シュン3
女性の体型に関する話題が出てきます。
そして後半から次回にかけて、ちょっと重たい雰囲気になっております。
苦手な方はご注意を!
「シュ・ン・く・ん」
寮で課題の問題集をといていると、武史が気持ち悪い声音で名前を呼び、ハンドボールサイズのクッションを後頭部へとぶつけてきた。
「いって! なんだよ!」
「いーや? なんでもー?」
にやついている時点で、なんの話かはわかるが、こっちから聞くのは癪だ。
武史のせいで教師と付き合ってたことがハニーに知られてしまったのは不覚だったけど、軽蔑されたりはしなかった。ほんと、ハニーは優しくて包容力がある。……おっぱいもある。
「なに赤くなってんだよ。うらやましいっつーの!」
背後から首を筋肉の浮き出た固い腕で戒められたた。加減はしてるものの、図体の差を考えてほしい。
「重っ……!」
「顔がいいやつは得だよなー」
「バレー部のエースが、なにほざいてるんだか」
武史は残念な頭の持ち主でも、スポーツができるし顔も悪くない。大会できゃーきゃーと黄色い歓声をあげる女子にドン引きしたくらいには、モテると思う。
ただ、本人の理想が高すぎるのが、まず一番の問題で。
「俺も年上のお姉さまに、虫けらみたいに見下されて足蹴にされたい」
熱っぽい吐息を首筋にかけないでほしい。鳥肌が立った。
「うちのハニーは踏みつけないからね? 甘やかす方だから」
俺にそういう被虐趣味はない。いくらハニーでも、わけもなく蹴られたらへこむ。嫌われたのかと思って、しばらくいじける自信がある。
「甘やかすって、具体的には?」
こいつマジで鬱陶しいから、盛大にのろけてやろうと思う。
「俺の誕生日にケーキを買ってバースデーソング歌って祝ってくれてー、仕事で疲れて帰ってきても俺のためだけにご飯を作ってくれてー、寝てるときは無意識に頭を撫でてくれたり、ぎゅってしてくれたりー、それから――」
「もういい! やめろっ! それ以上は俺の身体に毒だ!」
ハニーのいいところは、まだまだこれからなのに。
「あと、たぶんEカップ」
「もういいって言ってんだろうがぁぁぁ、こいつめッ!!」
ヘッドロックされたら、仕返したりしていると、メッセージの通知音が鳴った。武史のではなく、机に置いてあった俺のが。
「……彼女か?」
「うーん、違う、と思う」
俺はハニーのスマホをチェックしているから連絡先を知っているけど、ハニーは俺のを知らないはず。寂しいけど、聞かれないし。
こっそり登録はしてあるけど、気づいてないよねー。
意外と友達少ないのか、あんまりスマホを使っているところ、見たことないから。
「確認しなくていいのか?」
「いいんじゃない? どうせ大した用じゃないし」
「おっ? シュンって、実は俺のことが好きなんじゃねー?」
調子に乗った武史に、ひとまずキモいから頭突きをかましておいた。
*
寮生が寝静まる深夜。二階の窓から音を殺してひらりと飛び降り、少し前までよくこの時間に足を運んでいた旧校舎の中庭へと訪れた。しかも、わざわざ制服に着替えてだ。
気乗りしなかったけど、身辺をクリーンにしてという、ハニーたっての希望だから。
叶えてあげないとね。
先についていたのか、朽ちかけたベンチから腰を上げてこちらへ楚々と手を振る元カノ――小日向姫星。俺の、担任。
優しげな面差しへと、中庭に差す月明かりが照らし儚くも幻想的に見えるその光景に、一瞬だけ胸が高鳴り足を踏み出しかけて、ハニーの顔を思い出して思いとどまる。
距離を保ったまま、こちらから俺を呼んだ理由を問いかけた。
「なにか用ですか? ――先生」
彼女はやはりたいした感情の揺れもなく、苦笑して手を下ろした。
「私、嫌われちゃったのかな?」
「うん。だって、俺の誕生日忘れて、他の男に会いに行ったじゃん」
ひどいよね。おめでとうもなかったんだからさ。
「それはね、先生にも事情があったの。それを聞いてくれるかな?」
懇願するでもなく、すがるでもなく、あくまでも普段通りの彼女の態度に訝りながらも、その事情とやらだけは聞いてあげることにした。
「聞いてもいいけど……気持ちは変わらないよ?」
「それでもいいよ。聞いて?」
彼女がベンチへとかける。隣に座りたくはなかったので、後ろからその背もたれへと腰を預けた。
「今日ね、見ちゃった。シュンくん、わざとあそこでキスしてたでしょう。運動部のランニングコースだものね」
「見てたんだ? ふぅん、妬けた?」
いじわる心で茶化す。本当はそんな余裕なんてないことを、隠したくて大人ぶる。
「私がつれなくしちゃったから、嫌われても仕方ないよね……。だけどシュンくんが、新しい恋人と相思相愛で幸せなら、私もなにも言わなかったんだけど……ね」
「……相思相愛だよ?」
なに言ってるの?
