第二十五話
あれから三日が過ぎた。
婚約の儀は、何事もなく無事に終わっている。
儀式終了後、警備担当の騎士さんたちが脱力していた。確かに曲者に狙われるとしたら婚約の儀のときが一番可能性高いもんね。警備は厚いけど、国の重鎮たちが一堂に集まってる上に、人の出入りが多いから紛れ込みやすいし。突貫の警備計画の割にがんばったよ、うん。
まぁ、実を言うとアルフレド様が内緒で厳重に結界作ってたみたいだから、賊の類は入ることすら叶わなかったんだけどねー。これ暴露したら、警備の責任者やってた騎士さん泣くだろうから言わない。いつもお世話になってる気のいいオジサンなのよ。
婚約の儀が終わって諸々の雑務が完了したら、アルフレド様たち御一行様はすぐに帰国するんだと思ってたのに、実は今現在、帰国予定は未定だったりする。どうやら今度は、クリスティーネ様をいつヴィカンデル王国へ連れて行くかで、シェルストレーム国王と少々揉め……げふんげふん、協議中らしい。
簡単に言うと、直ぐにでも自国へ連れて帰りたいアルフレド様と、愛娘の輿入れなのだから十分に準備を整えてから送り出したい国王様、という図式。
ヴィカンデル王国側の受け入れ準備もあるでしょうにって思っていたのだけど、なんでもヴィカンデル王国の国王様は、今回の件について、アルフレド様に全権を委譲しているのだそうだ。
え、丸投げ? いやいや、そうじゃないらしいよ。ヴィカンデル王国内での調整は絶対に必要だし。王子の手腕を信用してるってコトでしょうね。
まぁそんな状態なので、輿入れがいつになるのかわからない。私を含めた下々の者は、仕方なく最低限必要な準備だけはし始めている。衣服の準備とか、荷物の選別とか、嫁入り道具の選定とか、やらなきゃいけないことはいっぱいある。急に「じゃあ明日出発だから」とか言われても困るし。
そんなわけで、俄かに忙しくなりつつあるって言うのに、厄介なことに、今夜は、アルフレド様とクリスティーネ様の婚約を祝う夜会が行われる予定だったりする。
夜会の際、私は専属侍女の正装を着て、大広間の目立たない位置に居るのが常だ。もちろん、夜会に参加されるクリスティーネ様の護衛として、ね。感知魔法を発動して危険がないか見張るワケ。ある意味とってもお気楽なポジション。いや、責任は重大だけど。
決して(年齢的に)誰も相手にしてくれないからじゃないわよ? 実際、エドガー様、ウィリアム様、フィリップ様っていう錚々たるメンバーが気を遣って毎回声掛けてくださるし!
でも、今宵の夜会は、そうはいかない。と言うのも。
「今度の夜会には、マリーにもアン=マリー・ヤーロース侯爵令嬢として参加して欲しいの」
とクリスティーネ様に言われているからだ。クリスティーネ様の命とあれば、護衛としてではなく侯爵令嬢として参加せざるを得ない。でも。
この年齢になるとさ、夜会への参加って結構ヘヴィなのよね……。
慣れないドレスを身に着けるのも、踵の高い靴を履くのも、結い上げた髪を崩れないようにキープするのも、ずっと立ちっぱなしなのも、もちろんキツいんだけど。でもそれ以上にさ、精神的にねー……。
だってさ、多分、目の前で着飾った若い女の子たちが殿方たちとウフフアハハ笑いながらダンスしてるの見ながら、壁の花に徹することになるワケよ、きっと。なんてゆーの? なんか、いたたまれなくない? 何せ婚約者も恋人もいませんからね。今までそんな相手作ってる余裕なんてなかったし。
そんなわけで本心では参加したくないんだけど、渋々ながら文官の仕事で城に来ていたエリオットに私のドレスを家から持って来てくれるよう頼み、昨日それを受け取った。しっかりとした造りの衣装ケースに入れられて運ばれたソレを、実は未だ開けてもいない。つまり、どんなドレスを送ってきたのか未だ知らない。エリオットなら、ちゃんと私が着るってコトと国王様主催の夜会って場を考慮したドレスを選んでくれてるはずだ。多分。いや、信じてるけど。なんだかんだ言って優しいし。
とにかく、私よりも先に、クリスティーネ様の身支度だ。
まだお昼を回ってすぐの時間帯だけど、淑女のドレスアップは、着替えやらお化粧やら髪結いやらでとっても時間がかかるから、そろそろ取り掛からなきゃいけない。しかもクリスティーネ様は本日の主役だ。抜かりなく、細心の注意を払って、今までで一番魅力的で素敵に仕上げなくちゃね。
