持ち物 3 勝利を告げる結束の御旗
9月20日 土曜日 13時00分
セミの声がしぶとくぱらつく、そんな休みの昼下がり。
親切なことに、校庭は普通に開放されている。
少年野球の練習を横目に、反対側で乙乎は鉄棒をしていた。大車輪だ。
ぐるぐる回るたびに、景色が青、茶色、青、茶色、と反転する。
と、そのうちに、空と地面のあいだに人影のようなものがちらっと映ったので、乙乎は回転をやめた。
身体が下に来たときにはずみをつけて前に飛び降りる。
着地のときに大きく踏み出した足の位置は直さずにそのまま半身に振り返って肩ごしに親指を立て、超カッコイイポーズを決めた。
「きゃー乙乎くんかっこいー」
木陰に座りこんでいた音菜の、黄色い棒読みの声援を浴びていると、
「お前ら早くね?」
鉄棒から一瞬見えた友親が歩いてきていた。
「逆上がり見てもらってたー」
乙乎は姿勢をまったく変えずに、親指を立てたほうの手をビシッと前に突き出した。
「できたのか?」
「もーちょっとなんだけどねー」
と、膝の裏をかかえて後ろにもたれかかる音菜。
「なら2学期中にはなんとかなりそうだな。じゃあ行こうぜ」
適当に答えて、友親は乙乎のほうを向いた。
「友親くんはやってかないのー?」
「いま気温30℃だぞ。あちーから鉄棒握りたくねーよ」
糸目がちの顔にちょっとしわを寄せて、友親は手をはらった。
9月20日 土曜日 13時45分
夏がぶり返してきたような陽炎の中をがんばってがんばって自転車こいで。
校門から大型ショッピングモール『ヘブンポートつくも』までの移動だけでひと仕事終えた気分になった。
「いやー疲れたな。メシくったばっかだしワキ腹もいてーわ」
「中は涼しくて気持ちいーね。まずどこいく?」
こんな遠くにわざわざやって来たのはほかでもない。
ここにはお店はいっぱいあるし、公園も隣についている。
その気になれば、朝から晩までここで過ごせる――というか実際、夏休みに何日もこのあたりをかよって、骨の髄まで遊びつくしたものだった。
小学生以下10円のプールとか。
早朝の『1000人あつまれ! ラジオ音頭』というイベントとか。
しかし、今回はそっちではなかった。
ちゃんとした買い物だった。
きのうのホームルームだけでは、目的ははっきりしたものの、じゃあなにをどうすればいいのか、具体的なことが決まらなかったので、作戦会議もかねて、遠足に必要なものを見に来たのだ。
「遠足の準備でいちばんの楽しみといえば?」
乙乎が人差し指を立てて、ふたりに逆にきき返す。
「やっぱおやつだろ。あとお弁当」
「それもいいけど……わたしはシートが見たいな。去年までつかってたのは古くなって自転車の雨よけにしちゃった。あたらしくてかわいーのほしー」
それぞれ答えが返ってくる。乙乎はうんうんとうなずいた。
おやつの存在は遠足において究極にして絶対、神にもひとしいものであることは永久普遍のまさしく真理なので、この場でそれを説明する必要性がまったくないことは自明であるため割愛するとして、乙乎は音菜の発言を拾い上げることにした。
「じゃあきょうはおやつとシートにしよう。お弁当はいれものがこわれていなければ今回はパスだ」
「おやつもきょう買うのかよ? まだあと13日もあるんだぜ? だいたいオレ400円しかもってねーし」
真っ先におやつと言ったのは友親だったが、確かにこれは正論だ。
じっくり吟味したいものではあるし、賞味期限なんかの問題もある。
しかし、乙乎がおやつを見に行こうと提案したのは、この場ではまだついでの用事だった。
「いつ買うにしても、どの道きょうのうちに食品売り場は回っておく必要がある」
「?」
「おやつはあとあと売り切れそうなものがあったらキープするくらいでいい……」
と、乙乎はTシャツの上にはおっていたオープンカラーのシャツをひっぱり、ふところにズバッと手をつっこんだ。
「そこで! ふたりとも、見てほしいのが……これだ!」
乙乎がズバッと取り出した手のひらに、わら半紙でできた冊子が乗っていた。
≪遠足大事典≫!!
