第六話
アルフレド様到着のご挨拶の後、クリスティーネ様はご家族でお茶を楽しまれることになっていた。クリスティーネ様に、その間は休憩するよう言われていたので、ありがたく自室へと戻らせていただこうとしていた矢先、侍女頭さんに呼び止められた。
何かクリスティーネ様への伝達事項でもあるのかと思ったのだけど、内容はアルフレド様たちを用意したお部屋にご案内するのに、同行して欲しいというものだった。滞在中、クリスティーネ様との面会もあり得るだろうから、その場合の手続きも説明したいらしい。確かにそういうことなら私も同行せざるを得ないわよね。
そんなわけで、私は今、城内の長い廊下で侍女頭さんの少し後ろを歩いている。
そのさらに後ろには、アルフレド様と同行された騎士たちの五名がおり、殿にシェルストレームの騎士が二名付いて来ていた。
謁見の間がある棟と客室のある棟は別なので、少し距離がある。その間歩いて移動しないといけないのだけど。
──それにしても、今日は、行儀見習いの侍女と廊下でやたらと擦れ違う気がする。行儀見習いの侍女が廊下を歩きまわるような仕事を任されることは、少ないはずなのに。と言うか、侍女にとって忙しい時間帯というのは決まっていて、その時間じゃなければ廊下で侍女と擦れ違うことなんてほとんどない。それも、侍女は侍女でも、職業侍女。行儀見習いの侍女じゃないのに。
どういうコト? と考えかけて、あぁ、考えるまでもなかったということに気付く。
すれ違う際に首を垂れている行儀見習いの侍女たちの頬が、ほんのり桃色に染まっていたからだ。なるほど、アルフレド様を一目見たくて、無理矢理用事作ってこの廊下を通ってるわけね……。
まったく、ちゃんと仕事しなさいよっ! 遊びに来てるわけじゃないでしょーがっ!
侍女頭さんの表情を盗み見ると、静かに怒っているのがわかった。でも、きっと本人には言わないだろう。相手は侍女を生業にしている女の子じゃないから。
擦れ違う行儀見習いの侍女たちに辟易し始めたあたりで、ようやく目的の部屋へと辿り着いた。
アルフレド様たちには、一人に一部屋ずつの寝室と、共同で使用していただくための客間を二つご用意している。その客間の一つに、侍女頭さんと私、それとアルフレド様たちが入った。シェルストレームの騎士たちは扉の外に立つ。
部屋の中には既にアルフレド様たちの物と思われる荷物が運び込まれていた。部屋の隅に丁寧に並べ置かれている。あの大きさだと侍女じゃあ無理だから、きっと騎士たちが運んでくれたんだろう。
私は入り口近くに立つ侍女頭さんの傍ら、半歩後ろに立つ──そのとき、ふと何かを潜り抜けたような感覚を覚えて一瞬動きを止めた。
瞬時にわかる。誰かの感知魔法圏内に入ったのだ。
魔法を扱える人間の方が珍しいというこの世において、私はたまたま高い魔力を持って生まれてきた。まぁ、魔法が使えるって言っても、たいした使い手じゃないと思う。他の人と比べたことはないけどね。それにアルフレド様には確実に負けるし。アルフレド様の魔力が桁違いだってことぐらい、見ればわかるから。
魔法にはいくつかの系統がある。多分、今私が感じたのは感知系魔法の発動だ。有効圏内にいる人や動物の数や位置、動きなどを把握するためのもの。この魔法を精度高く扱える人は、人物の特定とかもできるらしい。この魔法のいいところは、周囲を把握できることだけじゃなく、発動していることを普通の人には勘付かれないことだ。魔法を扱える者にはバレてしまうのだけど。
何食わぬ顔して侍女頭さんの傍に控えた私は、そっと侍女頭さんの様子を窺ってみるが、特にに変わりはない。やはり何も感じなかったようだ。
誰かの感知魔法圏内に入ってしまった場合、普段なら警戒態勢に入るのだけど、今の状況なら誰の魔法か考える必要もない。この魔法を展開した主は、すぐ目の前にいるから。
前方に視線を移すと、その主が私のことを見ていた。アルフレド様だ。相変わらず柔和な微笑みを宿したまま、空色の目に少しの驚きと少しの興味の色を宿して。
あ、私が魔法を扱える人間だって気付かれたかな。シェルストレーム王国内ですら公にしてないもんなぁ。まぁ、アルフレド様ならいいか。
アルフレド様は、私から視線を外すと客間の中央にあるテーブルセットのソファへと腰掛けた。他の騎士たちは立ったままだ。
