シュン7
ちょっと時系列戻ります。
ハニーがシュンを目撃したあたりからです。
なんか……色々ご注意くださいm(_ _)m
「待ちなさいよ!」
涼やかな風の抜ける夜道に、場違いなヒステリックな声が響き渡る。
好きでもない女に腕を掴まれて、足止めされて、いら立ちながら振り返った。
本来なら勉強に励んでいた時間だったけど、ハニーに会いに行って驚かせようと思って寮を抜け出したところを、この小娘に捕まってしまった。
この日本人形みたいないとこ――愛莉に。
日本人形の方が多少不気味でもしゃべらない分幾分かマシだと思う。
「人の話くらい聞きなさいよ! 逃げ切れると思ってるの!?」
「……はぁ。マジでウザい。消えて。というか、失せろ」
「なっ、サイテー! サイテー! クズ! 熟女好きの変態のくせに!」
俺に対しての悪口なら聞き流せるが、最後のは聞き捨てならない。
「俺は熟女好きではないし、熟女の人もおまえみたいな小娘にバカにされるいわれはないと思うけど? 自分のこと、若くて需要があると誤解してるかもしれないけどさ、女子高生を好きだなんて言うやつのことを、世間一般では、ロリコンっていうから」
冷ややかに吐き捨てると、愛莉の顔に怒りの朱が混じり、目つきに剣呑さが増す。
こうして対面して話していても、不思議と血の繋がりを感じないのは、ほとんど一緒に過ごしたことがないからだ。
昔から好きになれなかった。生理的に。叔母も叔父も、このいとこも。
母さんが若くしてあの家を出たのは、家族が嫌いだったからだと今ならわかる。人を都合よく追い出しておいて、今さら帰って来てもいいと言われて、誰が喜んではいと言うのか。
しかも帰って来い、ではなく、帰って来てもいい。
あくまでも上から目線。誰が戻るか。俺の家は寮かハニーのところだ。
「あたしだって、あんたのことなんか大っ嫌いよ! だけどお祖父様の遺言にあんたと結婚してあの家を継ぐように書いてあったんだから……仕方ないじゃない」
「仕方ない? 仕方ないで結婚できるの? 本気で言ってる? いつの時代の人間なんだよ。祖父さんや叔母さんの言いなりで、仕方なく? 俺は好みで気の合う人と結婚したいし、愛しくて尊敬できる人としか暮らしていけない」
「……それって、あのおばさんのこと、言ってるわけ? どこがいいの、あんな――」
「彼女のことを悪く言ったら、その口縫いつけるよ」
俺の言葉と目が本気を語っていることが伝わったのか、愛莉は口をつぐんだ。
施設暮らしが長いから、裁縫もある程度できる。これ以上ハニーを侮辱したら、針と糸を調達してきてでも縫いつける。冗談じゃなく。
「なによ……頭、おかしいんじゃない」
「その頭のおかしい俺と結婚したいって言う、そっちこそ頭がいかれてるんじゃないの?」
「結婚したいだなんて、言ってないっ!」
殴ろうとしたのか掴もうとしたのか、愛莉の手が出たので容赦なく振り払った。
しばし無言で睨み合う。
切り札は叔母と対面したときまで取っておくつもりだったけど、もう限界だ。
「それならよかった。俺、もう結婚しちゃったし」
「…………え?」
ぽかんとした莉乃に、わざと嫌味っぽく口の端をあげて、せせら笑う。
「戸籍謄本取り寄せて見せようか? 俺の名前、ハーイェク・シュンじゃなくて、蜂谷・シュン。だから祖父さんの遺言は無視して、おまえがあの家を継げよ。俺は相続放棄するから」
相続税やあの屋敷にかかる固定資産税とか、考えたくもないし。
そして唖然として動けない莉乃を置き去りにして、ハニーの元へと急ごうとした――ときだった。突然現れた男たちに両脇を固められて、抵抗する間もなく車に連れ込まれた。
最悪……。
犯人よろしく拘束されて、無駄に高級な車の座席で肩身の狭い思いをしながらしばらくすると、二度と敷居をまたぎたくなかった屋敷へと到着した。
