ハニー28
場所を移して、自宅。
盛ってくるシュンをなだめてなだめて、ようやく話を聞く体勢が整った。
シュンお気に入りのホットケーキで餌づけして、気を逸らすことに成功した結果だ。
「お、おいしい?」
肩からずり落ちた憐れなTシャツを直しつつ尋ねると、シュンは無邪気な顔を上げた。
「おいしい! アイスも乗ってるし!」
そうかそうか。シュンのためにとついつい買いすぎて、冷蔵庫の中身がどんどん充実していくのだけどね。喜んでくれるなら、本望です。
「はぁー……ハニーからの愛を感じる」
アイスだけにね。……おっと、危なっ。おやじギャクを言ってしまうところだった。
アイスを溶かしそうな熱い吐息をもらしていたシュンは、最後の一枚だけを残し、居住まいを正して一呼吸置いてからフォークも置いた。
「ハニーはさ、俺が名字ほしさで安易に結婚したと思ってたでしょう?」
「違うの?」
「違いはしないけど、それがすべてではないよ。……この間聞いたよね? 母さんの旧姓に戻らないのかって」
ああ、服食べられて答えを聞き損ねたやつね。
「確かに祖父さんが養子縁組する予定だったから、母さんの旧姓になるはずだったよ、本来なら。だけど叔母さんに施設に預けられて、というか追い出されたから、戸籍に関しても祖父さん寝たきりなのをいいことに養子の話ごとなかったことになった。俺の戸籍が祖父さんのところに移るのを、嫌ったから」
まあ、正直それでよかったけど。と、シュンは存外あっさりとした口調でつけ加える。
なんだか、ちょっとずつ様相が見えてきた気もする。
ここでシュンが、ちらっと私へと目を遣り、歯切れ悪く続けた。
「それで、ハニーは叔母さんが金銭的に俺を育てられないから施設に預けたと思ってるかもしれないけど……さっきの、あの家が、……母さんの実家、なんだ」
ほうほう。子供のひとりやふたり余裕で育てられそうな、ご立派なお屋敷でしたな。
「……驚かないの?」
「驚いてるけど、それよりもいくら身内とはいえ無理やり拉致する汚いやり方が許しがたくてね。もろもろ含めて、怒りが上回ってるかな」
実力行使なんて、高校生相手にすることじゃないだろうに、とね。
それに、自分から追い出したのに、話があるなら向こうから出向くべきだ。
それが人としてあたり前のことでしょうに。小学生でもわかるわ。
静かな怒りをたたえる私に、シュンがやわらかくほころぶような微笑をした。
「ハニー……好き」
急にデレられ、怒りがどっかへ行ってしまう。
単純な私です。はい。
「えーと、それで? お母さんの実家、つまり、叔母さんが、今度はシュンを連れ戻そうとしてるってことであってる?」
「概ねそう」
そこがまだいまいちよくわからない。今さらなんで? 追い出したの、自分なんだよね?
「あの子は? 日本人形みたいな綺麗な女の子。シュンの昔のセフレかなにかかと思ってたけど……」
「はあ?」
シュンがあからさまに気分を害したというようなしかめ面で、不快そうな声を響かせた。
「俺の好みじゃないし、あんな中途半端な性格ブス」
性格ブスに、中途半端とかあるんですかね?
