第十九話
「クリスティーネ様、どうされました? 元気がありませんね」
私は窓際に置かれた籐の椅子に座るクリスティーネ様に声をかけた。
クリスティーネ様は朝から溜め息ばかりだ──そういえば、昨夜既にあまり元気がなかったような気がする。
アルフレド様との関係は誰がどう見ても順調だし、悩むようなことなんて何もないはずなんだけど。
でも、膝の上に置かれた本は、あそこに座られてから既に半刻は立つのに一ページもめくられていないし、私が淹れて差し上げた紅茶もすっかり冷めている。今度、ティーカップ自体に保温効果を付与する魔法を考えておこう。
紅茶を淹れ直そうとお湯を沸かし始めつつ、つらつらとそんなことを考えていたのだが。
「ねぇ、マリー」
ぽつりと聞こえてきたクリスティーネ様の呟き声に私は手を止めた。
「はい、何でしょう?」
「アルフレド様は、本当にわたくしなんかを想ってくださっているのかしら?」
「クリスティーネ様、『わたくしなんか』などとご自分を卑下するようなことをおっしゃってはなりませんわ。クリスティーネ様をお慕いくださっているアルフレド様にも失礼ですもの」
そう応えたものの、驚かずにはいられないってば。
それこそ毎日数度に渡って、見てるこっちが恥ずかしくなるようなリアル『きゃっきゃうふふ』な場面を展開してくれてるというのに、今になってまさかのエンゲージ・ブルーとか!?
「ごめんなさい。でも……」
クリスティーネ様が俯いた。
それがまたすごく切ない表情で庇護欲をそそられる。これはきっとアレだ。恋する乙女の表情。クリスティーネ様が完全にアルフレド様に恋しちゃったってことよね。
確かに、あんなイケメンに「好きだよ」なんて会う度に言われてれば、クリスティーネ様みたいな純粋な女の子は、まぁ普通に落ちるよね。
アルフレド様、ヨカッタネー。十二年の想いは報われそうですよ。
それにしてもさ、十二年も想い続けるとか、一歩間違えればヤンデレだよね。まぁアルフレド様の性格からして、それはなさそうなんだけど。
なーんてコトを考えているとは、おくびにも出さないよ?
「何を弱気なことをおっしゃってるんですか。クリスティーネ様は王女という身分に恥じぬよう、常に努力していらっしゃったじゃないですか。勉学も、お裁縫も、お料理も、ダンスも。それに、慈善事業に力を入れるお優しい心を持っていらっしゃるじゃないですか。
大丈夫、クリスティーネ様は十分過ぎるほど魅力的な女性でいらっしゃいますから」
他にも、愛らしい仕草とか、幼く見える顔立ちとか、小さめの背丈とか、胸とか、胸とか、胸とか……は言わないでおくけど。
「違うの。そうじゃないの」
イヤイヤするように首を横に振り、クリスティーネ様がまた俯く。これは、なんだか、相当深刻な問題を抱えていらっしゃる気がしてきた。
私はクリスティーネ様の傍まで行き、膝を付くとクリスティーネ様のお顔を覗き込んだ。
「どうされたのですか?」
クリスティーネ様は両手で頬を覆い、私の視線から逃げるように目を泳がせる。
「クリスティーネ様?」
私が再度お名前を口にすると、クリスティーネ様はようやく私の方を向いた。そしてぽつりと呟く。
「アルフ…レド様は、もしかしたら、その、マリーと……一緒になりたいと考えていらっしゃるのではないかしら……」
……はい?
今、何か聞こえたような気がしたけど。気のせい?
クリスティーネ様を呆然と見つめる。深い緑色の瞳が、これでもか! というくらいに潤んでいた。
うわ、本気だ。クリスティーネ様、本気でそう思ってらっしゃる……!!
もぉ、ね。目が点ってこのコトだわ。
だってそうでしょ? 子供の頃のプロポーズを十二年経ってまで叶えたいと思うくらいに、アルフレド様はクリスティーネ様に恋い焦がれてらっしゃるのよ? シェルストレーム王国にいらしてからだって、疑いようもなくクリスティーネ様だけに愛を囁いていらっしゃるし。
何をどう解釈したらそういう結論に辿り着けるのか、ちゃんと、きちんと、はっきりと、確然と、説明していただかないと!
