第55話 もっと踊ろう
左手で掴んだナイフが落ちていく。慌てて右手でもナイフをつかむが、痺れた右手ではナイフはまた落とした。雨に濡れたナイフが滑るようにして落ちていく。
そして、目の前で投げつけた上着が吹き飛んだ。
さらに左手で、再び別のナイフをつかむが、その時には既に黒衣の女の右手が迫ってきていた。
まだ、バックラーは再生しておらず、メイスも落とした。
このまま近づかれれば、爆発で頭を吹き飛ばされる。
頭を吹き飛ばされて、回復できるのだろうか。
いや、無理だろうな。
このまま頭を吹き飛ばされるのだろうか。
そう、そのまま行けば。
痺れた右手を振り払い、黒衣の女の右手を振り払う。タイミングがずれたのか、何もない場所で爆発が起きて、赤茶けた砂と雨がはじけ飛んだ。
ようやく、この機会が来た。
意識を集中する。
落としたナイフ、否、落としてセッティングしたナイフに意識を集中する。
雨が降ろうと、風が吹こうと、決して消えない炎をイメージする。
本来そんな炎なんてありえないことはわかっているが、強引にでもイメージをする。
落とした二本のと持っていたナイフが燃え上がった。
そうだ、決して消えないほど燃え上がるイメージを持続し、空気を取り込んでより燃え上がるように、さらに炎を噴出して加速させる。
左手のナイフを投げつける。同時に、全部で三本のナイフが柄から炎を噴出して飛んでいく。
飛んでいく先は、目の前にいる黒衣の女だ。
三本ともが、黒衣の女の左腕と胴体に深々と突き刺さる。刺さった瞬間に炎は掻き消えてしまったが、これで十分だ。これで、十分に降参するだけの材料をそろえることができた。
「か、はっ」
黒衣の女がよろめきながら後ろへと下がっていく。ナイフは深々と刺さっているが、炎で熱せられていたからか、傷口は焼きふさがってしまい出血はほとんどない様だ。だが、その代わり、ナイフは傷口に固定されて引抜きにくくなっているだろう。
「どうする?」
ちゃんと発音できたかわからない。それだけ、顎へのダメージで体がふらついてうまく動かなかった。
だが、黒衣の女は意味はわかるだろう。これ以上続けるか、否か。
続けるにしたって、俺を倒してもまだアレクサンダーがいることを認識していれば、無理はできないと判断できるはず。そう、そう判断して降伏するのを狙っている。
もっとも、本当は、アレクサンダーは電池が少なく、水鉄砲を使うのが関の山なわけだが。
アレクサンダーと俺は、村の広場で事前に準備をしていた。
あいつが小さな水の球を大量に作り出し、俺がそれを炎で蒸気にしてまき散らす。
そうして暫くすれば、アレクサンダーの能力もあって、冷えた水が雨として降ってくる寸法だ。さらに、アレクサンダーが操る水である以上、奴の感覚も雨の範囲の分だけ拡張される。
黒衣の女が、いない可能性もあったが、いるならば雨で探査が可能であり、姿を消して音を消そうと、奴にならその場所がわかる。だが、それは一種の賭けだった。なぜなら、降雨と探査で電池を大量に消費するから、探査後にはほとんど戦えなくなる。
そして降った雨からバックラーを作り出すこともして、それを維持している。
これだけでも、電池残量がギリギリになる計算だった。
あの自己主張の強いアレクサンダーを下がらせて、俺が戦うのが自然の流れになるように一芝居うってもいる。
後は、俺が追い詰めていき、最悪でも相打ちにまで持ち込むだけだ。
黒衣の女は、アレクサンダーが戦えると判断していれば、それでいい。そうすれば、黒衣の女は、俺に僅差で勝ったとしても、より相性の悪いアレクサンダーがいることで、降参するはず。
だが、黒衣の女の目は、こちらをにらみつけており、もうひと押し必要に思えた。
「まだ、やるなら、後悔するなよ!」
「黙れ!」
さらに腰に忍ばせていた四本のナイフを取り出して、空に放り投げた。
どれだけ濡れようと、例え水の中にあろうと、燃やしてやる。
