第七話
アッッタマくるわ──!! 何よ、あの態度! あの言い方!
私は先程ヴィクトル様から言われた言葉に憤慨していた。
あ、今私がいる場所は城内のとある廊下です。アルフレド様たちの部屋を辞し、侍女専用の休憩室──バックヤードと呼ばれている──へ向かっている最中だ。侍女頭さんは厨房に用事があるとかで、今は一緒にいないから一人で歩いているのだけど。
あー、思い出しただけで腹立つ!
何が「粗相のないようにお願いしますね」だ。アンタ何様だっつーの! いや、確かに公爵家様のご子息様だけど! だからってあんな見下した態度はないでしょーが! 偉いのはアンタじゃなくてアンタの家柄だっつーの!
よくあの場で我慢したよ、私。
「善処いたします」
とだけ答えて微笑んでおいたけど、どす黒い魔力が溢れてたり、額に青筋が浮き出てたりしたかもね。
あの瞬間、少なくとも従者さんその三とその四のお二人は焦っていたし、アルフレド様も少々困った表情されていた。アルフレド様が立場上簡単に謝罪できないのはわかるから、私に対して気遣ってくれただけで十分だ。部屋を出た後で、侍女頭さんも「あんまり気にしない方がいいわよ」って言ってくれたしね。
でも、それで気が治まるかどうかは、別・問・題!
治 ま る わ け な い じ ゃ な い !!
ヴィクトル様に言い返せるならそれが一番スッキリするんだけど、立場上そうもいかない。だから、こういう時は、甘いものを食べるに限る。この時間にバックヤードに行けば、厨房からおやつの差し入れが届いているはずだ。
バックヤードには二つの部屋ある。一つは職業侍女が使用する場所、もう一つは行儀見習いの侍女が使用する場所だ。私はもう行儀見習い侍女では通用しない状態なのだけど、かと言って職業侍女というわけでもないので、どちらの部屋に行くかいつも迷うのよね。
顔見知りが多いのは職業侍女の方だ。長い間同僚として働いてるしね。彼女たちは貴族出身ではなく、登用試験に合格した平民出身の女性たちだ。もちろん、身元がはっきりしていることが前提条件なのだけど。ほとんどの人が、一度出仕を始めたら結婚して子を授かるまで続ける。子を産み、育てた後に戻ってきている方もいるくらいだ。皆、真面目で勤勉で責任感もあるし、私と年齢の近い人も多い。
対して行儀見習いの侍女は、十四、五歳から出仕を始め、十七歳くらいで辞職するのが一般的だ。つまり、社交界デビューする少し前に辞めるってワケ。なので、同じ貴族の娘でも私とは大きなジェネレーション・ギャップがある。
そして、彼女たちは王城へ出仕する目的も違う。仕事をしてお給金を貰うため、じゃなくて、淑女としての立ち居振る舞いやマナーを学ぶため。ついでに、将来有望な男性との出会いを淡く期待していたりするのだ。
王城はシェルストレーム王国の政が行われる中心地である。当然、多くの文官が執務を行うために登城する。そういう仕事に就いている方は、大半が貴族の男性だ。そういった身分の高い王族・貴族や城、ひいては国の安全を守るために、武官もたくさん勤務している。その武官もまた、貴族出身の男性が多いのだ。なので、王城へ出仕していれば、自ずと彼らと顔を合わせる機会が生まれる、というわけだ。
事実、行儀見習い侍女の大半が、城勤めの文官や武官に見初められ、成人後に婚姻を結んでいる。まぁ、私には縁のなかった話なんだけどね。
──あ、なんでだろ、視界が曇って来た……。
私は気持ちを切り替えるべく、バックヤードへと入った──瞬間、足を止めた。
入ったのは、行儀見習いの侍女が集まる方の部屋だ。この時間帯は彼女たちの仕事もほとんどないので、皆バックヤードで思い思いの休憩を取っている。
今も、皆揃って休憩を取っているのだけど、テンションがいつもとは全く違った。キャイキャイと何かを言い合う黄色い声、嬉しさを抑え切れない満面の笑顔、ピョンピョンと弾む足取り。ちょっとアンタたち、『淑女としての嗜み』はどーしたの?
と言うか、何、このテンション? 盛り上がり過ぎじゃない? 付いて行けないんですけど。え、何かあったの?
