第八話
扉を開けると、そこには意外な人物が立っていた。
キラキラしたオーラを纏った、プラチナブロンドの髪と空色の瞳の持ち主。つまり。
「アルフレド様……!?」
思わず名前を口から漏らしてしまった私は、その自分の声に我に返って慌てて頭を下げる。
「失礼致しました」
「顔を上げて、アン=マリー嬢。急に来た僕が悪いのだから」
アルフレド様の言葉を受けて私が顔を上げると、アルフレド様は相変わらずのキラキラした微笑みのまま私に用件を告げた。
「クリスティーネ殿下に会いたいのだけど」
デスヨネー。って言うか、よくクリスティーネ様のお部屋の場所がわかったな。どうやったのか……は考えるまでもないけど。きっと探索魔法を使ったんだろうから。
探索魔法を使ったのだとしたら、今クリスティーネ様がこのお部屋にいらっしゃることも重々承知されているはずだ。だからこそ扉を叩いたんだろうし。身体の後ろに隠れていてハッキリとはわからないけど、アルフレド様が手にしているのは明らかにお花だし。とにかく、面会のご希望をクリスティーネ様に伝えないと。
と思考を巡らせている内に、一つの疑問が浮かんだ。
「あの、失礼ですが、お一人でいらっしゃるのですか?」
そうなのだ。目の前にいるのはアルフレド様お一人だけ。従者はその四までいたはずなのに、誰も護衛してないってどういうこと? って言うか、面会を希望する場合は、まずシェルストレーム王国の騎士に伝えてくださいとお伝えしたよね?
「あぁ……、今はね。その内誰か来ると思うよ」
私の疑問の意図を理解しているのかいないのか、アルフレド様から大変要領を得ない回答が返ってきた。
うーん……。一応、婚約・結婚することが確定しているけれど、兄王子様方とは違い、アルフレド様はまだ赤の他人だ。そんな方をお一人でクリスティーネ様のお部屋にお入れしていいのかしら。いや、もちろん私も同席するけど!
て言うか、コレ、兄王子様方にバレたらエライことになりそうなんですけど。何とか穏便に済ませられないかな。
そのとき、戻りの遅い私が心配になったのか、クリスティーネ様の足音が背後から聞こえてきた。
「マリ……まぁ、アルフレド様!?」
私の向こう、廊下に立つ人物を見て、クリスティーネ様の目が真ん丸になる。あ、この表情、長い睫毛がすごく際立つわー。
「クリスティーネ」
クリスティーネ様の姿を認めたアルフレド様の表情が綻んだ。それはもう、見ている私の方が目を見張るくらい嬉しそうに。恋い焦がれている人に逢えたかのような喜びを満たして。
え、何コレ? 何その表情? これじゃあ、まるで……。
「貴女にこの花を贈りたくて」
私の思考を遮るように、アルフレド様がクリスティーネ様の方へと持っていた花束を差し出した。百合だろうか。大きな蕾がたくさんあるその花束は、しかし一輪も咲いてはいなかった。
「ありがとうございます」
クリスティーネ様は王女として完璧な作法で丁寧に礼を言うと、戸口へと近づき、差し出された花束を受け取る。アルフレド様が優しげに微笑み、花束に軽く手を翳す──同時に蕾が一斉に花開き、甘い芳香が辺りに広がった。
「まぁ……!」
その夢のような出来事に、クリスティーネ様が溜め息をつく。そして百合の香りを胸一杯に吸い込み、堪能された。
「こんな素敵な花束をいただいたのは初めてですわ。アルフレド様、ありがとうございます」
クリスティーネ様が愛らしい微笑みを浮かべて再度お礼を述べる。それは、先ほどの形式的なものじゃなく、心からの感謝の気持ちが滲み出ていた。
「気に入って貰えたようで嬉しいよ」アルフレド様も微笑み、そして続けた。「クリスティーネ、少しだけ貴女と話したいのだけど、いいかな」
クリスティーネ様は一瞬迷われたようだった。しかし、両腕に抱く百合の花束に一度目を落とすと、私に命じた。
「マリー、客間を用意してくださる?」
「承知いたしました」
廊下側からアルフレド様を客間へとご案内してソファに座っていただく。
クリスティーネ様はすぐに部屋側から客間へと姿を見せた。未だ抱えられたままだった百合の花束を受け取り、クリスティーネ様にもソファへと座っていただく。
本当に見事な百合だ。一輪一輪がが大きく、香りが豊か。私は花器に生け、客間の壁際に設えられたサイドテーブルの上に飾る。そして、お茶をお出しする準備を始めた。ポットに水を溜め、発熱・保温効果を付与した鍋敷きの上に置く。それだけで、少し待てば適温のお湯ができるのだ。
お湯が出来上がるまで、ソファに座るお二人の会話に耳を傾ける。
「アルフレド様、お話とは何でしょうか?」
クリスティーネ様が尋ねると、アルフレド様は「あぁ……」と苦笑した。
「ごめん。用事があるわけではないんだ。ただ貴女と話がしたくてね」
「そうだったのですね。突然いらっしゃるから驚きましたわ」
クリスティーネ様が優しく微笑む。
アルフレド様は本当に用件があっていらしたわけじゃないようだった。まだ数分しか経っていないけど、ソファに向かい合って座られたお二人は、ずっと他愛もない会話を楽しまれている。私はてっきり、今回の婚姻に絡んだお話があるんじゃないかと思ってたのだけど。ほら、この結婚に愛はないから期待しないでくれ、とか、子供さえ成してくれれば浮気してもいい、とか、貴族の結婚にありがちなヤツ?
