかけていた、離婚、の二文字がこなごなに砕け散った。



 一生、この子のそばにいたい。



 純粋に本心で、願望として、そう思った。



 いてあげたい、じゃなく、いたい。そばにいたい……私が。

 


「蜂谷蜜です。年増ですが、大切にするので息子さんをください」


「えー! それ、俺の台詞!」


「婿養子なんだから、これで合ってるんです!」


 言われてみればそうか……、とシュンは納得したのかしてないのか、微妙な表情で墓石に向き直ると、静かにまぶたを伏せて手を合わせた。私もそれにならって、目を閉じる。



 シュンのお父さんお母さん、心配しないでください。

 シュンの人生の邪魔だけはしません。

 それでも、今だけでも、私を家族として認めてくれたら嬉しいです。



 目を開け、隣を窺うと。


 積もる話をしているのか、シュンは静かに瞑目し続けている。しばらくして伏し目がちにゆっくりとまぶたを上げると、はじめて会った頃のような儚げな表情で、気にしていなければ気づかないほどの小さな呟きをこぼした。





「しばらく来れないかもしれないから……ごめんね」





 ああ。きっとこれから受験勉強で忙しくなるから。



 私は当たり前のように、そう思った。






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