「こ……これは!」
取り出した勢いで、ページがぱらぱらとめくれ上がる――
「『遠足のしおり』P.82。持ち物の章……第6節にある。
『おやつは300円迄とする。但し他人に譲渡或いは交換する場合、外装を含まない内容量を一気圧下に於ける重量で割り、小数点以下1桁で四捨五入し再計算した上での金額となる』」
「うん? なに、つまり……どういうことだ?」
「読めないんだけどー」
小学校では習わない漢字や熟語が多かったので、聞いていたふたりはさっぱりわからず乙乎にたずねた。
「おやつの『パッケージ』と『中身』でのトレードはダメ、って書いてあるんだ。
で、とっかえっこするときでも、ちゃんと同じ値段どうしでやってね、って意味だな」
「おやつの袋とおやつ本体を取りかえろって、それ完全にいじめじゃねーか。ふつー誰もやんねーだろ」
「だよねー。って、乙乎くんよくわかったねーその文」
乙乎はよせやいと言わんばかりに鼻の下を指でこすった。
べつに、乙乎はクラスで漢字博士の異名を欲しいままにしていたりはしない。
むしろ漢字テストなんかでは、答案用紙が真っ赤になって返ってくる。おもに、字が汚いから書き直しなさいという理由ではあるが。
ではなぜ、そのような難解な文章をすらすら読んで、その上要約までできたのかというと、早い話が調べたからだった。
漢字字典で読み方を、国語辞典でその意味を。
そんな情熱を普段の勉強でもいかせられればいうことはないのだが現実はそう甘くはなく、残念ながらその文章が書かれている冊子が遠足に関係するものでなかったら、乙乎は見向きもしなかっただろう。
それはおいといて、いまの文章はおやつの交換での不公平をなくすための規則として理解されたが、乙乎はそれに「表面上は」とつけくわえた。
「おやつはトレードすることも考えて、予算ギリギリまで買ったりしないですこし余裕を空けておこう。270円分くらいがいいかな」
「ふうん。そーなるとやっぱ、いますぐ買うのはむずかしくなってくるな」
「ね、ね。じゃあ先に、シートから見よーよ」
友親は組んでいた腕をほどいて音菜のほうを向いた。
「かまわねーけど、音菜はカネ大丈夫なのか?」
「うん! シート買いにいくっていったらおかーさんがくれたー」
音菜は元気よく両手をあげて飛び上がった。
行楽シーズンということもあって、入口すぐそばにレジャー用品売り場が広く取ってあった。
「第3節。シートの規定……
『シートは耐水性・耐摩耗性の何れに於いても一定の基準を満たす、屋外で敷布としての使用に充分耐え得る物とすること。尚、其の大きさや色柄に関しては此れを特記しないものとする』」
売り場の真ん中で、乙乎は『遠足のしおり』P.79を片手でひらいていた。
「かさばるからって新聞紙とかゴミ袋とかじゃあダメってことだな……ちっ」
「友親くんってこだわらない人?」
「このルールはお弁当とおおいに関係がある。第4節、お弁当……の、終わりのところだ。
『お弁当はシートを敷設した上でのみ、且つチーム毎に集合し隣接した状態で食すこと』」
「みんなで集まってお行儀よくね」
しおりにすでに『チーム』なんて言葉がはいっているが、それはこの遠足がミカドに仕組まれたものだという裏づけになる。
当然ながら、しおりが作成され配られたのがミカドの発言よりも先だからだ。
つまり、その文字が、しおりの存在、ひいては遠足の存在自体にミカドの根回しがあったことの証明だった。
しかし、いまさらそれを言っても始まらない。
乙乎は息をついてから、わざとらしくひとつ咳払いしてみせた。
「けんかや言い争いを防ぐためか、シートには場所取りの権利が発生する。
『チームメンバー全員分のシートを隣接した状態で敷設した箇所を、後から来た他のチームの者が無断で横領或いはそれに準ずる行為を取ることは、此れを禁止する』」
「つまり、大岩の上にシートを3人分広げれば、他のチームには取られないってことか」
