ハニー14
――で、だ。
「なにがあったの?」
根気強くしゃべるのを待つと、今一番聞きたくない、それでいて一番の元凶だと私が目星をつけていた女の名前を口にした。
「……俺の担任……、小日向姫星って、知ってる?」
……やっぱり。
「それ、私の……幼馴染、だね。たぶん」
同姓同名がいなければね。
いないだろうとは思うけど。
「……付き合ってたこと、知ってた?」
シュンと彼女が、ということだろうか。
私の知る幼馴染は、聖職者でありながら教え子に手を出してもなんとも思わないやつだ。シュンが教師と付き合っていると知ってからは、なんとなくそうかな、とは思っていた。
いや、ほぼ確信していた。
だってあいつ、男なんて自分を飾るアクセサリー以下の存在だとしか思っていない、真性の鬼畜だから。
虫も殺さないかわいい顔をして平気で男をポイする。そして私の好きな人や彼氏を、気まぐれに寝取る。そしてすぐに飽きて、ポイ。そのループ。
なんなんだろうね。
私に男の影があることが気に入らないらしい。
「なんとなくね。――あ、でも。気づいたのは、お散歩デートのときだから」
「……うん。ハニーのこと、信じる」
ああ、よかった……。あの女の毒牙から、うちのシュンをどうにか救い出せて。
おおかた、私に嫌われるようシュンをけしかけて、別れさせる作戦だったのだろうよ。
「信じてくれてありがとうね」
まさかお礼を言われると思っていなかったのか、シュンは気まずげに視線を落として、目に入ったらしい私の手首へとおずおず触れた。
「…………ごめん。手、痛かった?」
労わるように、シュンの手が私の手首をなぞる。
痛いことは痛いしうっすら跡が残っているが、これくらい平気だ。
「いいよ。シュンならわかってくれると思ったし。……まぁ、あのまま無体を強いられてたら、別れてたかもだけど」
ぼそっと呟くと、シュンが己のしたことをようやく理解したのか、さぁっと血の気を引かせて青ざめた。
「え……、本気、で?」
「本気で。だってそれって、私よりも元カノを信じたってことになるじゃん。それは私の基準では浮気です」
「だってっ……! ハニーが……させてくれないのは事実だったし……。彼氏奪ったとかは、嘘だとは思ったけど……」
あんにゃろう……。嘘ばっか教えてやがって!
「あのね、シュンよ。いいかい、よーくお聞き。人の彼氏を取ったのは、あっちだから! 達巳の浮気相手、あいつだから!」
さすがにそこまで思い至ってなかったのか、シュンはきょとんとして瞬いている。
「あの子がシュンの誕生日に会ってたのは、達巳。だから私とシュンが出会ったのは偶然だけど、なるようにしてなったといえばそうかもしれない。それでも、その時点で私はシュンのことを知らなかったから、やっぱり偶然だと思う。もしかしたら、運命だったりして? あははー」
怒ってないからね、という意味を込めて場を和ますために茶化してみたら、シュンが間に受けてほわっと顔を染めた。
照れからか、私と目が合う寸前にその顔をすいっと下げて隠してしまう。
いや、かわいいんだけどね? かわいいんだけど……、人の胸に顔を埋めて隠すっていうのは、いかがなものかしら?
まだパジャマを羽織った程度のままだから、ナイトブラに直接シュンの顔が触れている。
ここはひとつ、慈しむように抱いてやればいいのか?
対処の仕方がわからないから、羽を抱くように軽く抱きしめた。
「……先生が、大嘘つきなことは、わかった。だけど、ハニーが身も心も俺にくれたら、疑うことなんてしなかった」
身も心も……って。
君、結構すごいこと言うね……。
「えーと、シュンが嫌なわけじゃないのよ? ただ普通に、ね? 制服着てる子に、そういう気が起きないだけで」
シュンが目に見えてショックを受けている。みるみる感情が沈んでいく。
あのね。あたりまえでしょうが。
いくら結婚できる年だからって、私からしたらまだまだ子供だからね。
それにさ、この中途半端な時期に、私が彼の人生を左右するような行動は起こしたくない。万が一子供でもできたらどうする? 嬉しい反面、罪悪感が一生つきまとうことになるよ。
ただでさえ酔って結婚してしまったんだから、あとはこの子の将来のことをなによりも優先に考えねばならないじゃないかと、思うわけですよ。
「それは……卒業したらっていいってこと?」
落胆したままの眼差しが、ほんのちょっとの期待を宿して下から覗く。
「…………まあ、そういうことだね」
「えー……」
えー、って。
「だって、ハニーだって、目の前におあつらえ向きに若くておいしそうなイケメンがいるのに、手を出さないでいられる? 我慢できる? 据え膳食わねば恥って言うし」
「それ、男の、だから」
わざと男を抜いたな?
でも自分でイケメンって言っちゃえる自信が戻ってくれてよかったよ。
「色仕掛けしてもなびかない?」
「なびきません」
「絶対? 俺が本気で落としにかかっても?」
え……、なにか? これまでのは本気じゃなかったと?
「…………持てる技をすべて駆使して、ハニーを欲情させれば……」
「え?」
シュンの目がつっと細められて、あどけなさを残しつつ艶とした悪どい笑みを浮かべ、赤い舌で下唇を舐める。そのぬれた唇で、腰の引けた私の耳朶へと低く囁く。
「愛してるよ、俺のハニー」
「〜〜〜っ!」
内心悶絶しつつ、でも耐えた。すべての意識を総動員させて、頭の中でお経を唱えて、耐え抜いた。
だけどひとつ叫びたい。
誰だ、この子に色気を仕込んだのはー!!




