第二話
確かに、クリスティーネ様がいくらシェルストレームの王女であっても、突然『結婚』を突き付けられてしまうとやっぱりいろいろ考えちゃうわよね。根が素直な方だから、王女として模範的に振る舞おうとがんばっているわけでもないのに、普通に自然体にしていてそうできてしまうのがクリスティーネ様の素晴らしいところなんだけど。
でも、よ。クリスティーネ様はようやく十七歳で成人したばかり。社交界デビューもしていらっしゃらない。つまり、今まで一度も『恋』らしい恋をしていない(はずだ)し、それどころか、今まで公務以外で同年代の男性と会うような機会もほとんどなかったわけで。
それが、突然、『結婚』まで一足飛び。女性にとっては、結婚って人生の一大事だっていうのにね。
そりゃあ、我が身を憂いたくもなるわよね……。きっと、少し心を落ち着かせて考えたいって思ってらっしゃるはずだ。
クリスティーネ様に少しでも安らいで欲しくて、私はクリスティーネ様の私室へと戻ると、手早くお茶の準備を整えた。
あまり華美なものを好まないため、クリスティーネ様の部屋には必要以上の装飾品や調度品がない。使いやすいものを厳選して揃えた家具は、最低限のもののみ。それらを得意のレース編みや刺繍を施したクロスやカバーで品良く飾っている。ただ、ベッドの上だけは例外で、たくさんの動物のぬいぐるみが枕の両脇に置かれていた。
南に面した大きな窓際に置かれた籐の椅子にクリスティーネ様を座らせ、私は紅茶を用意する。自分で言うのもなんだけど、紅茶を淹れるのは得意なのだ。
「クリスティーネ様、お茶が入りました」
「まぁ、マリー、ありがとう」
十分に蒸らしたそれをテーブルの上に乗せると、クリスティーネ様は微笑み、ティーカップを手に取った。そして一口飲み、ぽつりと漏らす。
「随分と急なお話だったわね。わたくし、先日ようやく成人を迎えたばかりなのに」
この言い方は、多分、返答を求められているわけじゃない。長年仕えているからこそわかる微妙なニュアンスの違いでそう判断すると、私は敢えて無言のままポットに水を足し入れながら思考を巡らせた。
クリスティーネ様が成人し、ご結婚を考えるお年頃になられたのは周知の事実だ。
おそらく、今回の話の前にもたくさんクリスティーネ様の輿入れ話はあったはず。でも今までに一度も──噂好きな侍女たちにすら──そんな話が耳に入らなかったのは、全て王様と王妃様、そして宰相様の三人だけで内々に処理していたからってトコだろう。クリスティーネ様が成人してから、本人の意思と国政への利害を確認しつつ、吟味して候補を決めるおつもりだったんだろうな。クリスティーネ様ご本人にも、まだそういうお話が届いているってことすら伝えられていなかったのだし。
ただ、ヴィカンデル王国のアルフレド王子からの求婚が、三人の想定外だっただけで。
いっぱいになったポットを、自作の発熱・保温効果のある鍋敷き型の携帯魔法陣の上に置くと、私はティーカップの傍らにお茶菓子のマフィンをそっと用意する。甘い物が好きなクリスティーネ様に喜んでもらえるよう、今朝の朝食後、料理長に頼んで作っておいてもらったものだ。
これでもクリスティーネ様が四歳の頃からずっと仕えてますからね。性格はもちろん、趣味趣向もすべて把握している自信がある。身分の差はあれど、(大変失礼ながら)実の妹のように思っているのだ。
「急、とおっしゃる割には、落ち着いていらっしゃいましたね」
「まぁ、そう見えて? 本当はね、とっても驚いていたのよ。でも、マリーにも気付かれていなかったのなら、きっと誰にも気付かれずに済んだわね」
「ええ、まったく気付きませんでした。本当に驚いてらしたんですか?」
「もちろんよ。ただ、兄様たちに、成人したらそういう話が出て来てもおかしくないから覚悟しておくよう、前から言われていたものだから」
私が当たり障りのない形で言葉を紡ぐと、クリスティーネ様はふんわりと微笑んで理由を語った。
なるほどね。あの兄殿下たちなら言いそうだわ。クリスティーネ様を溺愛してるし。
本当なら、私がしなきゃいけないコトだったのかもしれないけど、どうにも男女の関係から遠のいていて思考回路が回らないのよね……。
それにしても、成人したら結婚、かぁ。
私はお茶のおかわりを用意しながら物思いに耽る。他事を考えながらでも一切ミスすることのない自分が少し悲しいわ……。侍女として必要な動作は身体に染み着いちゃってるって証明してるみたいで。
一応、侯爵家の長女と家柄も良く、見目も良くはなくとも悪いという程でもなく(多分)、王女の専属侍女っていう箔が付いているにも関わらず、私には男性との縁がほとんど……いや、まったくと言っていい程に、ない。齢十七で成人を迎えるシェルストレーム王国において、女性は二十歳くらいまでが結婚適齢期だ。
私? 現在、二十二歳でございますが何か?
