第二十九話
「気に障ったのならすまない。クリスティーネ殿下が供とされる侍女は当然アン=マリー嬢だと思っていたから、少々驚いてね。この国では貴族のご令嬢が侍女業をしている、ということにも驚いたものだが……。確かに、侯爵家のご令嬢ともなれば、侍女として殿下と共に他国へ、とはいかないのであろうな」
私が歯切れの悪い答え方をしたせいか、従者その二さんが気を遣ってくださったのがわかる。でも私は、それ以上に、従者その二さんの言葉自体に引っ掛かりを覚えていた。
貴族の令嬢が侍女をしていることに驚いた? それってどういうこと?
「あの、ヴィカンデル王国では、貴族の女性が侍女となることはないのでしょうか?」
私が尋ねると、従者その二さんは頷いた。
「シェルストレーム王国では、行儀見習いの一環として侍女となって出仕するのが一般的だそうだな。我が国では、行儀や作法は講師を雇って学ぶ。侍女はあくまでも『職業』として在り、貴族でない者が従事するものだ。貴族の女性が侍女となることなど、よほどのことがない限り有り得ない。
この国に来て、アルフレド様に教えていただくまで、私も城の中で侍女として働く者の中に貴族の女性がいるとは知らなかった。だからこそ、初めは貴女に対しても失礼な態度を取っていたかもしれない。もし気を悪くさせるようなことがあったのなら、申し訳なかった」
「いえ、とんでもありませんわ。どうかお顔を上げてくださいませ」
従者その二さんが頭を下げたのを見て、私は慌ててお願いする。ただ、内心では納得もしていた。
そうか。だからヴィクトル様が「粗相のないように」って発言されたとき、従者その二さんに慌てた様子は見られなかったのね。私のことを平民の侍女だと思ってたんだ。
でも、待って。従者その二さんが知らなかったということは、もしかして……。
「もしかして、他の方々も同様なのですか?」
私の質問に、従者その二さんは再び頷いた。
「ビリエルは知っていたようだが。貴族の女性が行儀見習いの侍女として城に出仕していると聞いて、ヴィクトルとアンドレは驚いていた。ヴィクトルの驚いた表情を見るのは珍しい」
やっぱりそうか。初対面の時、ヴィクトル様も私のことを貴族だとは思わなかったんだ。上から目線な態度は、貴族として平民(だと思っていた)相手に対する命令であり忠告だったってわけね。
でも、だからと言って、あの言い方は酷いということに変わりはない。同じ内容でも、もう少し違う言い方をしていたら全然違う印象になっていたと思うけど。
「マリー」
考え事をしている最中に突然大きな声で名前を呼ばれ、肩がびくりと跳ねる。今日はよく呼び掛けられるわ、と思いつつ声のした方を振り返るとエドガー様が見えた。深い緑色の目を細めつつ、私のいるところへと歩いて来る。
「こんなところに居たのか」
そう仰ったエドガー様は、私の目の前で立ち止まった。そしてそれまでエドガー様からは柱の影になっていて見えなかった、私の脇に立つ従者その二さんに気が付かれる。
「どなたかと思えばマルク殿か。今宵の宴に参加いただき痛み入る」
「エドガー様、この度はクリスティーネ殿下のご婚約おめでとうございます。我々までお招きいただき感謝しております」
従者その二さんはマルク様という名前だったらしい。マルク様が、騎士らしく右腕を左胸に当てて頭を下げると、エドガー様は微笑み大きく一つ頷いた。
「祝いの言葉ありがとう」
「では、私はこれで。仲間が待っておりますので」
なんとなく空気を読んだのか、マルク様が去って行かれる。当然、私とエドガー様だけがこの柱の影に残された。
「こんなところで何をしていた。探したぞ」
「マルク様と少し話をしておりました。あの、エドガー様、探された、とはどういうことでしょう? 何かご用件でしょうか」
私が尋ねると、エドガー様は眉間に皺を寄せた。
「──マリー、まさかとは思うが、私との約束を忘れたわけではあるまいな?」
「えっと……?」
「一曲頼むと言っただろう」
呆れたとばかりに溜め息をついて、エドガー様が仰る。
うん、そういえば、確かに言われた。でも私、是とも非とも返事してないよね? なのに決定事項ってことは、それって『約束』じゃなくて『命令』ですよね!?
揚げ足はいくらでも取れそうだけど、やればやるほどエドガー様のご機嫌を損ねそうだ。ここは口を噤んでおくに限る。
エドガー様は柳眉の間に縦皺を寄せた表情のまま、私に手を差し出した。
「約束を果たしてもらおうか。来い」
ハイ。拒否権ナシですね。
私はエドガー様の右手に自分の右手を乗せた。エドガー様はその手を掴むと私の身体をぐいと引き寄せ、後ろからふわりと包むように腰に左腕を添える。そしてそのまま、私をダンスホールへと導いた。
曲の途中だったのだけど、エドガー様は躊躇うことなくダンスの輪に入ってしまう。
えっ、ちょっと待って。
私は焦りながらも曲に合わせて足を動かし始めた。よかった。ちょうど少しゆっくり目のステップの曲だ。
「上手いじゃないか」
エドガー様がニヤリと笑う。
「ありがとうございます。でも私、あまりダンスが得意ではありませんので、お手柔らかにお願いします」
「そうか? これだけできていれば十分だろう」
さっきの表情はどこへ行ったのか、今のエドガー様は機嫌の良さそうな、それでいてどこか面白そうな表情をされている。
「ウィリアムに先を越されてしまったからな。二曲ほど相手をしてもらうぞ」
なんですかその論理! てゆーか、たった今、私、ダンスは得意じゃないって言いましたよね? ちゃんと聞いてました?
