第四話
「それにしても、クリスティーネに先を越されてしまったな」
今までの雰囲気をかき消すかのように、ウィリアム様が話題を変えた。
突然の言葉に、クリスティーネ様はついて行けずに首を傾けている。そんな妹姫の様子を見て笑いながら、ウィリアム様が付け足した。
「結婚だよ。わたしはまだ当分かかりそうだ」
「わたくしも、急に決まったので驚きましたわ。でも、お兄様は男性ですもの。適齢期はまだ長いですし、落ち着いて相手をお選びになった方がよろしいのではなくて?」
ため息を付くウィリアム様に、クリスティーネ様がやんわりと応えた。
そう、そうなのよ。女性の結婚適齢期が成人後すぐから二十歳くらいまでなのに対して、男性の適齢期は成人後から三十五歳くらいまでって言われてるの。
な・ん・で、女性の適齢期は短いのに男性の適齢期は長いのよ! どう考えても不公平よね?
「マ、マリー殿……?」
私の感情の高ぶりを感じたのか、カルフさんに恐る恐るといった態で声を掛けられてしまった。慌てて苦笑し、何でもないですと肩をすくめてみせる。さすが、王族の護衛を任される騎士。気をつけないと本性がバレちゃうわ。
それにしても、確かにクリスティーネ様の言う通りだ。
シェルストレーム王国の王子は三人。第一王子のエドガー様が二十三歳、ウィリアム様が二十一歳、そして第三王子のフィリップ様が十九歳。三人とも未だ結婚はされていないし、婚約者もいらっしゃらない。恋人がいらっしゃるというような噂も聞かないし。
王太子は第一王子のエドガー様だけど、ウィリアム様だって王位継承権の第二位を保持している。エドガー様に万が一のことがあった際は、ウィリアム様が王位を継ぐのだ。つまり、ウィリアム様の伴侶になるということは、王妃になる可能性があるということになる。自分の気持ちを優先したり、適当な女性で手を打ったりすることはできないというわけだ。結婚相手はじっくりと選定する必要がある。
「ああ、そうだね。候補は何名かいるのだよ。でも、わたしよりも先にエドガーを片付けてしまわないと。父上は健在だけど、子を設けることを考えると、さすがにそろそろ婚約者くらいは決めておかねばならない時期になっているからね。宰相殿も同意見だ」
「まぁ、宰相様とそんなお話までされてるんですか? じゃあ、エドガー兄様の結婚も近いかもしれませんね。宰相様は仕事がお早いですもの。式には参加させていただきたいですわ」
「すぐかどうかはわからないけど、もちろん招待するよ、クリスティーネ」
お二人の会話のさなか、お茶を飲み切っていたカルフさんがウィリアム様へと合図を送った。そろそろ時間切れなのかな。宰相様のお仕事は山のようにあると聞いている。その補佐をしていらっしゃるウィリアム様だって、暇な時間なんてないはずだ。今日はクリスティーネ様のことが心配で、少々無理していらしたのだろう。
予想通り、カルフさんは私に空になったティーカップを返却してきた。
「ご馳走になった。ウィリアム様のおっしゃる通り、マリー殿の紅茶は旨いな」
「ありがとうございます、カルフ様。お世辞でも嬉しいですわ」
私がカップを受け取ると、カルフさんは再びウィリアム様の方へと視線を戻す。本当に真面目な方だ。奥様や子供、両親を大切になさっているって話だし。こういう方を伴侶に持てた女性は幸せ者だ。
「さて、そろそろ戻らないと。今日中に終わらせなければならない仕事がいくつか残っていているんだ」
ウィリアム様がそう言いながらソファから立ち上がった。クリスティーネ様もお見送りのために立ち上がる。
「また来るよ」
「ええ、お待ちしています」
私は客間の扉を開けた。そしてお二人が通られた後、私も一緒に外へ出る。こうして廊下に出てお客様をお見送りするのが、シェルストレーム王国では侍女のマナーとされているのだ。
扉を閉めて、ウィリアム様とカルフさんに会釈した。普段ならそのまま去って行かれるのだけど、この日は何故かウィリアム様に「マリー」と名を呼ばれた。
「はい」
返事をして面を上げる。表情には出さないようにしてるけど、内心は冷や汗モノだ。帰り際に侍女を呼び止めるなんてよっぽどのことがない限りまずありえないから。
ヤバいなー。私、何かミスしたっけ。お茶が熱過ぎた? それとも、さっき一瞬だけ殺気立ったのに気付かれてた? 無礼なことしちゃった?
