第二十一話
語られる内容は凄惨なのに、アルフレド様の表情はとても穏やかなものだった。
アルフレド様が視線を窓へと移した。外は雲一つない青空が広がっている。
「王子様が六歳になった頃、王子様の母親は王子様に言いました。
『貴方ももう分別が付くようになってきました。そろそろせっかく授かった自分の力を制御する術を身に付けてはいかがですか?』と。
王子様の母親は、王子様のことを心から案じていました。だからこそ、王子様にそう言ったのです。でもその時既に、幼い王子様の心は、周囲から向けられる畏怖と拒絶の視線にすっかり疲弊していました。王子様の母親が国一番の魔導士に話を付けてくれたにもかかわらず、その術を学ぼうとせず、部屋の中に閉じ籠ってばかりいました。
そのまま月日が流れ、王子様は八歳になりました。
常に笑顔を浮かべているのに、いつまでも能動的に動こうとしない王子様を心配していた王子様の母親は、たまには外の空気を吸わせようと王子様と旅行に出ることにしました。
王子様の母親は隣国の王妃様と親しかったので、隣国へ行くことになりました。ただし、王子様が隣国で魔力を暴走させてしまっては大変ですから、国一番の魔導士が、強力な魔力封印の呪縛を施しました。それでも王子様の魔力は少しだけ漏れ出ていて、呪縛は持って一週間だと言われました。
訪れた隣国には、王子様と同じくらいの年齢の王子様たちがいました。ですが、人がすっかり苦手になっていた王子様は、隣国の王子様たちと上手く遊ぶことができず、やはり一人で遊んでいました。
王子様が一人で城の中を散歩していると、いつの間にか中庭に出ていました。中庭は綺麗に手入れされ、中央には噴水が流れています。王子様はその噴水に近付き、その水を使って魔法で遊び始めました。たくさんの雫を作り、自分の周囲の宙に浮かべたのです。太陽の光が雫に反射してキラキラと輝きました。
『まぁ……!』
突然女の子の声が聞こえてきて、王子様はそちらを見ました。柔らかく緩く波打つ蜂蜜色の髪と大きな緑色の瞳を持つ、この国の幼いお姫様がそこにいました。
人が居ることに気付いた途端、王子様の集中力が途切れ、水の雫がすべて落ちてしまいました。また、このお姫様も自分を化け物を見るような目で見て来るのではないか、そう考えた王子様は怖くなってしまったのです。でもお姫様は言いました。
『ざんねんだわ。とてもきれいだったのに……』
そう言いながら、お姫様は王子様の下へと近付いて来ました。
『わたくしはクリスティーネ。あなたはだぁれ?』
『ぼく、は……アルフレド……』
『アルフレドさま、いまのとってもきれいだったわ。もういちどやってくださる?』
屈託のない笑顔でそう言うお姫様に、王子様は驚いていました。それまで王子様の周りには、このお姫様のように接してくれる人はいなかったからです。
『アルフレドさまは、すばらしいかたね。だって、こんなにすてきなまほうがつかえるんだもの』
お姫様が微笑みながらそう言ってくれたとき、初めて、王子様は今まで憎んでさえいた自分の持つ魔法の力を好きになれそうだと思いました。
王子様のちょっとした魔法でお姫様が嬉しそうに目を輝かせるたびに、お姫様のその笑顔をもっと見たいと思うようになりました。そして、そのために、もっと上手に魔法が使えるようになりたいと思うようになりました。お姫様は王子様に、生きる希望を、生きる目的を、作ってくれたのです。
お姫様と一緒に過ごす時間はきらきらと輝くように楽しく、そして王子様にとって今まで味わったことのないほどの安らぎをもたらしました。王子様はそんなお姫様といつまでも一緒にいたいと思うようになりました。でも、王子様は自分の国に帰らなければなりません。
王子様は王子様の母親に尋ねました。
『おかあさま、クリスティーネといつまでもいっしょにいるためには、どうしたらいいの?』
王子様の母親はにっこりと微笑みました。
『そう……。貴方がクリスティーネ様のことが好きで、クリスティーネ様も貴方のことが好きだと思ってくれているなら、結婚できるかもしれませんね』
『けっこん?』
『お父様とお母様がしている、一生お互いを愛しますという神への誓いのことですよ。大人になったら、結婚することができるようになるの』
『じゃあ、ぼく、クリスティーネにけっこんしてってたのんでみる』
