ハニー17
月曜、仕事を終えて自宅につくと、玄関先に人の姿があった。
シュンではない。あのシルエットは男ですらないから、達巳でもない。
となると……。
「おかえり、ミツ。遅かったね」
おっとりとした声がアパートの廊下に響いた。それでいてその目で見つめられると、蛇に睨まれたカエルのように不安を胸に宿るのはいつものことだ。
そこにいたのは私の最大の宿敵である、幼馴染の姫星こと、キラだった。
なんでそんなに嬉しそうな顔なのか不明だが、向こうから出向いてくれたなら話は早い。
「よく顔を見せれたな、このクズ聖職者がっ!」
私が渾身の怒りをぶつけると、キラは怒られた子供のように首をすくめて見せたけど、口調だけは冷静だった。
「近所迷惑じゃないかな?」
……いや、そうだけど。
「それともこのアパートの住人はみんな、夜勤の人たちだった?」
「〜〜〜っ、……入って」
部屋には上げたくなかったけど、外だと腹を割って話せないから仕方ない。
部屋に招くと彼女は椅子にかけて、私は一応お茶を出した。粗茶だ。
「それで? なに用で参った、泥棒猫」
暴言を吐いた私を、キラはおかしそうに、くすっと笑う。
このなにを考えているかわからないところが、昔から嫌いで……いや、少し怖かったんだ。
幼馴染の私ですら、なかなか素を見せてもらえない。
「一言目がクズ聖職者で、次が泥棒猫? もう彼氏よりも、シュンくんに心の比重が移行しているんだなぁって」
「当たり前でしょう? 浮気するやつより、シュンの方が断然かわいい」
キラが同意を表すように目を細める。
「わかるよ? シュンくん、とってもいい子だもの。学校でも、それ以外でも……ね」
その含みのある言い草が腹立つなぁ。
「教師が教え子に手を出していいと思ってるの? それとも、若い男の子を弄ぶために教師になった、とか?」
「まさか。教員試験に受かったから、教員になっただけ。仕事は真面目にしているし、打算はないよ? だからかな? 不思議と生徒たちが寄ってくるの。……寂しい子、とかね。無下にしたらかわいそうだから、なるべくね、見捨てないことにしてるの」
こいつに教員免許を与えたのは誰だ。そして顔も知らない校長よ、なぜこのクズを採用した。顔か。雰囲気か。
だけどまぁ、
「キラの性格が変わってないことに、とりあえず安心した」
正直な話、もっとイカれっぷりが加速してたらどうしようかと思った。それこそ対処できない。
さすがに驚いたらしく、お茶をすする私の向かいでキラが真顔で問いかけてくる。
「……なにが、よかったの?」
「シュンのこと。執着しているわけではなさそうだから」
キラが目を丸くしてから、控えめにくすくす笑い出した。
「生徒に本気になるわけないじゃない。ミツったら、おかしいわ。――でもそういうところが、」
そういうところが?
キラはちょうど半端に口を閉ざすと、軽く口角を上げた。
…………言わんのかい!
どうせバカだと思っているのだろうが。
だけど、この間シュンをけしかけたのは、私に対する嫌がらせであり、シュンを取り戻すための行為ではなかったということは認めた。
ならば――、
「シュンのこと、贔屓しろとは言わないから、からかわないであげて。就職するにしても進学するにしても、今は大事なときだろうから」
私がそうお願いすると、キラが意外そうな顔を向けてきた。
「シュンくんご機嫌だったから、てっきり落とされたんだと思っていたのに、違ったの? ミツはあくまで親心で、シュンくんの片想いなわけかぁ。かわいそう」
キラは嬉しそうに微笑む。
なのでそれにはあえて反論せず、そう思わせておくことにした。もうちょっかいをかけられたくないからだ。
実際親心も含まれているし。
「返事は」
「ミツこそ、相変わらずせっかちだね。私、仕事はおろそかにしないよ? 国立と、奨学金で通えそうな大学はいくつか見つけてあるから、後はシュンくん次第かな」
やっぱり大学を薦める気なのか。そりゃあそうか。
「ミツの意思もわかったことだし、お暇するね。お茶、飲んでないけどありがとう」
そう言って席を立ったキラに、私は逡巡してから、引き止めるように言葉をかけた。
「……ねえ、キラ。ひとつだけ……問題があるんだけど」
怪訝そうに見下ろされて、一度お茶で喉を潤し、告白した。
「実はさ……結婚しちゃったんだよね」
「?」
「酔った勢いというか……シュンと」
「…………はぁ?」
驚くのは無理もない。キラが知らなかったということは、達巳ともあれから連絡を取り合っていないらしい。
シュンも沈黙を貫いているし。
俯いていると、バン! とテーブルに平手を落とされ、おそるおそるキラの方へと目を向け、速攻で暴露したことを後悔した。
こここ怖い! 微笑みを浮かべた鬼が降臨された!
「ひぃっ……!」
「なーにーをーしてくれてるの・か・な? このバカは!」
ぐいっと胸ぐらを掴まれて、顔を引き起こされた。鼻先を近づけるキラはにこにこしながら悪鬼を背負っている。
もしかしたら、魔王かもしれない。
口調が変わらないところがさらに怖さを煽る。
「高校生の分際で結婚に夢見ているあの子もあの子だけどね、ミツもミツだよ。いくらお人好しだからって、なんで簡単につけ込まれちゃうのかな? もう、頭痛い……。これ、どう落とし前つけるんだろうね? うん?」
「ごごごごめんなさいぃ〜……」
首を絞める力が増す。私は身をすくめる。
「謝って済むのなら、警察いらないよね? それに、そんな大問題、なんで真っ先に私に言わないのかな? ミツはアホなのかなぁ? 名字が変わったら、書類は書き換えないといけないし、把握していなかったことであの校長にも頭下げないといけないの。……もしかして、私に対するこれまでの仕返し? だったらね、とーっても効いたよ? 本当に、信じられないくらいに、ね? だけど今は――ミツのアホさ加減に、心底ゾッとしてる」
ちょいちょい校長が話題にあがるなー。見たくなってきたわー。
首を絞められながら遠い目をして現実逃避していると、ふいに私たちのではない別の声が割り込んできた。
「ハ、ハニー……?」
そんな呼称をするのは、あの子しかいない。
微笑みを貼りつけ襟首を締める担任と、絞められる妻。
そんな光景を目にし、驚愕に目を見開き立ち尽くすシュンの姿がそこにあった。
あぁぁ……。また厄介なことになりそうな予感が……。
たぶん校長は一生出て来ません。




