第二十八話
大広間の隅で、ウィリアム様の足が止まる。
あの場を離れるのに急いだせいで少し息が乱れてしまった私は、落ち着いてからウィリアム様に頭を下げた。
「大変失礼いたしました」
「そんなに驚くことでしたか?」
苦笑するウィリアム様の質問に、こくこくと首肯することで答える。
「マリーは自分を過小評価していると思いますよ。貴女は聡明ですし、いつも凛としていて美しい。とても魅力的な女性ですよ。王族の伴侶としても申し分ないくらいに」
私とは縁遠いと思っていた言葉が、ウィリアム様から次々と降ってくる。
ちょっと待って。正直言って今は状況を整理するので精一杯なんだけど。でもとりあえず、これだけは確認しておきたい。できれば私の自惚れでした! で終わって欲しいんだけど。
「あのぅ、大変お尋ねしにくいのですが、つまり、ウィリアム様は、その、私のことを好いておられるのですか?」
「ええ、そうです。一人の男として、アン=マリー・ヤーロースという名の女性に好意を抱いていますよ。生涯を共に過ごしたいと思うくらいに」
眼鏡を押し上げた後、極上の微笑みと共にサクッと返ってきた台詞に、軽く目眩を覚える。
マジで!? 嘘でしょ? だって今まで、そんな素振り見せてなかったよね? 何故、今になって突然そうなるの?
私の思考はいつの間にか途中からぶつぶつと声に出てしまっていたらしい。
「突然ではありませんよ。随分以前からです」ウィリアム様が言った。「ですが、クリスティーネの護衛を失うわけにはいきませんでしたので、黙っていたのです。それに、わたしだけではありませんよ。多分、エドガー兄上もフィリップも、貴女に好意を持っています」
「エドガー様はナイと思いますけど」
すかさず突っ込む。突っ込まずにはいられない。
普段から『肉感的な女性』が好みだと豪語しているエドガー様が、私のことを好き? ナイナイナイナイ。絶っ対にナイ。自分で言うのも悲しいけど、私にはちゃんと現実は見えてるし。鏡は嘘をついてくれません。
「確かに、口ではいろいろ言っていますね。でも少なくとも、兄上の初恋の相手はマリーですよ。幼い頃は、もうそれはそれは貴女を意識していて、貴女の関心を引きたいあまり勉学や武道に励んでいたようなものですからね。もう兄上自身は覚えていないかもしれませんが。フィリップも、貴女と対等な関係になりたくて、騎士団に入団して鍛錬を積んでいるようですし……」
私は壁に寄りかかり、額に手を当てた。
ちょっと待って。なんか、今まで微塵も考えもしていなかったことばっかり言われてるような気がするんだけど。入って来る情報量が多すぎて、思考が追い付きませんッ!
落ち着いて整理しよう。えっと、つまり? ウィリアム様は前々から私に好意を持ってくださっていて、私のクリスティーネ様の護衛の任がもうすぐ解かれるだろうからプロポーズしてくださった、と。さらに、もしかしたら、エドガー様やフィリップ様も、ありがたいことに私に好意を持ってくださっているかもしれない……だと?
ダメだ。知恵熱出そう。これは夢だと思いたい。そろそろ目が覚めて、ぜーんぶ夢でしたってならないかな。
余裕のなくなっている私の様子を見て、ウィリアム様が苦笑した。
「返事は、もう少し待った方がよさそうですね。もちろん無理強いするつもりはありませんが、わたしは本気ですよ」
ウィリアム様はツイと眼鏡を押し上げると、私の手を取った。一瞬だけ躊躇する素振りを見せた後、甲に唇を一つ落とす。そして、名残惜しそうな、甘さすら感じる微笑みを残して去って行かれた。
ウィ、ウィリアム様って、あんなキャラだった……?
去って行くウィリアム様の後ろ姿を呆然と見送りながら、私は今更、頬に熱が集まって来るのを感じた。慌てて、大広間からは影になって見えにくい、柱と壁の間に隠れる。頬に手を当てると、案の定熱くなっていた。
まさか、ねぇ。この年齢になって私がプロポーズされるとか、信じられる? しかも王子殿下からとか。
今後の選択肢の一つが差し替わっただけ、と言えばそうなんだけど。でも、専属侍女としての担当が変わるだけだと思っていたのが、実は伴侶でしたっていうのは変わり過ぎよね?