は? 行き遅れ? わかってるわよコンチクショウ。
私よりずっと後から出仕を始めた貴族の娘たちが次々と相手を見つけて辞めていく中、気が付いたら行儀見習いとして城に上がっている貴族侍女の中で一番の古株になっていたからね。それもダントツで。気付かない方が無理ってもんよ。
今や専属侍女としての仕事の合間を縫って、新入り侍女の指導までやらされる始末だ。私、ただの行儀見習いだったはずなんだけど。
そして、クリスティーネ様も近い内に輿入れときたもんだ。今までよく頑張ったよ、私、うん。
さて……、クリスティーネ様の結婚後はどうしようかしら。輿入れには自国からの侍女も連れて行かれると思うのだけど、普通は身元のはっきりした職業侍女が選ばれるものだし。
そうそう、さっきから『侍女』って連呼してるけど、侍女には二種類ある。貴族令嬢が行儀見習いのために出仕する『行儀見習い侍女』と、平民で身元がはっきりした家庭の娘が職業として奉公する『職業侍女』だ。行儀見習い侍女と職業侍女では業務内容も違う。元の身分が違うのだから、当然と言えば当然ね。
ちなみに、昔は『行儀見習い侍女』のことを『女官』って呼んで区別していたらしい。でも一時期の王家の力が弱まっていた時代に女官制度自体が当時の有力貴族によって廃止されて、その際に呼称もなくなったらしいのよね。まぁ結局、後の時代に『行儀見習い侍女』として制度だけは復活したわけなんだけど。
それで。
過去、クリスティーネ様のように他国へ嫁いだ王女様は何名かいらっしゃる。ただし記録によると、その際に同行したのは皆、職業侍女らしいのよね。だから、行儀見習い侍女の侯爵令嬢が、クリスティーネ様にのこのこ付いて行くわけにもいかないのよねぇ。
とはいえ、実家に戻っても居場所ないんだよなぁ。実家はもう弟が継いでるから、いまさら小姑がのこのこ帰れないのよね。
あ、お父様もお母様も健在よ? 領地に小ぢんまりした屋敷を建ててそこで暮らしてらっしゃるのよね。そんなわけで、夫婦水入らずで隠居生活を満喫してる二人の邪魔もしたくない。
かといって、クリスティーネ様がいなくなったら、王城への出仕を続けるのもなんか微妙よね。今なまじ王女専属侍女なんてやってるもんだから、新しい担当を決めるにしてもいろいろと気を使われそう。専属侍女ってお仕事の内容も特殊で一般的な行儀見習い侍女のものとはかなり違うから、侍女頭さんにも扱い辛いと思われちゃうかもしれないし。
あーなんだか現実を突きつけられた気分だわー。
こんなことなら、成人したばっかりの頃、実家に届いてたっていう縁談を少しは真面目に考えてみればよかった。クリスティーネ様がまだ子供で心配だから、なんて考えて釣書すら見ずに断ってた私の大バカ者!
あーあ。後悔先に立たずって言うけど、ホントよねー。
既に婚期を逃しているのは事実だし。年齢からいって今から相手を探したとしても、来る話は後妻か妾くらいだろうし。もしかしたら『侯爵家の娘』かつ『初婚』ってコトで、名乗りを挙げてくれる方もいないかもなぁ。
──いっそ清いまま侍女頭を目指してやろうかしら……。
はぁ、ちょっと本気で今後の身の振り方を考えなきゃなぁ。
私はクリスティーネ様にわからないよう小さく溜め息をこぼし、空になっていたティーカップに淹れ立ての紅茶を注ぎ足して差し上げる。そんな動作も条件反射のように何も考えずに自然とできてしまう自分を自覚しつつ。
クリスティーネ様は、ありがとうと言いながらそれを手に取り一度口を付けると、くすりと笑みをこぼした。
「わたくしね、勝手に、伴侶となる方を決める際には、まず候補の殿方が何名か選出されるものだと思っていたの。その中から、お父様やお母様、宰相様と相談しながら決めるものだとばかり。だから、相手の方が既に決まっているとは思わなかったわ」
ええ。私もそれが普通だと思います。
そう告げようとした、ちょうどその時だった。クリスティーネ様の私室の扉を叩く音が聞こえたのは。