『ふふ、そうですね。クリスティーネ様が了承してくれるといいですね。それと、お父様にも頼まなければ。クリスティーネ様と結婚させてくださいって』
『わかった』」
アルフレド様はここでいったん言葉を紡ぐのをやめた。遠い一点を見つめたままだ。クリスティーネ様が白く細い手にぎゅっと力を込め、アルフレド様の手を握りしめる。
それでアルフレド様がようやくクリスティーネ様へと視線を戻した。優しい優しい眼差しで、クリスティーネ様を射竦める。
「もう、わかってるよね。王子様は僕、そして、お姫様は君のことだよ、クリス。
帰国してすぐに、父上に頼んだよ。クリスをお嫁さんにしたいって。いきなり何を言い出すんだってものすごく怒られたけど」
そのときのことを思い出したのか、アルフレド様が懐かしそうに苦笑する。
「それでも一生懸命説明して、お願いしたよ。話を聞き終えた父上に言われた事は三つ。クリスが成人するまで待つこと。それまでに自分の魔力を制御できるようになって父上を納得させる程の勲功を立てること。そして最後に、クリスが僕を選ばなくても決して恨まないこと。それができるなら、ヴィカンデル国王からシェルストレーム国王へ婚姻の打診をしてくれると約束してくれたんだ」
アルフレド様は空いている方の手でクリスティーネ様の頬を包んだ。そして二人、見つめ合う。
「クリスは僕に生きる希望をくれた。抜け殻みたいに、ただ呼吸しているだけだった僕に、生きる目的を与えてくれた。他人にもらったことのなかった笑顔をくれた。モノクロームだった世界に、鮮やかな色を与えてくれた。
僕にとって、一生を一緒に過ごしたいと思えるのはクリスだけなんだ。他の人を選ぶなんて有り得ない。だから、そんな不安にならないで」
安堵の溜め息と共に、クリスティーネ様の身体から力が抜けて行く。ゆっくりと瞬きすると、涙が一粒零れ落ちた。アルフレド様がそっと指で拭い、覗き込むようにクリスティーネ様の額に自らの額を合わせる。
「──ねえ、クリス。不安に思ってくれたっていうことは、僕は期待してもいいの?」
クリスティーネ様が驚いて目を見開いた。
「僕のこと、少しは好きになってくれた?」
重ねて問われた質問に、クリスティーネ様の頬がだんだんと桃色に染まって行く。
「好きだよ、クリス」
「え? あ、の……」
「クリス?」
「わ、わたくしも、です、わ……」
クリスティーネ様がもごもごと呟いた。
「クリス?」
クリスティーネ様は観念したらしく、瞳に強い意志を灯らせてアルフレド様を見つめ返した。
「わたくしも、アルフレド様のことを、その、す、好き……きゃっ!?」
アルフレド様がクリスティーネ様の身体をぎゅっと抱き締める。クリスティーネ様が焦った声でアルフレド様の名を呼ぶが聞こえてないらしい。アルフレド様はクリスティーネ様の肩に顔を埋めている。
「どうしよう。嬉し過ぎておかしくなりそう」
ようやく顔を上げたアルフレド様は、熱に浮かされたかのような表情のままそう言った。
「ありがとう、クリス。絶対に幸せにするから」
何この甘さ。甘い。甘過ぎる。砂吐けそうなくらいに甘い。口の中がジャリジャリする。
「……てゆーか、もげろ」
「もげろ?」
隣から聞こえてきた低い声に、私は我に返った。
「あら、また声に出てました? 申し訳ございません。気にしないでくださいませ。これもただの言葉遊びの呪文ですので」
ヴィクトル様が目を眇めて私を見た。
「マリー、貴女、この婚姻に反対しているんですか?」
「いいえ? クリスティーネ様もアルフレド様をお慕いしているようですし、大変喜ばしいことだと思っておりますわ」
「その割には、えらく物騒な呪文とやらを唱えますね」
「一応祝福の呪文ですのよ? まぁ、正直に申しますと複雑な心境ではありますけど」
「──まさかとは思いますが、アルフレドに懸想してるわけじゃないでしょうね?」
「何言ってんの違うに決まってるでしょアンタあほですか! 妹のように思っている大切な方を、アルフレド様が私の手の届かないところへ連れて行ってしまうから複雑だっつってんの! 私は一緒には行けないものですからね」
ヴィクトル様は意外にも少し目を見開いて「そう、ですか」とだけ言い、仲睦まじい主たちへと視線を戻した。
あら、てっきりまたイヤミが返ってくると思ったのに。いつもと違う反応が返ってくると、なんか、調子狂う。
槍が降ったりしなきゃいいけど。




