持ち物 1 戦いの理由
9月19日 金曜日 5時限目 体育
チャイムと同時にボールをまとめて蹴りこんだ一宮 乙乎は、アシストをした二人の仲間にすかさず駆け寄り、ジャンピングハイタッチで華麗に締めた。
逆転勝利。
得点、4-2。
サッカーで2点差なのに逆転とはおかしい。
しかし、ゴールの中に転がるボールはふたつあった。
ひとつは白黒のスタンダードなもの。
もうひとつは、白と青、それに赤の3色を使ったもの。
柄のちがうふたつのボールは、点数もちがっていた。
白黒が1点、3色が3点。
ただし、3点のほうは負けているチームでないとゴールしても点がはいらない。
いっぺんに2個ゴールで4点ゲット。逆転勝利。おかしなところはなにもなかった。
この変則ルールは、乙乎が即興で考えたものだった。
最近の体育の時間は、大半が運動会の出し物の練習――男子は組体操、女子はバトントワリング――に取られてしまう。
なんとか浮いた自由時間、残り10分で勝敗の決まりやすいものを、ということで思いついたのがそれだった。
参加人数があわせて12人なのにボールが2個もあって、だいぶ乱戦状態になったけど、短時間で満足できるゲームになったので、よかったよかった。
と乙乎は気をよくして、後片づけもそこそこに、背中で語るみたいなウィニングポーズをどこかすみっこのほうで決めていた。
すぐにつかまって襟首を引きずられるはめになった。
9月19日 金曜日 6時限目 ホームルーム
給食・体育に続く、週の最後の授業がホームルーム。
だから、はっきり言って、ここまでくると勝ったも同然だった。
土日へのプレリュードをあざやかに奏でつつ、隣の席のクラスメイトとしゃべる乙乎の脳内は、すでに自由の大空へと翼を広げていた。
てきとうに刈りこまれた頭に巻いた、前の体育のときからずっとつけっぱなしの細長いはちまきをたなびかせてひゅんひゅんと、起きながらにして夢の中で空を飛び回るという器用なことをひとしきり楽しんで、遊びの提案を持ちかける。
「なあ、あとで『大激闘スラッシュファイティングドーム』持ってお前ん家行っていいか?」
「おうよ! 『大スライム』と、あと『光秀の謀反』カードも持って来いよな」
さっきの体育にかぎったことではなく、乙乎は対戦系のゲームが得意だ。
この土日で繰り広げられるであろう、手に汗握る一進一退の攻防――
それを想像するだけで、ついつい腕を組んで不敵な笑みを浮かべてしまうくらいには。
しかし、すぐに乙乎の心は呼び戻された。
もっといいものがあったからだ。
休日のレクリエーションよりも、もっといいもの。
それは、前の席から配られた、ちいさな冊子。
ピンク色の画用紙が表と裏の表紙になっている。
その表紙にはこう書いてあった。
『遠足のしおり』
それを見て、一瞬だけ動きをとめたあと、
――ついに、来た!