渋い顔をして見せたものの、エドガー様に笑顔で往なされる。私は諦めて、エドガー様の気が済むように付き合うことにした。
ダンスなんて本当に久しぶりだ。さっきも思ったけど、身体を動かしているせいか意外と楽しめている気がする。下手なりに。
ただ、時間が経つにつれて周囲から視線を感じ始めた。
そりゃあそうだよね。エドガー様って王太子様だもんね。しかも年齢的にそろそろ結婚しなければならないというのに、未だ特定の相手の影すらない。そんな方が異性とダンスしていたら、注目されて当然だ。
しかも、今日は妹姫の婚約を祝う宴。クリスティーネ様が、兄王子三名を差し置いて、一番早くご結婚されるわけだ。そろそろ兄王子方も恋人を作られるのでは……だとか、今日の相手の中から選ぶつもりなのかも……だとか考える人がいてもおかしくはない。
あまり長い間エドガー様とダンスするのは拙い気がする。変な憶測や噂が広まるのは本意じゃないし。エドガー様にとっても本命の女性ができたときに、変な噂はない方がいいに決まっている。
そろそろ二曲目が終わるという頃、ダンスしている間ずっといつものように軽口のような会話を楽しんでいらしたエドガー様が、それまでとは明らかに違うフッという優しい微笑みを見せた。
「どうかされました?」
「いや、マリーと居ると心地よいと思ってな」
意味が分からず、エドガー様を見上げて首を傾ける。エドガー様は私の訝しげな表情が面白かったのか、くつくつと笑った。
「人の心とは不思議なものだな。好ましいと思うものが、必ずしも安らぎを覚えるものというわけではないらしい。生涯を共にするのならば、安らぎを選択するのが正解なのだろうな」
二曲目が終わった。エドガー様は私の手を引いてダンスの輪から外へと出られる。
エドガー様が手を放したので、私はドレスを摘まんで頭を下げた。
「エドガー様、お相手していただきありがとうございました」
「マリー」
そう、エドガー様に名を呼ばれて面を上げる。穏やかな笑顔を浮かべるエドガー様がそこにいた。
「そなたと踊れてよかった。先日ウィリアムに提案されたこと、あのときはあり得ないと思ったが、気が変わった。真剣に考えてみようと思う」
はぁ、そうですか。何のことかよくわかんないんだけど。ウィリアム様に何か言われてるのかな。
そう言えば、アルフレド様がシェルストレーム王国へいらしたばかりのとき、エドガー様に半拉致されたことがあったっけ。そのときにウィリアム様がエドガー様に何か仰っていたような……。
そこまで考えたところで、嫌な予感が過ぎる。これ以上詳しく思い出すのは、とてつもなく拙い気がする。少なくとも、今思い出すのは止めておいた方がいい気がする。なんとなく気にはなるけど、私はいったん思考を閉ざすことにした。
エドガー様が踵を返して去って行かれる。そのタイミングを見計らっていたかのように、数名のご令嬢がエドガー様に近寄って行くのが見えた。きっと次のダンスの相手に選んで貰おうとしてるんだろうな。
はぁ、若い子はいいわね。思い立ったら即行動、ができて。この年齢になると、いろいろ柵とか考えちゃって、思い立つこともできなくなるもの。
そんなことを考えながら、邪魔にならない場所へと大広間の中を移動していた私の耳に、聞きたくもないような会話が聞こえてくる。
「ねぇ、ご覧になって?」
「あの方、どういうおつもりなのかしら」
「ええ。エドガー様に二曲もご一緒させてましたわね」
「さっきはウィリアム様にもお相手させていたのを見ましたわ」
「どちらの家の方かしら……」
「アン=マリー様ですわ。ヤーロース侯爵の姉君の」
「まぁ……、ヤーロース侯爵のお姉様。それでしたら、当然旦那様がいらっしゃるでしょう?」
「それが、未だお一人でいらっしゃるとお聞きしておりますわ」
「あぁ、それで……。形振り構っていられないのかもしれませんわね」
ちょっと、そこ。聞こえてるっつーの。
いや、私に聞こえるように言ってるのよね。うん、知ってる。
歩きながらも横目で見やれば、どこぞのご令嬢が数名固まって私の方を睨むような鋭い目で見ていた。何人かは見覚えがある。多分、昔、見習い侍女として出仕していた子だ。
どうも、あの子たちの中では、私がエドガー様とウィリアム様に無理矢理相手してもらったってコトになってるらしい。実際は逆だっつーの。
はぁ、相手するのも面倒だわ。
私は足を止めることすらせず、人目を忍んで休憩しようと中庭へ向かった。