「君たちも座ろうよ」
アルフレド様が声をかけると、四人いた騎士の内三名が腰掛けた。でも、残りの一人は動こうとせず、冷たい表情で腕を組み壁に背をもたせ掛けている。
首の後ろで一つに結った長い薄茶色の髪に、細いくせに引き締まった体躯の持ち主だ。深い青色の瞳からは絶対の自信が現れていて、アルフレド様とは系統が全く違うけど、顔立ちも美しく整っている。暖かくほんわかした雰囲気のアルフレド様に対して、冷たく尖った印象とでも言えばわかるかな。綺麗なのに感情の乗ってない表情が、氷の彫刻みたい。
あぁ、そう言えばこの人、謁見の間で国王陛下がご家族を紹介されている時も、こんな表情してた気がするわ。この婚姻に反対なのかしら。
「ヴィクトル? 座らないの?」
アルフレド様が声をかけたが、ヴィクトルと呼ばれたその騎士は「いえ、私はここで」と短く答えた。
侍女頭さんがどう対応しようかとアルフレド様を見たが、アルフレド様は気にする様子もない。
それを是と受け取ったらしい侍女頭さんが、部屋割りについてアルフレド様たちへと説明を始めた。他、皆さんが過ごされるフロアの廊下の両端に、警備のため、シェルストレームの騎士が二名ずつ配置されることも説明される。また、城内を出歩く際は騎士に一声かけていただくようにお願いした。
「何かご入用の場合は、控えております騎士たちにお申し付けくださいませ。ご希望にできるだけ沿うように致します」
「ありがとう」
「それと、クリスティーネ様とのご面会を望まれる場合ですが」
侍女頭さんはここで一度言葉を切って私の方を振り返った。
「こちらにおりますアン=マリーがクリスティーネ王女殿下の専属侍女をしております。騎士に伝えていただければ、彼女より是非の返事をさせていただきます」
侍女頭さんが手で合図したので、私は深く一礼する。皆が私に注目しているのを感じながら、口を開いた。
「クリスティーネ王女殿下専属の侍女をしております、アン=マリー・ヤーロースと申します。宜しくお願い致します」
挨拶を終えて頭を下げる。
「ヤーロース……」
我が家の家名を呟く小さい声が聞こえてきた。顔を上げると、壁際に立つ騎士様とバッチリ目が合ってしまった。相変わらず表情が冷たい。しかも一瞬眉を顰められた気がするんですけど私の気のせいですかね?
「アン=マリー嬢、こちらこそよろしく」
聞こえてきたアルフレド様の朗らかな声で、私は我に返った。
アルフレド様はそのまま「僕からの伝言をこの者たちに頼むこともあると思うから」と護衛の騎士たちに自己紹介を促す。
おぉ、それは嬉しい。謁見の間での紹介の際はあまり聞いていなかったから正直助かるわ。今度こそちゃんと覚えなきゃ。
「じゃあ、アンドレから」
一番下座に座る短い赤髪の若い騎士にアルフレド様が声を掛ける。
「アンドレ・フェーダールです。よろしくお願いします」
「私はビリエル・ブローマンと申します」
「マルク・グスタヴソンだ」
アンドレさんに続き、黒い髪で落ち着いた雰囲気のビリエルさん、厳ついお顔と体格のマルクさんが、それぞれ愛想良く名乗ってくださる。きっと、ヴィカンデル王国の貴族の血筋なんだろうけど、同時に騎士団の手練でもあるんだろう。アルフレド様の護衛を任せられる程なんだから。でもやっぱり、こうサクサク進まれるとやっぱり覚えられないわー。
最後、相変わらず冷たい表情のまま立っている騎士様へと視線を移す。
「ヴィクトル・ニークヴィストです」
あー、この人が『ニークヴィスト』公爵家の人なのか。そう言えば聞いたことがある。ヴィクトル様というご子息がいらっしゃるって。確か私と同じ年齢なのよね。そうか、アルフレド様から見ると従兄に当たるのね。
私が聞いた話では、ヴィクトル様は剣の才があった故に幼い頃からアルフレド様専属の護衛をしていて、現在は騎士団に在籍しているらしい、ってことだったけど。本来ならヴィクトル様自身も護衛が必要なご身分でしょうに。だからこそ、なんか人を見下しているような印象を受けるのかもしれないけど。
ヴィクトル様は軽く会釈だけすると、冷たい表情のまま私を見据えて言った。
「粗相のないようにお願いしますね」
──え? 何? もしかして私、喧嘩売られてる?