乙乎の心臓が踊り、血液が沸き返る。
「おっしゃあああっ!」
歓喜の雄たけびとガッツポーズがつい飛び出した。
当然だった。
乙乎は3度の飯よりも遠足が好きなのだ。
運動会よりも遠足が好きなのだ。
合唱コンクールよりも遠足が好きなのだ。
ちょっときゅうくつな、ふだんの学校生活からときはなたれて、心置きなく思いっきりはしゃぎ回る。
それはもう、とにかく走り回りに走り回り、跳ね回りに跳ね回る。
体育の授業もいいけど、遠足においてはその比ではない。
運動神経のリミッターが完全にはずれ、野生動物的な動きになるほどだ。
そして、その行き先ごとの、魅力たっぷりの地形や風景。
山でも川でもテーマパークでも。
すみからすみまで見て回って、そこでの最高の楽しみかたを探し出す。
前におこなわれた春の遠足では、川原の小石をきれいなものから88個集めて、星座のα星の名前をそれぞれつけた。
暗記力に自信があるわけではないけど、そればかりはどれがどれだか全部おぼえている。
で、その後その小石で、ふたつ隣の席のクラスメイトと、5秒で考えたおはじきビリヤードを10ラウンドほど熱く戦い抜いた。
さらに、楽しいのはなにも、遠足の当日だけではない。
前日の準備もワクワクするもの。
期待と興奮、ちょっとの不安。
それとおやつにお弁当。
リュックサックにつめこんで、あしたが楽しみ、眠れない。
未知なる大冒険に、いまから胸が高なりっぱなしだ。
ほかのことを考えるのをいっさいやめ、クラスメイトとのおしゃべりも打ち切って、乙乎は両手に握りしめた冊子に食らいついた。
早くも飢えた野生動物的な感じになって、しゃぶりつくさんばかりに楽しみをあさる。
むさぼるようにページをめくると――
遠足当日は10月3日……金曜日。
2週間先だ。
場所は、九十九森林自然公園。
乙乎は、まだ行ったことがない。
テレビで紹介してるのをちょっと見たくらいだ。
市の郊外、山あいにある広々としたのどかな公園、といった説明文があった。
学校からバスで1時間くらいかかるらしい。
要はバス遠足だ。
やばい、楽しみすぎる。
どんなところなんだろう。キレイな景色だといいな。
なにがあるんだろう。なにして遊ぼうか。
木登りはできるかな。遊具も全制覇しなくては。
乙乎の瞳がまだ見ぬ場所を映しこんで七色にキラキラ輝いた。
その光が次から次へと待望の警戒信号になって点滅しまくり、脳内はすでに天空を駆る超音速機がスクランブルしていた。
しかし、すぐに乙乎の心は被弾した。
「ええーっ!?」
クラス中が大きくどよめき、ついで静かにざわつきだした。
その寸前に聞いた言葉を、乙乎はすぐには理解できなかった。
いや。正しくは、頭が理解することを、瞬間的に拒否したのだ。
乙乎はそれを、たしかめるように反芻した。
――さ、く、ぶん……? ……作文、だって……?
それは、残酷な言葉だった。
言葉の意味が、頭の中に浸透するのに時間がかかった。
そのくらいショックだった。
乙乎は作文が苦手なのだ。
抜き打ちテストよりも苦手なのだ。
長い文章なんて、どうがんばっても、200字くらいしか書けたためしがない。
それも、題名と自分の名前をいれて、それぞれ改行した上でのはなしだから、どうかお察しいただきたい。
作文が得意な人間というものは違う世界の住人だろうし、日記をつけている人間の気が知れない。小説を書く人間なんて、完全に頭がどうかしているに決まっている。
「ぐっ……!」
乙乎は両のこぶしを握りしめて机の上に押しつけ、襲いかかる精神的ダメージをなんとか耐えようとした。
だが、詳細説明という名の追撃はおさまらない。
宿題、『遠足の思い出を作文に書こう!』
それもただの日記じゃない、ワンランク上のものに仕上げるように、とさえ求められている。
文章量は400字詰めの原稿用紙に4枚以上。
まったく、意味がわからない!
1600字だとか言われても、単純計算で人生をあと7回は繰り返さないと書けるわけないじゃないか!
鬼畜といってもいいほどの膨大さだ! 誰に聞いてもそう答えるにちがいない!
もちろん、時間もない。
提出日は遠足のあと、当日が金曜日なので土日をはさんで10月6日、月曜日。
「がはぁっ……!」
「そんなー!」
「オレ、今度の遠足が終わったら結婚するんだ……」
クラス中が騒ぎだす。
みんな作文はイヤなのだ。
乙乎も、もはやこれまでか、と目を閉じて、暗黒の深淵に身をゆだねようとした――
が、その直前、こぶしに力をより強くこめ、歯を食いしばって目を見ひらく!
「その、ていどかよ……!」
たしかに、遠足後の作文はつらい。
夏休みの最終日だというのに、計算ドリルが目いっぱい残っているくらいにはつらい。
だが! そんなことくらいで、遠足の楽しみが消えはしない!
それに……と、乙乎は笑みをこぼした。
――ああ、最初からわかってたさ。
作文に書かなければならないのは、遠足の思い出。
だったら、作文にびっしりと書きたくなるくらいのいい思い出を、遠足で作るだけのこと!