思い当たることがいくつもありすぎる私を余所に、ウィリアム様は私がまったく予想していなかったことを言い出された。
「マリーは、クリスティーネが嫁いだ後はどうするつもりだい?」
……えーっと?
意味が分からず、瞬きする。
私の表情から、思考を読み取ったのだろう。ウィリアム様がくすくすと笑う。
「珍しいね、マリーがそんな顔するなんて」
「大変失礼いたしました」
慌てて頭を下げるが、ウィリアム様は気にしていないご様子だ。
私ってば、よっぽどひどい顔してたのかしら。そりゃあ、ウィリアム様みたいに綺麗な方はどんな表情でもお綺麗なんでしょうけど。
「このまま侍女を続けるのかい? それとも、侯爵家に戻る?」
ウィリアム様が質問の意図を付け加えてくださった。
あぁ、そのことね。ゆっくり考えたいけど、そんな暇ないってのが正直なところだ。どんな選択肢があるかすら、まだわからないし。
「まだ考えておりませんわ」
「そうか。なら、わたしのところに来ないかい?」
私が正直に答えると、ウィリアム様がそう言い、眼鏡をツイと押し上げる。
つまり、ウィリアム様が引き続き専属侍女として召し抱えてくださるってことか。言い方からして提案なのだろうけど。
確かに、今ウィリアム様に専属の侍女はいらっしゃらない。昔はいたのだけど、ウィリアム様が十五歳の時に年齢を理由に引退されたのだ。かなりお年を召した方だったから仕方ないんだけどね。その後ウィリアム様ご本人が必要とされなかったのと、適任者がいなかったので、そのまま空席になってしまっている。
王族の男性に侍女として就く者は、身上が明らかなこと、結婚していること、ある程度年配であること、の三点が暗黙の了解として条件になっている。王族をサポートするのだから経験が必要ってことももちろんだし、ナニかあっちゃ困るからね。男性側からだけじゃなく、王族という血統が欲しくて女性側から……って可能性もあるし。
あれ? 今気づいたけど、この提案って、つまり私はウィリアム様に『年配女性』に分類されてるってこと? 確かに私の方が一歳だけ年上だけど。
いやいやいや、ウィリアム様はそんな失礼な方じゃない。理知的で紳士的な方だ。だから、私の身の上を案じてくださっているだけだ。多分。かなり多分。
「まぁ、殿下。私などには、大変勿体ないお言葉でございます」
「勿体なくないよ。まぁ、無理強いはしないけれど、考えておいてほしい」
私の無難な返事を聞いたウィリアム様は、そんな私の回答までお見通しだったのだろう。特に気分を害した様子もなく綺麗に微笑むと、カルフさんを伴って去って行かれた。
* * *
それから数日後。
婚約の儀を執り行うため、一週間後にアルフレド様がシェルストレーム王国を訪問することが決まった。
その知らせを受けて、私は驚きのあまり「えぇっ!?」と声をあげてしまった。慌てて口を手で覆ったけど後の祭りだ。クリスティーネ様は苦笑だけで済ませてくださる。
長年仕えているだけあって、私たちの間には時と場合と状況さえちゃんと守ればある程度の気易さが許されているのだ。まぁ、無礼は無礼だから謝るけどね。
「失礼いたしました」
「いいのよ、マリー。わたくしも驚きましたもの」
最近は婚約の儀を省略することも多いが、王族同士の結婚でもあるし執り行うこと自体に不思議はない。問題はその日程だ。
王族が他国を訪問するとなると、準備や調整だけで打診があってから最短でも一ヶ月はかかる。それが一週間後には到着するってどういうコトよ? ヴィカンデルの王都からシェルストレームの王都まで、馬を飛ばしても数日かかるのに。まだアルフレド様との結婚話を聞いて十日程しか経っていないのよ!?
「アルフレド様は、フットワークの軽い方なのですね」
私はそう言いながらも、誰かの意図を感じずにはいられなかった。ウィリアム様が仰っていた通りだ。何らかの理由で、とにかく早くこの結婚を纏めたい『誰か』がいるらしい。
クリスティーネ様も同じ事を考えているとは簡単に想像できたけど「本当にそうね」と苦笑しただけだった。
実際、理由も首謀者も、突き止めたところで何にもならないしね。
だって、シェルストレーム王国にとっては、この婚姻にデメリットが見つからないから。メリットはいっぱいあるんだけど。
そして一週間の後。
アルフレド様は本当に、数名の従者と共にシェルストレーム王国へとやってきたのだった。