さすがに気になった私は、すぐ傍にいた娘に声を掛けた。
「ねぇ、ブレンダ、何かいいことでもあったの?」
「あっ、マリーさん……!」
ブレンダが私の名前を口にした瞬間、その場にいた行儀見習いの侍女たちが一斉に私の方へ視線を向けた。
え? え、何!?
「「「「「キャ──!!」」」」」
ぎゃー、鼓膜破れる……!
甲高い悲鳴のような奇声のような歓声(?)に眩暈を覚えて眉間を抑える。そして目を開けた私が見たのは、周囲を取り囲む行儀見習いの侍女たちの姿だった。
「アルフレド様、何かおっしゃってました?」
「ヴィクトル様はどちらのお部屋ですの?」
「お部屋でのお世話は誰がするのかご存じですか?」
「わたくしがお世話いたしますわ」
「あ、ずるいわ、私が立候補しようと思っていましたのに!」
「わたし、アルフレド様と目が合いましたのよ?」
「本当? 羨ましいわ」
「わたくしなんて、アルフレド様に笑いかけていただきましたわ」
皆が一斉に話し始めて、もはや何を言っているのかすらわからないのデスガ……。
どうにか聞き取れた単語やセリフから推測するに、つまり、アルフレド様にお近づきになりたいってコトみたいね。
──と思っていたら、信じられない言葉が聞こえてきた。
「アルフレド様ももちろん素敵ですけど、ヴィクトル様も素敵ですわよね」
はい?
「ええ、本当に。あの冷たく強い瞳がたまりませんわ」
「あら、わたくしはアルフレド様の方が素敵だと思いますわ」
「お優しそうですものね」
「でも、クリスティーネ様とのご結婚が決まっておりますもの。やはりヴィクトル様ですわ」
え、ちょっと待って。ヴィクトル様って、あのヴィクトル様のこと? あの失礼男のどこがいいの!?
「マリーさんもそう思いません?」
「え? えーっと……」
同意を求められて言葉に詰まる。
ヴィクトル様に関しては完全に「ノー」だけど。いや、ヴィクトル様も性格はさておき、確かに綺麗な顔はしてる。アルフレド様だって目の保養になるよ。なるけど。
急にそんなこと言われても、アルフレド様たちをそんな視点で見たことないもんなぁ。
質問しておいて私の答えを待つ様子もなく目の前ではしゃぐ娘たちを見ながら、小さく嘆息する。はぁ、若いなぁ……。
って、私、これじゃあ完全にオバサンじゃない! 年頃の女性の憧れの的と言われている男性を見ても少しもトキメキを覚えず、キャアキャア言ってる子たちを見て越えられない壁を感じるって。
ショックを受けていた私の後ろで、バックヤードの扉が開いた。振り返ると、そこには侍女頭さんが立っていた。
侍女頭さんは、行儀見習いの侍女たちと彼女たちに囲まれている私を見て、呆れたように溜め息をついた。そしてパンパンと手を叩くと口を開いた。
「何をしているの? そろそろ次のお仕事の時間よ?」
ハイ、私の休憩時間よ、サヨウナラ。
* * *
「──と言うことがあったんですよ」
いつもの侍女のお仕着せに着替えてクリスティーネ様の部屋に戻った私は、さっきのバックヤードでの出来事を簡単にお話していた。あ、悪口とかじゃなくて単なる会話のネタとして、ね。
「アルフレド様もヴィクトル様も、人気があるのね」
クリスティーネ様は口に手を当ててクスクスと笑い、続けた。
「お休みを取れなかったのなら、しばらくここで休んでいてね」
「いいえ、とんでもありません。ちゃんと侍女としてお仕事させていただきますわ」
私はそう答えてクリスティーネ様の前にお茶を置いた。
クリスティーネ様はこの後、家庭教師がいらして講義を受けられる予定だ。教師の方がいらっしゃるのは今から約一刻ほど後。それまではクリスティーネ様にとって、束の間の休息時間なのだ。できるだけ快適に過ごせるようにして差し上げたいじゃない?
こういう時間、クリスティーネ様は読書を楽しまれたり、刺繍をしたりして過ごす。
今日も、淹れたてのお茶を飲みながら、読みかけだったらしい本を開いて読み始められた──のだけど。
トントントン
という、控え目ではあるが明らかにこの部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。
クリスティーネ様も気付かれたようで、顔を上げる。私はクリスティーネ様に「見てまいります」と告げると扉へと向かった。