先生がこちらへと顔を向けた。その目に憐憫や同情がにじんでいて、戸惑う。
本能的に、よくないことを口にするだろうことを察して目を逸らす。慣れた真っ暗な旧校舎が、今日はなぜか怖ろしく映った。
「ミツでしょう? 一緒にいたのは」
虫の予感というか、その名前が彼女の口から出てくる気がして身構えていたから、表面上はそれほど驚きをあらわにしなかった。
「あんまりびっくりしていないね。もしかして聞いていたのかな、ミツに。私と、幼馴染だってこと」
幼馴染……?
驚きを隠しきれずに、彼女を見てしまった。その瞳から、目を背けられない。
知り合いがいると言っていたが、まさかこんなに近くにいるとは思っていなかった。
「そこまでは聞いていないかな? ……言わないよね、あの子、ずるい子だから」
「ずるい?」
先生が華奢な細い肩をすくめた。
「昔から私のことが嫌いでね、私の好きな人とか彼氏を、あてつけで奪っていくの。……シュンくんも、騙されちゃったのかな?」
じっと、その憐れむような目で見つめられると、どうしていいのかわからなくなる。
だけど、ハニーはそんな卑怯なことをする性格じゃない。
「嘘だね。俺たちが出会ったのは、間違いなく偶然だった」
声をかけたのは俺からだ。それにあのとき、ハニーはベロベロに悪酔いしていた。
ただ……、確かに、そこまでお酒臭くはなかった。
「高校生の行動範囲なんて広くないから、調べたらすぐにわかることだよ。いつも私の本命を奪っていくの。だけどただのあてつけだから、思わせぶりなそぶりをしても絶対に身体は開かないの。そうでしょう?」
「……」
沈黙が答えだった。
ハニーは身体を許してはくれない。
「かわいそうなシュンくん」
――かわいそう? 俺が?
先生に抱き寄せられる。拒絶することができなかった。言葉は魔力だ。かわいそうと言われると、かわいそうな子だった頃の自分に、今の強がって生きている自分と取って代わられそうになる。……つけ込まれる。
心では名字なんかよりも、俺を愛してくれる家族がほしかった。
誕生日を祝ってくれたあの人がそうだと確信していた。
なにが嘘で、なにが本当なんだろう?
「…………彼女は、そんな人じゃない」
絞り出したその声は、震えていてもはっきりとしていた。
だけど、今相手にしているのは、俺よりもいくつも歳を重ねた大人だった。動揺なんて、手に取るように見透かされていた。
「ミツはね、潔癖なの。好きな人以外とは、絶対にしないよ」
俺のばかり好きで、疑念に先生の穏やかな言葉がじわりと溶け込んでいく。
抱きしめてくる先生の腕の中。たぶん俺は、闇に沈んだ旧校舎よりも、ほの暗い目をしていた。




