ハニー2
――昨日。そう、昨日のことだ。
歳も歳だし、このまま結婚もあるかなぁと考えていた彼氏と、幼稚園から小中高大と同じ学校で腐れ縁だった幼馴染が、腕を組んでホテルに消えていったのを目撃してしまった件は、私の精神衛生上割愛しておく。
あっけに取られすぎて、証拠写真のひとつも取れなかった私を誰が笑えよう!
……と、まぁ。それは置いておくとして、そのあとのことだった。普段は一滴も飲まない私がコンビニでビールを買って、その場で煽った。素面ではやってられなかった。
悔しくて号泣しながら呑んだ酒は相変わらず苦くて、これが失恋の味なのだなと、今考えたら身悶えたくなるような痛い感傷に浸りながら家路を急いでいたのだけど、きらびやかな光を放つゲームセンターの前で、ふと足が止まった。
UFOキャッチャーの台の中から、ちょこんと座ったかわいらしい人形と目が合って、その場に縫いとめられてしまったのだ。
べた、とガラスに張りつき、その子と目と目で語り合った結果――、
よし。連れて帰ろう。
奮い立ってゲームセンターに足を踏み入れた。
そして鼓膜を揺らす騒々しさの中、両替機で千円札を十枚の百円玉へと替えた。
ゲーセンに入るのなんて、何年ぶりだろう。
学生時代にわけもなくプリクラを撮りまくってたとき以来?
UFOキャッチャーなんて、それこそ十数年ぶりだった。
百円を投入して、アームを動かす。二本のものではなく、三本のものだ。ボタンも三つ。横と縦の動きに加えて、降りてくアームがつかむ位置を選べる台らしい。
狙いを定めてボタンを押して、人形の顔の部分でかしょん、とアームが閉じ、人形が宙に浮く。やった、と思ったときだった。取り出し口へと動いたアームによって、人形があっけなく振り落とされた。
「なんだそれ!」
悪酔いしていた私は、台へと盛大に突っ込んだ。
間髪入れずにまた百円玉を入れてアームを操作する。倒れた状態の人形の、腰のあたりを狙った。
だけど宙に浮きはしても、また動くとすぐに落ちてしまう。
あ、でも。さっきよりも近づいてきた……?
人間はこうして堕ちていくらしい。
ただださえ冷静さを欠いていた私は、その人形を取るために百円玉をつぎ込んだ。もう一度、もう一度と、理性を失い両替機へ走り、またつぎ込んだ。つぎ込んでつぎ込んでつぎ込みまくった。
――けど、
「取れないじゃんっ!!」
あとちょっとのところで、人形が元の位置へと逆戻りしてしまった。しかもはじめと寸分の狂いもなく座った状態という、なくていい奇跡。
なんて、ついてない。
「ああぁぁあぁぁ……もうっ!」
台に額をつけて、悔しさに涙をこぼしながら最後の百円玉を入れた。
これがラストチャンス。ボタンを押そうとした私の指が、そこて唐突に横から払われた。
は? と思っていると、いつの間にかとなりにハタチくらいのカジュアルな格好をした青年が立っていて、私のやっていた台を勝手に操作していた。
「ちょっと、君! まだやってるんだけど!」
横の操作を奪われた私が睨み上げながら文句を言うと、ちらっとだけこちらを見遣った彼が、
「お姉さん、下手すぎ」
一撃で沈没した私を笑って、彼は悠々と縦移動の操作をした。そしてアームが降りていく。そのある一点で、彼がボタンを押した。私が操作したときよりも、わずかに早く。
「早くない?」
「早くない」
「えー?」
張りついたままの私は、そこで驚くべき光景を目の当たりにした。アームの一本が、人形の後頭部付近にあるキーリングの穴に入ったのだ。
「え、嘘!」
うまくキーリングにはまったことで、動いても振り落とされない。そのまま人形は受け口へと移動して、落とされた。
「おおぉぉおぉぉぉぉっ!!」
幸い、歓喜の雄叫びを上げてもゲーセンの中はうるさくて気にならない。普段から気にしないが。
そしめ感動の対面に震える両手で、私は人形を掬い上げた。
「アメリアー!」
インスピレーションで浮かんだ名前を即座につけて、私はその愛しい人形と抱擁を交わした。
その様子を黙って見下ろしていた彼は、とうとうたまらなくなったというように、ぷっ、と噴き出す。
「酔っ払いのノリ、ウケる」
「うるさいうるさい! 今日からこの子は私の娘なんです! 名前くらいつけてもいいでしょう!?」
「いいけど、それ取ったの俺だよ?」
彼が私のアメリアを、ちょんと指差して言った。
これはまさか、私のアメリアちゃんを奪う気!?