ウィリアム様のことは、もちろん嫌いじゃない。為政者として日々頑張っていらっしゃる姿は好きだ。でも、恋愛や結婚の対象として見たことはなかった。エリオットと同じように(失礼ながら)弟みたいに思っていた。フィリップ様も同じだ。そしてエドガー様はクリスティーネ様をお守りする同志だと思っていた。だから、急にあんなこと言われても、正直言って、困る。
とりあえず今は、ウィリアム様に言われたことを忘れよう。それから、後で──夜会が終わってから──ちゃんと考えよう。
はぁ。まだ夜会は始まったばっかりだというのに、なんだか精神的に疲労困憊って感じだわ……。
「アン=マリー嬢? このようなところで何を?」
声を掛けられ伏せていた顔を上げる。アルフレド様の従者その二さんが立っていた。従者の中で一番年齢が高く(多分、四十歳くらいじゃないかなぁ)、厳ついお顔と体格をお持ちの方だ。名前は忘れた。ごめん。
「ちょっと疲れてしまって」
「もう?」
「──こういう場が苦手なものですから」
適当に誤魔化して肩を竦めて見せる。従者その二さんは、ふぅ、と溜め息を付いて言った。
「貴女もか。私もこういう場は苦手でね」
確かに、見た目からして経験と実績を積んだ熟練の騎士様という感じの方だ。こういう華やかな社交の場は得意でないのかもしれない。
「年頃の女性であっても、夜会が苦手という人はいるのだな。私の妻が驚きそうだ。だが、とてもお綺麗なのに、皆に披露しないとは勿体ない」
「まぁ、お上手ですわね」
私は微笑みながらも、従者その二さんが結婚なさっていると知って、内心驚いていた。堅物そうなこの方が、どうやって奥様に愛を囁いてるのかしら。
てゆーか、早いとこ従者その二さんの名前を思い出さないと。えっと、ここまでは出かかってるんだけど。
私の失礼な思考にまったく気が付いていないようで、従者その二さんは「そういえば」と話を変えた。
「アン=マリー嬢は、クリスティーネ殿下と共に我が国には来ないとお聞きしたのだが……。真なのか?」
「ええ……」
そう答えながら柱の影からダンスホールの方へ視線を投げると、ちょうどクリスティーネ様とアルフレド様が幸せそうにダンスなさっている姿が見えた。きっと、アルフレド様はまた爆発しそうな甘い言葉をクリスティーネ様にかけていらっしゃるんだろうな。
──一緒に、ついて来ては貰えないかしら……
不意に、クリスティーネ様の不安げな声が頭に蘇る。
私だってクリスティーネ様について行けるものならついて行きたいと思う。ずっと、専属侍女、兼、護衛として仕えてきた方だもの。家族以外の誰よりも、クリスティーネ様のことをよく知っているっていう自信がある。
だからこそ、あのときの不安げな声は、本物だったとわかる。王女であるために普段は抑えているクリスティーネ様の感情が、漏れ出してしまったのだと。
でも、現実はそう上手くいかないのだ。それは、私が、魔法使いだから、だったりする。
魔法は誰でも使えるわけじゃない。魔法の使い手は希少で、故に貴重だ。魔力量や得意分野は人それぞれで、戦闘に向いている者もいれば、護衛に向いている者、看護に向いている者もいる。
国によっていろいろと制度は違うのだろうけど、シェルストレーム王国では、魔法が使える者であるとわかった時点で、国に申請することが義務付けられている。そして、魔法使いとして認定・登録された者は、身分を問わず国によって衣食住を保証され、様々な教育を受けることができるようになる代わりに、成人を迎えた時点でそれぞれの得意分野にて国に貢献することが義務付けられているのだ。
私の父は、幼い私の魔力の強さを見て、女の身でありながら兵役を課せられることを心配した。その為に、国に申請しなかったのだ。人前では絶対にその力を使ってはいけない、と約束させられて。
まぁ、結局クリスティーネ様の遊び相手をしていた頃にエドガー様にバレてしまい、現在のような、シェルストレーム王国内ですら公にされていない、国王様公認の隠れ魔法使いというポジションに落ち着いたわけだけど。
でも、クリスティーネ様が嫁がれた後も、現在の『魔法の力があるのに国に(正式に)登録されていない』という状態に甘んじられるかと言えば、多分、否だろう。きっと、どういう進路を選ぶことになったとしても『国』に縛られることになるはずだ。
『魔法使い』という稀有な人材を、国外へ流出させるわけにはいかないだろうから。