ご令嬢の夜会用の身支度となると、普通はベテラン侍女数人がかりで整えるんだけど、私はクリスティーネ様の身支度をたった一人でこなす。それでも私は早い方なのよ? なんたって魔法っていう強力な援護があるからね。一人だけど、実際には手が何本もある状態と同じなのだ。本当に、魔法万歳だわ。
そんなわけで、私は今、クリスティーネ様のお部屋でドレスの着付けを始めてます。
一応コルセットを着けていただいたんだけど、要らないんじゃないの? って思うくらいに易々と完璧なシルエットを保って締まった。しかもまったく苦しくなさそうだし。うん……自分と比べないようにしようね、私。
「クリスティーネ様、少し腕を上げていただけますか?」
「こう?」
「ええ、ありがとうございます」
私は答えながら、手際よくドレスをクリスティーネ様に着せていく。
クリスティーネ様が今日着るドレスは、もともとは社交界デビューするときのためにと作られたものだったりする。結局、社交界デビューを経験することはなくなってしまったけれど、国王様が国一番と謳われる仕立て屋に作らせたカクテルドレスは、本当にクリスティーネ様によく似合う出来栄えだった。
濃いめのサーモンピンクを基調としたドレスは、主にタフタ素材で作られており、ベルラインのシルエットだ。シンメトリーなデザインのスカートは、微妙に色の異なる幾重ものチュールレースやオーガンジーがティアード状に重なってできており、パールのチェーンと薔薇の形をあしらったコサージュがところどころを華やかに飾っている。チューブトップになっている上半身にも細かい刺繍が施されており、スカートと同じパールがちりばめられていた。可愛らしいデザインなのに子供っぽさはなく、むしろ上品に見える逸品だ。
ドレスを身に着けていただき、スカートのシルエットを整えてから数歩下がって変なところがないかチェックする。うん、完璧。
「どうかしら……?」
「お待ちください。今鏡をお持ちします」
私は魔法で大きな姿見を運び、クリスティーネ様の前に設置する。覗き込んだクリスティーネ様の頬が少し上気した。
「なんだか、恥ずかしいわね。本当に似合ってる?」
「ええ。よくお似合いですわ」
そんな会話の間に、今度はアクセサリーを選ぶ。ネックレスにティアラ、イヤリング、そしてタフタのグローブ、靴……。いくつもあるクリスティーネ様がお持ちのアクセサリーの中から組み合わせ、結局、ダイヤモンドとホワイトパールでできたティアラ、ネックレス、イヤリングのセットに決める。靴はパールホワイトでやはりパールをあしらったものにした。
椅子に座っていただくようクリスティーネ様にお願いし、他愛もない会話をしながら、今度は化粧と髪結いに取り掛かる。
クリスティーネ様は素肌のきめが細かくて色も白いから、化粧って言ってもやることが少ないんだけど……。化粧水で肌を整えてパウダーをまぶす。アイメイクは、いつもよりも少し濃く陰影を付けるだけにした。頬と唇をドレスの色に合わせた色を選んでほんのりと色付ける。元がイイってホント得だわー……。
私はクリスティーネ様の後ろに回ると、御髪に櫛を通しながら、どんな髪型にしようか考え始めた。
顔回りと襟足に少し後れ毛を残し、全体をふんわりと編み込みの三つ編みにして。その三つ編みをくるりと丸めてやや低めの後頭部にお団子を作って、それを隠すように毛先を散らせば、ティアラを被っても華美になり過ぎない絶妙なバランスになる、かな。もともとの柔らかいウェーブも活きるし。
早速、選り分けた髪で編み込みを作り始める。
それまでは微笑みながら会話していたクリスティーネ様が、ふと、黙り込んだ。
「どうかなさいましたか?」
「ねぇ、マリー」
「はい」
「一緒に、ついて来ては貰えないかしら……」
私は驚いて手を止めた。ついて行くって何処へ? ──そんなの決まっている。ヴィカンデル王国へ、だ。
つまり、クリスティーネ様は、私に自分の輿入れ時にお供の侍女として一緒に来て欲しいと仰っているワケで……。
鏡に映るクリスティーネ様はぼんやりとした目で俯いていらしたが、ハッと弾かれたように顔を上げると、笑顔を作った。
「ごめんなさい、変な事を言ったわね。忘れてね」
そしてまた、クリスティーネ様は何事もなかったかのように明るく他愛もないお茶やお菓子の話を始める。
私は、その話に相槌を打ちながらも、先程のクリスティーネ様の笑顔が頭から離れなかった。微笑んでいるのに、寂しげで、悲しげで、泣いているようにすら、見えたから。




