ハニー4
そのまま二度寝できたらよかったけど、残念ながら今日は平日で。
たった一日で老け込んだ私は、二日酔いの薬を飲んでからよろよろと出勤した。
いつ見てもずいぶん年季の入ったオフィスビルに着くと、エレベーターへと直行した。
だけど古いエレベーターすぎて、動き遅い。全然降りてこない。
冷たい壁に額をつけながら待ってると、背中に軽く声がかけられた。
「蜜? 今日はいつもより遅いのな」
私はその声の主を、眉間にくっきりとシワを刻んでギロリと睨んだ。
この元カレめ。
浮気してホテルから出勤してきたくせに、なんでそんな爽やかな笑顔を向けれるのか。昨日と同じスーツを着て、かすかに覚えのある香水の名残をただよわせて。
「なにそれ、その鞄についてる人形。こえーな」
あぁん?
私のアメリアちゃんをこともあろうか、こえーな呼ばわりするとはなにごとか。
「……龍崎さんや」
名字で呼んだことで、彼は怪訝そうに私の顔を覗き込んできた。
「なんで名字?」
わからんのか、この常習犯め!
というか早くエレベーター来いよ!
「俺、なんかした?」
本気で言ってるのか、こいつ。
バレてないと思ってるあたり、私は舐められてるんだろうなぁ。
「もう他人なので、馴れ馴れしく話しかけてこないでもらえませんかね?」
「……は?」
――ティン!
エレベーターがやっと降下してきた。
そして、いつ奈落の底に落ちてもおかしくない揺れで、乗り込んだ私をあたたかく受け止めた。
「では」
閉まるボタンを押して扉が閉まりかけたところで、我に返った彼が腕で扉をこじ開けて侵入してきた。
結局私たち二人だけを乗せて、密室のエレベーターはがたがたと浮上する。
今こいつとだけは一緒に死にたくないわ。
「それで、なんだって? 他人? なに怒ってんの」
「別に怒ってなんていませんが。ただただ自分の見る目がなかったことを悔やんでいるだけで」
「だからなんだよ、蜜。はっきり言えって。最近構ってやれなかったから、拗ねてんのか?」
にやにやしながら肩に腕を回され、私は嫌悪感をあらわにしてそれを振り払う。
「私たち、別れましょう。というか、私的にはもう別れたことになってるから。新しい恋人と、どうぞお幸せに」
――チン!
エレベーターも私の新たな門出を祝ってくれているのか、普段よりも軽やかな音色で扉を開いた。
彼の会社は五階なので、エレベーターの中で言葉を失ったまま、三階のフロアに降りた私を見つめている。
扉が閉まるその刹那、私は最後に意趣返しを思いついた。
「あっ、そうだ。私、昨日結婚したから。――永遠にさようなら、元彼さん」
私は悦に入って、優雅に微笑む。
計算はしていないが、完璧なタイミングで扉が閉ざされた。
エレベーターの表示の光は、しっかりと上階の数字を移動していく。
それを確認し、一息ついた。
「……ふぅ」
終わった終わった。
清々しながら踵を返したところで、私はギクリと足を止めた。
数少ないスタッフと、社長。全員と目が合った。
やり取りをばっちり目撃していたらしい。みんな無言だ。
気まずい沈黙が続き、それを破ったのは御年六十といくつかの、我が社の社長だった。
「蜂谷くん。結婚するならまず、直属の上司に報告しないとねえ」
で、ですよね……。
まずは直属の上司に言うのがマナー。こんな風に知られてしまうなんて、ついてない。
だけどすぐに離婚するわけだし、ここは嘘ってことにして、穏便に済ませるべき?
それとも事実を言う?
「蜂谷くんは就業後に居残りね」
「う、……はい」
頭が痛いことばっかりだ、もう!
今日、あともう一回更新します。