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第三十話

 中庭は、大広間を出て廊下を渡り、階段を数段下ったところにある。傍まで行くと、いつもは灯されている明かりが、今夜は点いていないことがわかる。でも、大広間から漏れる明かりがあるから明るい。石畳の散歩道がはっきりと見えた。十分に歩けそうだ。

 私は構わず中庭に入り、中央にある噴水池を目指した。大広間から離れるにつれ辺りが少しずつ暗くなる。それでも今夜は月が出ているから、不便はなかった。

 噴水池のある少し開けた場所に辿り着くと、私はそれを囲んでいる石のブロックに腰掛けた。もちろんドレスが濡れたり汚れたりしないように気を遣いつつ、ね。

 踵のとても高い靴を履いていたわけじゃないのに、座って脚にかかる負担がなくなったためか一気に疲労感が押し寄せて来る。

 私は大きく溜め息を付いて肩を落とした。視線を落とすと、翻々(ほんぽん)と絶え間なく湧き出る水に、月を映す水面が穏やかに波打っていた。

 私はグローブを外すと、池に溜まる水に手を浸してさらさらと弄ぶ。水は冷たく、気持ちが良かった。

 なんか、今日はいろいろあったわね……。クリスティーネ様にお祝いを言った後は、適当に時間を潰そうと思ってたのに。

 夜会の前にはクリスティーネ様の本音を聞き、夜会が始まってからはウィリアム様に結婚を打診され、マルク様とお話してシェルストレーム王国とヴィカンデル王国の文化の違いを認識し、エドガー様のお相手をし、若い子には悪口を言われ。今夜の夜会は予想外のことばっかりだわ。考えるのも疲れちゃった。

 あーあ。クリスティーネ様には本当に申し訳ないのだけど、早く夜会終わらないかな。こんな気ばっかり使わなきゃいけないドレスなんてさっさと脱いで、化粧も落として、何もかもを放っぽり出して、ふかふかのベッドで寝ちゃいたい。

 一瞬、このままこっそり自室に戻っちゃおうかという考えが頭を過ぎる。でもそれはクリスティーネ様の専属侍女として長年仕えて来た人間として、あってはならない行動だ。あまりにも失礼過ぎる。こうやって夜会を抜け出していることだって、本当ならとても失礼なことなんだもの。

 水に濡れた手を魔法で乾かし、私は再度グローブを嵌めた。

 もう少し。もう少しだけ休んだら、大広間に戻ろう。


 そう思った矢先、私が歩いてきた散歩道の方から声が聞こえてきた。足音の数からして、どうやら一人じゃなさそうだ。耳を澄ませば、男性と女性の甘い会話の声が近付いてくる。

「お待ちになって……きゃっ」

「おっと。暗いから走っては危ないよ。僕の腕を掴むといい」

「ありがとうございます」

 うーん、逢引きってヤツかしら。どうやら、どこかの若いご令嬢と貴族の息子さんっぽいわね。もともと恋人同士だったのか、今日の夜会で意気投合したのか、どっちかわかんないけど。ま、それはどっちでもいいや。

 それよりも、人がせっかく休憩してるっていうのに、わざわざ中庭ここに来なくってもいいじゃない……。せめて、あと少し遅く来てくれれば、私も戻ってたのに。

 文句はあれど、このままじゃすぐに鉢合わせだ。他人の逢瀬なんてわざわざ見たいものでもない。クリスティーネ様だったら、護衛っていうお役目上目を離すわけにはいかないけど。でも、近付いて来ているのは赤の他人。二人の仲を邪魔するのも気が引けるし、お互いに見られてバツの悪い思いをするのもまっぴらだわ。

 私は仕方なく腰を上げた。そして、声が聞こえて来る散歩道を避けて、脇の小道を通り大広間へと向かう。この小道は噴水池のところへ来るときに使った中央を通る散歩道とは違い、木立の陰になっていて足元が暗い。石畳に躓かないようにと、私は感知魔法を発動した。

 あまり有効範囲を広げたつもりはなかったのに、さっきの二人が感知魔法の有効圏内に入ってしまったらしい。知りたくもないのに、どのあたりにいるのか、どんな状況なのかが手に取るようにわかってしまう。

 二人は噴水の前でお互いを抱擁し、何度も何度も熱い口付けを交わしていた。

 急に声が聞こえなくなったと思ったら……っ! いつ誰が来るかわからないって状況だってのに、まったく、最近の若い子は恥じらいとかないの!?

 私は頭を抱えたくなるのを堪えて、大広間へと急いだ。

 私がアルフレド様並みに精度高く魔法を扱えたなら、こんな目に合わずに済んだんだろうけど。もっと魔力を磨けないかな。


 ようやく大広間からの明かりが届く場所まで来た。感知魔法を解除する。

 ほっとしたのも束の間、木立の間から出ようとしたとき、中庭と大広間から続く廊下を繋ぐ階段のところに誰かが立っていることに気が付いた。シルエットからして男性だ。二人いる。ただ、一人は逆光、もう一人は後ろを向いていて、誰なのかはわからなかった。

 二人はまだ私に気が付いていないみたいだ。でも、大広間に戻るには、絶対にあの二人の前を通らなきゃならない。いつまでもここにいるわけにもいかないし。

 誰なのかわからないけど、どうか驚かれませんように。

 意を決して足を踏み出そうとしたとき、覚えのある声が聞こえてきて思わず動きを止めた。

「ヴィクトル・ニークヴィスト殿……でしたよね。このようなところで何を?」

 この声は……エリオット? 今、ヴィクトルって言った?