逃走を謀るなら、相手が油断した一瞬の隙を見極めないと。それまではできるだけ従うふりをしておく。
やたらと広い庭園を歩かされ、屋敷の玄関をあがり、通された客間には予想通り、和服を着た叔母がすでに正座して待ち構えていた。
俺の後ろからついてきていた愛莉が、叔母に駆け寄って叫ぶ。
「お母様! シュンったら、もう他の人と結婚したとか言うのよ! どうするの!?」
叔母の片眉がぐいっと上がる。
「まずはお座りなさいな、はしたない」
母親に逆らえない愛莉は、渋々膝を折った。
マジでそういうのいいから、用件だけ早くしてくれないかなー。
心の声がもれているはずがないのに、叔母は俺をジロリと睨んだ。……こわっ。
「シュンさん。お久しぶりですね」
「……ですね」
「話は聞いていると思いますが、お父様の遺言により、不本意ですがあなたには娘と結婚してもらいます」
「無理ですよ。法的に重婚は認められていません」
優等生の笑みを貼りつけて、すでに考えていた反論を口にする。
だが叔母はわずかに眉根を寄せただけで、深いため息をつき、しみじみとした口調で言った。
「愛莉と一緒に育てなくて正解ね。本当に、なにをされていたことか……」
……はぁ?
「親がいないとおかしな大人に育つとはよく言ったものね。先方には手切れ金とあなたの代わりになる男性を紹介することで手打ちにしてもらいます」
「……は」
あまりにもバカにされすぎて、なんか笑えた。
酷薄な薄ら笑いを浮かべる俺に愛莉がびくりと肩を揺らすが、叔母はまるで動じない。
「高校生に手を出したのです。先方も納得するでしょう」
「下衆な勘ぐり、しないでほしいんですけど。俺たち、プラトニックな関係ですが?」
「それを証明することは不可能ですよ。高校生と結婚しているというだけで、世間からは白い目で見られることでしょう。しばらく遊んで暮らせるだけのお金と将来有望な結婚相手、それと比べて、なにも持っていないあなた。どちらがご自分にとっての利益になるか、わからないほどバカではないでしょう」
言葉の刃が痛いくらいに突き刺さる。
なにも持っていない俺を、ハニーは愛してくれている。そう、思っている。
だけど、絶対と言い切れないその心の弱さが見透かされているかのように、叔母はさらに不安を煽る。
「お子様との結婚ごっこ、新婚ごっこも今は楽しいかもしれませんが、先方も大人です。いずれ飽きる日が来るでしょう。生産性のない男を養うなんてこと、続くはずがありませんよ」
悔しいけど、なにも言い返せない。
ぐっと拳を握りしめると、爪が皮膚に食い込む。じわりとしたその鈍い痛みで、少しだけ気持ちが落ち着いた。
「……だとしても、愛莉と結婚は、しない。相続放棄の手続きをするから、俺のことは放っておいて。――これまでみたいに」
静かに嫌味を言って部屋から逃げ出そうとしたとき、叔母の声だけが後を追いかけてきた。
「留学、させてあげますよ」
その言葉に、一瞬足を止めてしまった。
「……なんの話か、わかんないけど」
そんな幼い頃の話を覚えていたことに正直驚いたが、つけ込まれないよう、顔には出さなかった。
それにもう今は、違う。ハニーのそばを、離れたくない。
……そう自分自身へと言い聞かせた。
襖の向こうに控えていた男たちの脇をすり抜けて、靴を指に引っかけ庭園を駆ける。
外を目指して走りながらも、地面を蹴るたび叔母の言葉が頭をがんがんと反響する。
――結婚ごっこ。新婚ごっこ。
いつかハニーは、俺に飽きるのかな。飽きて、他の男に目移りするようになるのかな。
……俺はまた、捨てられるのかな。
だから留学なんて、離れるなんて、選択肢はない。
このまま、勧められるまま適当な大学生を出て、適当なところに就職して、ハニーを養えるようになって、子供ができて……。
間違ってない。幸せだ。
なのにどうして、あのとき、足を止めてしまったんだ。
不安を振り切るように、塀の上へと飛び乗った。