宙でナイフが発火し、次々と赤い軌跡を描きながら黒衣の女に向かって飛んでいく。黒衣の女が、自由の利く右手を振りかざして爆発を起こす。
だが、ナイフは爆発をよけて黒衣の女にさらに突き刺さっていく。右腕、胸、太もも、ふくらはぎ。
黒衣の女が歯を食いしばりながら、いまだに此方をにらみつけたまま倒れ込んだ。相変わらず出血はないが、それでもかなりの痛みなのだろう。
俺はよろめきながら、歩いていくと、なんと、黒衣の女が立ち上がろうとしている。
「無理すんな!」
「うるさい。負けてたまるか!」
黒衣の女は、完全に立ち上がってしまった。
なら、まだ、やり合うしかないのか。
こっちだって、意識はフラフラしているし、足元だっておぼつかない。それでも、やり合うしかない。
残りのナイフは三本、全部鉄製の同じ形をしたナイフだ。単にセットで買うから値切りしただけであったりもするが。
ナイフを燃やす。
ナイフは燃え上がる。
一直線にナイフは、赤い軌跡を描きながら飛んでいく。
黒衣の女の行動は予想外にも、ただひたすらに前に向かって足を出してきた。
ナイフが突き刺さり、そのたびに体勢を崩しながらも、こちらへと向かってくる。拳をまるで振り回すかのように殴りつけてくる。腕で、腕を押さえながら、痺れた右手を握りしめて拳を振るう。
その拳も、黒衣の女の腕に阻まれる。阻まれた瞬間に、黒衣の女が前のめりになって突っ込んできて、脳天で俺の顎を揺らした。
顎へのさらなる攻撃で、足がふらつく。
なんで、こう、顎ばっかり狙ってくるかね。
だったら、今度は。
強引に足を踏みしめる。今日、何度、強引に身体を動かしているだろうか。だが、強引でもなんでも、目的を果たさないといけないんだ。
頭の後ろから炎を噴出させる。
「おっつらー!」
自分の頭がかっとんで行く。
単純な頭突きが黒衣の女の顔面にぶつかる。額に強い衝撃が走るが、黒衣の女はグラリと倒れ込んでいった。こちらをにらみながら、目は閉ざされていった。意識を失ったのだろうか。
何本ものナイフが突き刺さり、何度も衝撃を与えて、平然としている方がおかしいのだ。
こいつも何か目的、役割があったのかもしれない。そのために、ここまで耐えて戦い続けたのだろう。
だが、それはへし折る。阻む。止める。
「終わったか?」
アレクサンダーが、慎重にそうに、シカゴ・タイプライターを黒衣の女に向けながらこちらに歩いてきた。
「ああ」
黒衣の女はぴくりとも動かない。死んではいないはずだと思うが、死んでいたら後味が悪すぎるな。
「これで必要ないか」
小さく出来つつあった水のバックラーが崩れ去って流れていった。バックラーの形成を止めたのだろう。
「さて、結局、このミズXは何者かわからないし、目的も依然として不明だが」
「そうだな。ゆっくりと話を聞かせて貰えればいいだろう」
「つまり、助けるな?」
念を押すように言ってくる。敵対者は消すべきと考えるのではなく、しっかりと話を聞いて情報を集めるべきだろう。そのためには、怪我くらいは手当てしてやるべきだ。
どうせ、アレクサンダーも同じ考えであるだろうにな。
「助けろよ。ナイフは抜いて、傷口だけでも塞げ」
「僕が?」
「俺も限界なんだよ」
そう言ったときには、俺も尻から地面に倒れ込んでいた。一旦冷静になったせいか、顎に鋭い痛みと鈍い痛みが同時に感じられる。思いっきりくらったもんな。
「判ったよ。電池が回復次第、君たちの回復をするよ。運ばせるのに、村から人手も出して貰ってくる」
アレクサンダーもうんと頷いて、納得しているようだ。
雨音が消えた。ただ、空に黒雲は立ちこめたままだ。アレクサンダーの降雨の時間も切れたようだ。タイミングが良いように虹なんて現れない。実際は、そんなもんだよな。
「しっかし、なんで、戦う度にずぶ濡れになるんだ」
「なんでだろうかな。全く」
「あーあ、疲れた」
本当に疲れた。戦いの緊張感がプツンと切れて、異様なほどの疲労感が出てきた。
でも、なんとなくだけど、本当になんとなくだが、何処か心地よいように思えた。