 今声を発したのは、逆光になっている方の人だ。じゃあ、私に背を向けている人がヴィクトル様?

「貴方は?」

 推測通り、警戒心の滲むヴィクトル様の声が聞こえて来る。エリオットに似た声の主は軽く会釈して答えた。

「申し遅れました。私はヤーロース侯爵家の当主です」

「ヤーロース……マリーの……?」

「アン=マリーは私の姉になりますね」

 やっぱりエリオットだ。

 エリオットの少し楽し気な声の雰囲気から、微笑んでいるのがわかる。それも、何かを企んでいるときに見せる微笑み。誰が見ても人畜無害だと判断してしまう、エリオットが得意な表情だ。ヴィクトル様の方はエリオットのいる方を見ているので、どんな表情をされているのかわからなかった。

 それにしても不思議な組み合わせだ。シェルストレーム王国の文官とヴィカンデル王国の騎士、二人に接点があるとは思えないんだけど。

 出ていくタイミングを失った私は、しばらくこの木立の陰から会話の行方を見守ることにした。

 エリオットがまた口を開く。

「ダンスには参加されないのですか? ヴィクトル殿であれば、淑女の方々が喜んで相手してくださるでしょう。先ほども、たくさんのご令嬢から誘われていらしたようですし」

「あまり得意ではないので」

「ダンスがお得意でないとは……、姉上と同じだ」

 ちょっと、エリオット。その通りなんだけど、別に隠してもないけど、サラッとバラさないでくれる?

 ヴィクトル様が一瞬間を開けてから言う。

「いえ、私が得意でないのは、女性のお相手をすること自体です。異なる文化にいろいろと驚かされていますが、我が国もこの国も女性についてはあまり変わらないようですね」

「女性……ですか?」

「ええ。私のことをよく知りもしないだろうに、肩書きや素性などの条件が合うという理由だけで獲物を狙うかのように色目を使って来るところは、国が違えど変わらない」

 ヴィクトル様の答えに、エリオットは合点がいったとばかりに頷いた。

「あぁ、そういうことですか……。なるほど、ヴィクトル殿ならではの見解ですね。まぁ、彼女たちも生活がかかっていますからね。もちろん見栄もあるとは思いますが。ただ……」エリオットがここで一度言葉を切る。「女性の相手が得意でないと仰る割には、姉上とはよく話されているとお聞きしましたが?」

 微笑んだままだろうに、エリオットの声のトーンが少し変わった。ヴィクトル様もそれに気付いた様子だ。

 それにしても、どこからそんな情報仕入れて来るのよ……。いろいろと情報を集めてるって前に帰省したときに言ってたけど、そういう下世話な情報も集めてたりするわけ?

「貴方の姉君には、裏がない」

 ヴィクトル様の言葉に、エリオットが思わずと言った態でくすくすと笑う。

「なるほど、姉上らしい。ヴィクトル様にとっては『女性』として構える必要がない相手、というわけですね」

「そう、なのかもしれません」

 エリオットとヴィクトル様の会話を聞いていて、ヴィクトル様に「貴族らしくない」、「女性らしくない」と言われたことを思い出す。それは、ヴィクトル様の今までの経験から出てきた言葉だったってことだ。つーか、言葉が足りなさすぎるでしょ! そこだけ言われてわかるわけないっつーの。

 それに、どんだけ自惚れ屋さんなのさ。それって、大前提として自分がモテるってコトでしょ?

「それで、姉上を『マリー』と呼ぶのですか?」

 エリオットが何でもないようにサラッと、でも鋭く、質問する。

 ヴィクトル様は沈黙した。そして、しばしの後、ぽつりと言う。

「……同じことを、アルフレドにも聞かれました。何故彼女を『マリー』と呼ぶのか、と」ヴィクトル様は顔を僅かに伏せた。「ずっと考えているのですが、答えが見つからない」

 エリオットが溜め息を付く。そして、こちら──私の居る場所──へと顔を向けた。

「──だそうですよ、姉上」

 うわ、バレてるし!

 相変わらずの逆光でエリオットの表情は見えないけど、絶対に今、イタズラが成功したときのあの笑みを浮かべているはずだ。

 バレている以上、ここに隠れていても仕方がない。私は木立の間の小道を出て、二人の前に進み出た。

「やはり姉上でしたか」

「わかってて呼びかけたんじゃないの?」

「いえ、確信はありませんでした。姉上が中庭へと降りて行かれたのは遠目に見ていましたけど、半分は勘です」

 エリオット、我が弟ながらアンタの勘の良さがたまに怖いよ。

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