「あの、クリスティーネ様? なぜ突然そのようなことを?」
「それは……」クリスティーネ様は再び俯いた。「マリーはとても綺麗だし賢いのに、それをまったく鼻にかけたりしないわ。一緒にいると安心できるし、その上、お茶を淹れるのも上手。先日も昨日も、アルフはマリーのお茶を本当に美味しそうに飲んでいましたし、あなたの魔法も褒めてらしたわ。
それこそ、あなたの方がわたくしよりもよっぽど魅力的な女性なんですもの。だから、アルフがわたくしに頻繁に会いに来てくださるのは、もしかしたらそれは単なる口実で、実はマリーのことを一目見に来てるのではないかと……」
ふぉぉぉおお!?
なんか、トンデモ理論が展開されている……こ、これが恋する乙女か……ッ!!
私には決して発生することのないその可愛らしい思考回路は、私に盛大な困惑をもたらした。とにかく誤解を解くため全否定。そして説得しないと。
私は立ち上がり、クリスティーネ様を見つめた。
「クリスティーネ様、まず初めに、そのようなことは絶対にないとお伝えしておきます。アルフレド様が我が国にいらしてから何をご覧になっていらしたんです? 先日、アルフレド様のお気持ちはお聞きになられましたでしょう。アルフレド様を信じてくださいませ」
「ごめんなさい……。でも、私、アルフに好いていただけるようなこと、何一つした覚えがないんですもの。それなのに、あんな風におっしゃっていただくなんて変だわ。それでずっと、胸の奥がざわざわしてて、締め付けられているみたいになんだか苦しいの。
こんな気持ちになるのは初めてで、どうしたらいいのか、わからないわ……」
クリスティーネ様の声が聞こえて来る。でも消え入りそうなほどに小さい。
あー、これはアレか。相手のコトを好きになり過ぎちゃって、自分に自信がなくなっちゃうパターン。私自身に体験はないけど、侍女仲間が貸してくれた女性向け恋愛小説で何回も何冊も読んだし、知ってる。たいていの場合、女主人公が自信のなさから男性の前から逃亡を図るのよねー。
──そこ、「お前には恋愛経験自体がないだろーが」って言ったヤツ、出て来い。特製のお茶を飲ませてやる。
まぁ、クリスティーネ様の場合、逃亡すらできないよう既に周りを固められてる状態だし、万が一逃亡したとしてもアルフレド様があっという間に見つけ出しちゃうんだろうけど。
私は小さく嘆息し、口を開いた。
「クリスティーネ様は、ご自分が思うより、そして私よりもずっと素敵な女性ですわ。もしも私が男性でしたら、絶対にクリスティーネ様を好きになって、玉砕覚悟で求婚させていただくと思います」
クリスティーネ様が顔を上げる。あ、ヤバい上目遣いが超可愛い。ぎゅってしたくなる衝動を抑えて、私は続けた。
「ただ、申し訳ありませんが、私はアルフレド様がクリスティーネ様をお慕いすることになった理由は存じ上げておりません。ですので、クリスティーネ様のそのご不安を和らげることができません。
ですから、アルフレド様に直接お尋ねするのはいかがでしょう。思っていることは、ちゃんと口にしないと伝わりませんもの。アルフレド様のことです、きっと真摯にクリスティーネ様と向き合ってくださいますわ」
「そう、ね……。確かにそうだわ。ありがとう、マリー」
クリスティーネ様は私の言葉に深く頷くとにっこりと微笑んだ。
あーホント可愛い妹だわー。と思っていた私は、直後に続いたクリスティーネ様の言葉に衝撃を受けることになった。
「わたくし、いつもあなたを困らせてばかりね。幼い頃からずっと一緒にいてくれてたものだから、つい姉のような感覚で甘えてしまうの。許してね」
私が勝手にクリスティーネ様のことを妹のように思っていただけじゃなくて、クリスティーネ様も私のことを姉のように思ってくれてたんだ……!
あまりの嬉しさに笑顔が零れる。
「まぁ、ありがとうございます。勿体ないお言葉ですわ」
「でも、これからはどんなことがあっても、自分一人で解決できるようにならなくてはいけないんですのね」
唇を引き結んだクリスティーネ様を見て、輿入れ後の話をしているのだと理解する。
私は何も言えなくなってしまった。黙ってしまった私に気が付いて、クリスティーネ様が弾かれたように顔を上げる。
「あ、ごめんなさい。余分なことを言ってしまったわ。気にしないでね」
クリスティーネ様は笑顔でそうおっしゃったが、内心は不安に駆られてるはずだ。一国の王女という立場ではあれど、何と言っても未だ十七歳なんだもの。たった一人で、コネクションのない、風習も文化も違う余所の国へ行くことに、不安を覚えないわけ、ない。
気にしないでって言われても、私には、無理だ。