「遊びでもやだね。裸で布団に入って来ても殴って追い返す自信ある」
「いや、女の子を殴るのはいかがかと……」
「ムカつくいとこは殴っていい法律とか、なかったっけ?」
ありません。
「いくら相手が悪くても、女の子は殴ったらだめだからね?」
シュンは頷きこそしなかったが、一応聞き入れてはいるようなのでその話はそこで終わらせておいた。
しかし……いとこ、ね。どうりで綺麗な顔しているわけだよ。
「でも叔母さんたちがシュンを連れ戻そうとするってことはつまり、お祖父さんが危ないとか?」
元々お祖父さんが引き取る予定だったんだから、厳格な人でもシュンに対して愛情はあると思うし。
だけど私の予想は外れていたらしく、
「ハニーに出会う少し前に、祖父さんが死んだらしい」
そっけないその一言に、シュンからお祖父さんへの情は悲しいほど感じられなかった。
「ああ……そう、なの?」
ご愁傷様は、シュンに言うべきことではなさそうだ。
しかしそうなってくるとまた話が変わってくる。
シュンを厄介払いした叔母さんといとこちゃんが、再びシュンの前に現れた理由。具体的なことはわからないけど、誰かの死で親族で争いとなる原因と言えばあれしかない。
――お金だ。
骨肉の争いか……難儀な。
「遺産相続で、もめてるとか?」
「惜しい、かな。祖父さんの遺書に、俺がいとこと結婚して、家を継ぐようにって書いてあったらしい。本当かどうかは知らないけど。だから婚約だなんだって説き伏せてくるその隙をついて、先手を打たせてもらった」
シュンの目がまっすぐ私を映す。
私との結婚にそんな裏事情があったとは。
「それを伝えてきたから、今ごろ激怒中なんじゃない? 遺言書なんてなかったことにして破いて捨てればいいのに。俺はあの古くさい家も会社も継ぐ気なんてないんだから」
「それが、私と結婚した理由のすべて?」
「今は愛があるよ!? 愛しかっ……愛欲しかない!」
そこは言い換えなくてもいいんですけどねえ!
打算で結婚したのははじめからわかっていたから、これといってシュンから引いたりはしない。私の存在がシュンの枷となっていたなら複雑な思いだけど、それで彼が自由を得るというのなら、なにも問題はなかった。
私はシュンが好きだし、利用されても構わない。
それに、利用されたことに、ほっとしている自分がいる。
名字ほしさだけの結婚だったら、いつか飽きたら簡単に捨てられるかもしれない。だって名字はもう手に入れているのだから。
だけどそういうわけがあるなら、本当に結婚したい相手が現れるまでは、シュンといられる。それがたとえ、惰性だったとしても。
「だけどまた拉致されたら? 今度は監禁されるかもしれないし、本当に大丈夫なの?」
強引に拉致するような人だ。私の考えつかない手法でシュンを傷つけるかもしれない。
「相続放棄するって言ってきたから、たぶん……うん。――それよりも、もし誰かがハニーに接触してきても、絶対に素直に対応しないでね? 無視しておけばいいからさ」
そういうわけにも、いかんだろう。
「別れさせようとして、説得しにくるってこと?」
「……もっと嫌な手を使ってくるかもしれない」
どんな手なんだ。できれば対策を練るためにそれを聞きたいんだけども、シュンは口に出したくなさそうだから、自分で考えるしかない。
うーんと唸りながら思考していると、シュンが改まった口調で呼びかけてきた。
「ねぇ、ハニー」
「うん? なあに?」
努めて優しく返すと、シュンはうつむき加減のままぽつりと言った。
「ハニーがもし、浮気したら……殺してもいい? ハニー殺して俺も後を追うから」
…………こわっ!! これって噂のヤンデレってやつですか!?
ドン引きする私は、ホットケーキを見下ろすシュンの表情が冴えないことに気づいて、思い直した。
……いや、これは違うわ。別れさせるために、叔母さんが私に別の男をあてがおうと画策している、とシュンは思ってるんだ。
だったら私は、どう言えばいい? どうすれば安心する?
それにしても、いつまで経ってもシュンは私のことを信じてくれないなぁ……。
まあ、とりあえず、
「殺しちゃいけません」
「じゃあ監禁で手を打つことにする」
シュンはそっけなくぼそりとつぶやいてフォークを握ると、黙々と残りのホットケーキを食べはじめた。
うぅーむ。やはり、ヤンデレなのか、この子。




