ハニー35
不評のハニーですが、必要なので(……たぶん)、人によってはもやっとする行動を取ります。お気をつけくださいm(_ _)m
よく知った相手とご飯を食べているのに、ひどく居心地が悪かった。
テーブルマナーとか、店の雰囲気だとか、そういうのが原因でもあるけど……。
……ああ、そっか。
向かいにいる人が、おいしいっ! って幸せそうな顔をして食べていないから。
いや、……シュンじゃないからだ。
場所が場所でも、こう淡々と食べられると、なにを食べても私もおいしい気がしてこない。
というか元カレとご飯とか、よく考えたら浮気じゃん。だから自己嫌悪でなに食べてもまずいのか。
ただ、作ってくれた人と食材に申し訳ないから、残すことだけはしなかった。
ランチだけという約束だったから店を出てさっさと帰ろうとしたのだが、家まで送る、どうしても送らせてくれという懇願に渋々折れた。
すべてはその甘言に騙された私が悪かった。ばかだった。
「ここは?」
「家だけど?」
私はそのアパートを見上げた。何度確かめても同じだ。うちのアパートではない。
「もう一度聞く。ここは?」
「だから、俺の家」
普通、家まで送るって言ったら私の家だろうが!
結構近所なせいで道のりに違和感なかったわ、このやろう!
「帰ります」
シートベルトを手早く外し、車から出ようと背を向けドアに手をかけたところで、達巳が肩を掴んで阻止してきたから、真顔で振り返る。
「お茶くらい飲んでいけよ」
「お茶だけで済んだとしても、死んでも家には上がらない」
それだけは絶対に嫌という私の意思が伝わったのか、渋々達巳が手を離した。
「……わかった」
わかればいいけどさ。
「そこまで言うなら無理強いはしない。……家まで送る。だけどちょっと家行って来るから、ここで待っててくれ」
達巳はそう言い残してひとり車を降りると、アパートに消えていった。
別にひとりで歩いて帰れる距離だ。むしろ帰りたい。ただ、車をどうすればいいのかわからないから待機するしかない。
スマホを見たり、アメリアと遊んだりしながら時間をしているのはいいが、待てど暮らせど、車の持ち主が戻って来る気配がない。
さすがに遅すぎないかと、だんだん不安感が募ってきた。
もしかして……部屋で倒れてるとか、ないよね?
それとも、不運にも強盗が潜んでいて、鉢合わせた……とか?
ど、どうすべき? 様子を見に行くにしても、車は鍵もかけずにこのまま放置して行けばいいのか?
しかし緊急事態だったら、一刻を争う。
私は車を諦め、鞄を盾に、折り畳み傘を武器に、達巳の部屋へと飛び込んだ。
「大丈夫!?」
玄関に靴を脱ぎ捨てて、リビングのドアを開け放つ。電気はついているのに、誰の姿もない。次だ。寝室へと続くドアを開けると、ベッドの下にうずくまる影があった。
「達巳!?」
肩に手を置き覗き込むと、苦悶に満ち脂汗の滲む額を晒した達巳の顔が、私の方へと向けられた。わななくようにかすかな声で、状況を伝えて来る。
「小指……折れた……」
私は視線を落とす。足の指を、両手で覆っている。
どうやら足の小指を、ベッドの角かなにかにぶつけたらしい。
私は一呼吸おいてから、
「そんな簡単に折れるか!」
べしっと本気で背中を叩くと、ううっ! とうめき倒れた。
なんで男ってこう、痛みに弱いんだろう。
「折れたんだよ! 絶対折れてる、救急車呼んでくれ……!」
「はいはい。湿布貼ってあげるから、安静にしててください」
ひとまず肩を貸してベットに座らせる。救急箱はなかったけど、湿布だけは常備されているのを発見した。
かなり痛がっているが、触った感じやはり折れている様子はなく、大袈裟と言うしかない。
「ばか、痛いから無理に曲げるな! 変な風にくっついたらどうするんだ!」
「だから折れてないって!」
手当てしたその足を手加減して叩くと、達巳がベッドに顔を沈めた。
「…………蜜」
「なんですか」
「サイドテーブルの、引き出し」
そこに気つけ薬でもあるのか?
震える指が示したその引き出しを開けると、赤いシンプルな小箱が顔を出した。
「これが?」
「開けて」
言われるがままに箱を開く。そこにはダイヤがはめ込まれた指輪が鎮座していた。
いわゆる、婚約指輪みたいなんですけど……は?
「二度目のプロポーズをしようと思った、……のに」
ベッドに小指をぶつけて台無しになった、と。
ぷっ、と噴き出すと、達巳がむすっとした顔を上げた。
「あのお子ちゃまが飽きるまで、絶対待つからな!」
「あーはいはい」
私は話半分に聞きながら小箱を引き出しへとしまった。私がこれを受け取ることは一生ない。
恋人でもない男の部屋にいるのは気が咎めたけど、怪我人を放置するのは良心が痛む。
こういうところが自分の短所なんだろうと思いつつ、達巳が回復するまでリビングでアメリアと適当に時間を潰し、歩けるまでになったと寝室から出てきたところで帰ることにした。
「悪かったな。下まで送る」
「いいよ、寝てなよ」
人がせっかく気遣ってやってるのに、頑なにアパートの玄関口までひょこひょこついてきた達巳は、最後の最後で段差につまずき私の腕へと飛び込んできた。
だから言ったのに!
「ちょっ、大丈夫?」
「……ああ」
抱きつかれたままでは重いので、やんわりと押し返すと、体勢を整え、しばらくしてから素直に離れていった。
「ごめんな」
「……なにがさ」
「いや、送って行けなくて」
さすがにすまないと思っているのか、気まずげに視線を逸らす。その横顔はどことなく沈んで見えた。
その顔は浮気がバレたときにこそしろよ。
「まだそんなに暗くなってないんだからいいって。じゃあ、安静にね」
「気をつけて帰れよ」
はいはい。
二度と来ないだろうアパートを後にして、歩きながら夕飯の献立を思案する。
周りのことなんて、なにも見えていなかった私は、申し訳なさそうにする達巳の表情の意味も、深く考えはしなかった。