読み上げながら、乙乎は自分の顔をライトで下から照らしつつシャツのすそをエアコンの風ではためかせていた。
さらには目の前にバーベキューコンロが置いてあった。
半年ほど前まではやっていた『モンスターサモナー』というコンピューターゲームがあって、乙乎はその中のモンスター召喚シーンを真似ていたつもりだった。
暗闇にぼんやり浮かぶ人影と、手に持った魔導書。
あとは空いたほうの手をさっと振りかざすと、足元の魔法陣からモンスターがランダムに飛び出して仲間にくわわる、というところまでがセットになっているはずだが、今回は初めから友親と音菜がコンロの外に立っていた。
というか、ふたりはすでにうろうろとシートを見て回っていた。
音菜あたりが「高学年だしアニメキャラのは卒業かなー」とか言ったり、それに友親なんかが「けど、こーいうのオレは好きだぜー『イヌーピー』とか『ミルキーハウス』とかの世界的に有名なヤツなんかはよー」などと返してそれに「じゃあこれはー? えーっとねー『アモン・クラウス』だってー」とカールした金髪のシルクハットおじさんがなんだかうさんくさい笑みを浮かべているものを指さしたりすると「全然知らねー」みたいな答えが来るといった流れでてきとうなところを眺めていた。
ちなみに、乙乎は個人的には『ギョフノリーをさがせ』がお気に入りだった。
これもいわゆる世界的に有名なキャラクターのシリーズで、おおきな一枚絵にものすごくたくさんの人物や小道具などが風景として描かれていて、その中にたったひとり、ナイトキャップとゴーグルがトレードマークの丸顔の青年が風景ごとのキーアイテムをちゃっかり入手しているところを見つけ出す、ゲーム仕立ての絵本が原作だ。
その名前から連想できるとおり、主人公は漁夫の利を得ている状況ばかりで、どの一枚絵もたくさんの人物が最低でもふたつの陣営に分かれて相争っている場面をコミカルに写しとっている。
まあそういったことは後にして、乙乎は壁際に突き当たろうとしたふたりの前に回りこんで待ちかまえていた。
さらにはあらかじめウルトラミラクルカッコイイポーズも決めていた。
握りこぶしを腰だめに構えて反対の手をおおきく横に広げる、『モンスターサモナー』略して『モーモー』の戦闘終了時にとるポーズ――というわけではなく、乙乎の自前だった。
「持ち物全体にいえることがある……そう、
『チーム内での荷物の割り振りは自由が利く』」
ちょっとびっくりした様子の彼らを見据え、乙乎は腕を真横に振ったまま静かに、しかし鋭く告げる――
「そしてさっきのシートの規定……あれを、荷物の割り振りと合わせると、見えてくるんだ……!」
立ちどまって注目する友親と音菜。
「オレたちの……勝利への道が!」
勝利条件――
≪みんなで座れるシートを1枚、誰か1人が先にゴールに持っていく!≫
今回の遠足に隠された陰謀、さらにはこまかく定められた決まりごと。
それらにいち早く気づいて、きのうから『遠足のしおり』を穴があくくらい読み、そこから導き出した解答。
緊急遠足事態が発令され臨戦遠足態勢にある乙乎の研ぎ澄まされた遠足力が、この方程式を解き明かすことを可能にしたのだ。
シートこそ、大岩に登るための必要条件!
これが、乙乎のたどりついた結論だった。
「それだぜ! 音菜、デカいの買えるか?」
「やった! じつはわたしもおっきいのがいーなって思ってたんだー。みんなでいっしょにおべんとたべよ!」
そのとき。
乙乎の、いや、彼ら全員の脳裏には共通の映像が浮かんでいた。
硝煙にけむる黄昏の丘の上、3人は座れようかというおおきな旗を背に、泥とすり傷にまみれながらも勝鬨をあげる戦士たちの姿が――
~ 次回予告 ~
芳香の中、彼は立っていた。
大いなる希望を胸に秘め、決意をその目にみなぎらせて!
それはあたかも、後光を背負っているかのように。
次回、遠足大事典 -Ensoyclopedia-
持ち物 4 特異点
――そろそろマトケの、時間にしようか。