そう決意した乙乎は隣の席に振り向き、クラスメイトと無言でうなずきあった。
と、クラスのざわつきがにわかにおさまった。
それを一瞬だけいぶかしんだが、すぐにその正体に気づいて教壇に目をやる。
学級委員長が立っていた。
彼の名は黒皇 魅帝。
ジャケットとネクタイがバシッと決まっているその姿は、同じ小学生とは思えない。
アイドル的な目鼻立ちから繰り出されるスマイルには、もれなくキラッと光る白い歯のおまけつきだった。
「みんな、気持ちはわかるが、少し聞いてくれ。
遠足当日まで、まだ2週間もあるんだ。だから、このホームルームも利用して、みんながそれぞれ遠足で特にやってみたいこと、つまりテーマや目標なんかを決めよう。
そうすればほら、普段とはちがった遠足を楽しめるだろうし、作文が苦手な人も書くことができてやりやすいんじゃないかな?」
まさにその通りだった。
それは、乙乎がいつもやってきていることだ。
そうだ。やることは、なにも変わらない。
乙乎はいまの発言が終わる前にふたたび遠足のしおりをひらきだした。
遠足に関する注意点とかがいろいろ書いてあるが、乙乎は作文を書くのはお腹が痛くなるくらい苦手でも、読むのはそうでもない。
遠足を最大限に楽しむためのテーマ。
作文のやつをぶっ倒す必殺の思い出を作るため、乙乎の頭脳は戦闘態勢に入る――
「そうだな、いつものクラスの班とは別に遠足用のチームというものを作って、チームごとに相談してテーマを決めてもいいと思うよ。
それで、チームごとに行動するなら人数は多すぎないほうがいいかもね。通常の班で組んでる6人ずつよりも3~4人くらいなら、役割分担もしやすいし、現地でも動きやすいだろう。あ、もちろん大人数の合同チームでも問題はないよ」
その案がすんなり採用されて、クラス内で自由にチーム決めをする段取りになった。
ほかのクラスメイトたちは先にテーマを決めてからチームをつくるもの、先に仲のいいメンバーでチームを固めてからテーマを考えるもの、思い思いに動く。
「運動広場がある! 野球する人集まってー!」
「じゃあ、オレらは絵の具を持っていって絵でも描こうぜー」
「湖畔で演奏会とか、優雅じゃない?」
そんな流れをよそに、乙乎はさっきからひたすら夢中でページをめくっていた。
出発時間……バスの停まるところ……おやつの値段。
持って行ってもいいもの……いけないもの……
天気が雨の場合……台風の場合。そのときの風速ごとの予定、雹や落雷の対処法。
そして。
イラストの載っているところで、乙乎の手はとまった。
現地の案内図だ。
見開きで描かれている、広大な公園。
中に進むほどに標高は少しずつ高くなり、途中いくつかの広場をはさんで、全体的に森を縫うようなつづら折りの道すじになっている。
そのいちばん奥、『いこいの湖』と名づけられた池があって、その池になかば埋めこまれるように大岩が寄りそっている。
乙乎の心の目は、わら半紙でできた冊子の向こうにある公園を、空の上から眺めていた。
――公園の中でもいちばん高いところにある湖畔の大岩、そこからの景色は最高だろうな。お弁当もおいしく食べられそうだ。
それに、見晴らしも利くから、自分だけじゃなくみんなが遠足でいろいろ決めたことをしてるのをいっぺんに見られるぞ。
乙乎の目標は、ここではっきりと決まった。
≪湖畔の大岩に登る!!≫
これは、遠足を最大限に楽しむための、最強のテーマだ。
乙乎はそう確信した。
ただし――乙乎はまた、気づいてもいた。
テレビでやってたときに見ていたのだ。
ひとつ問題がある――大岩は、狭い。
恐らくは、3人分しかスペースが取れないだろう。
そしてもうひとつ、乙乎はすぐに気づくことになる。
この遠足の裏にある陰謀を――
~ 次回予告 ~
おいしいお弁当は、ひとりよりもみんなで食べたほうがよりおいしい。
それが、信頼出来る仲間とともにならなおのこと。
乙乎はチームを結成し、未来に向かって一歩を踏み出す!
次回、遠足大事典 -Ensoyclopedia-
持ち物 2 仕組まれた希望
――その男、遠足好きにつき。