「私のお金でしょうが!」
出資者がもらってしかるべきだ……と思う。
彼はなにかおもしろい思いつきでもしたのか、あはっ、と笑った。年相応に、くったくない。
素直に、かわいい、と思った。
「じゃあ共同作業だね。その……アメリア? お姉さんと俺の、子供ってことにしない?」
うーん………………なるほど。子供は母親だけでは生まれないし。
「でも、親権は私がもらうから!」
「なんで離婚前提? 幸せな結婚生活しようよ。アメリアも、パパとママは一緒がいいなぁ〜って、言ってるし」
えー……と思いアメリアへと目を落とせば、キラキラした視線で、離婚しないで、と私に訴えかけてきている……ようにも見えた。
酔いの見せた幻想だった。
「……よし。あいわかった」
「ほんと? じゃあはい、これ。この婚姻届、書いて」
彼は自分の鞄から、なぜか色々と記入済みの婚姻届を出してきた。
おいおい君、なんでこんなもの持ってるわけ?
と、そう突っ込んで、丁重に返却しなければならなかった。
なのに酔いとアメリアゲットにより、かなり陽気で愉快な気分になっていた私は、冷静な判断を怠り、その場のノリで言われるがままに婚姻届を受け取ってしまった。
だってあれでしょう。冗談でしょう?
昨日酔っ払いに婚姻届書かせたんだー、あははー。でしょう?
笑い話として友達とかに話すんでしょう?
ならば、よし。笑いを提供してやろうじゃないか。
「ところで今さらだけど、お姉さん、彼氏いる?」
ペンを持つ手が一瞬止まったが、平静を装いつらつら書き記しながらありのままに言った。
「ついさっき浮気現場を目撃して見切りをつけたことですが、なにか」
「そうなの? 俺も似たような感じだから、ちょうどいいね」
なにがちょうどいいね、だ。
ふてくされながら、手渡されたペンで私は続きを記入していく。
酔いのせいか私の目には文字が歪んで見えるけど、なんとか判読可能だったらしい。
「へぇ。お姉さんの名前、蜂谷……蜜っていうの? 実家養蜂家の人?」
「ううん。普通のサラリーマン家庭。うちのおかーさまが、ハニートースト食べてるときに産気づいたんだって」
私は特に考えることなく、ペンを走らせながら淡々と説明した。この説明を、これまで何度もしてきたから。
それでも学校とかでからかわれることがなかったのは、私以上の名前の持ち主がいたからだ。
最近は下火になったのかまだ継続しているのかわからないけど、いわゆるキラキラネームとかDQNネームとかいうやつだ。
私の場合は、ただただ父も母も名前にこだわりを持つ人間じゃなかったというだけの話だけど。
だって、ねえ? ハニートーストって。
トーストの方じゃなくてよかったという気持ちでいっぱいだよ。
「ふぅん、そうなんだ? じゃあ、ハニーって呼ぼうかな。俺のハニーだし」
軽く小首を傾げる愛嬌のある仕草をした彼に、私は大笑いした。
「あははははは! ハニーだって、ハニー! 外国人か!」
ノリで軽く突っ込みを入れる。
それは呼ばれたことがない。この子おもしろいわ。
「あ。俺のことは、ダーリンって呼ばないでね」
「うん」
当たり前じゃないかと思って頷いたのに、彼はにこにこして、自分を指差したまま動かない。
え……なにそれ。もしかして、フリだったの?
「呼ひませんけど!?」
そういえば、この子、名前なんだっけ。
私はかすむ視界で婚姻届に記されている名前の欄に顔を近づけて眺める。
――氏、ハーイェク。名、シュン。
「…………」
しばしの間ののち、私は先ほどとまったく同じで本気の突っ込みをした。
「外国人か!」
アメリアのモデルは、ジョ○ードールです。(これ、伏字にしなくてもいいのかな?)
ちょっと実話入っています。この子を取るために、いくらかけたか……。なのに、雑貨屋とかに売っているんですよー。あまりに切なかったので、物語に組み込みました。
うちには三人いて、あと一人加えて、私の別のお話の中で登場する四姉妹の名前をつけようかと(*´꒳`*)