そうこうしている内にお茶の準備が整ったので、カップに注いでお二人にお出しする。
早速ティーカップに口を付けたアルフレド様が、少し驚いたような表情で手にしたカップを覗き込んだ。
「美味しい」
「ええ、そうなんです。マリーの淹れるお茶はとても美味しいんですのよ」
クリスティーネ様が言うと、アルフレド様が私の方を見た。
「このお茶、アン=マリー嬢が?」
「はい、僭越ながら。お褒めに預かり光栄でございます」
私が謝辞を述べるとアルフレド様がさらに感想を述べてくださった。
「苦みや渋みがないのに香りが強いのだね。でも、柔らかい香りだ。僕が普段飲んでいるお茶と何が違うのだろう?」
「茶葉によって味や香りは異なりますが……多分ではございますが、お湯の温度だと思いますわ。茶葉によって適温が異なりますので」
「お湯の温度制御か。なかなか難しそうだね」アルフレド様はいったんここで言葉を切ると、意味あり気な笑みを私へと向けた。「貴女にとっては、そうでもないのかもしれないけど」
その言葉に確信する。アルフレド様、やっぱり私が魔法の使い手だってわかってらっしゃるのね。追及される気はないみたいだけど。もしかしたら公にされていないから、気を遣ってくださっているのかもしれない。
「そんな、滅相もございませんわ」
私はそう答えて深々と頭を下げた。この話題をそろそろ終了して欲しいという暗黙の合図だ。
そのとき、再びクリスティーネ様の私室の扉を叩く音が聞こえてきた。客間ではなく、プライベートな部屋の方だ。もちろん客間からその音が聞こえたわけじゃない。正確には『聞こえた』わけじゃなくて『感知魔法に引っかかった』だ。
クリスティーネ様にそのことを告げると、誰が来たのか確認するよう言い付かった。とは言っても客間をお二人だけにするわけにはいかないので、失礼ながら客間から廊下へと続く扉を開けることにする。あ、もちろんお二人に断ってからね。
私室の前にいたのは、シェルストレーム王国の騎士だった。
「そちらでしたか」
すぐに私に気付き、廊下を歩いて近付いてくる。
「どうなさいました?」
自国の騎士に向かって問いかけた私は、彼の後ろにもう一人誰かがいることに気が付いていた。騎士の身体が遮っていて顔は見えないのだけど。
騎士が私の質問に答えた。
「アルフレド様からクリスティーネ様へ面会のご希望が来ております。できれば今からとのことなのですが……」
えーっと、アルフレド様なら、もうとっくにいらっしゃってますケド……。
「あ、ようやく来たかな?」
私がどう応えようかと逡巡していると、部屋の中からアルフレド様ののんびりした声が聞こえてきた。
騎士はクリスティーネ様の部屋から男性の声が聞こえてきたことに瞠目する。そりゃそうだよね。確実に兄殿下様方の声じゃないんだもの。
騎士の後ろにいた人物が溜め息とともに言った。
「やはりこちらでしたか」
──この声、嫌な予感しかしないんですけど。