第一話
「クリスティーネよ。そなたの結婚が決まった」
シェルストレーム王国王城の謁見の間にて、玉座に腰掛けた王様が娘であるクリスティーネ様に向かって告げた。
「はい」
クリスティーネ様の緊張を伴った短くもはっきりとした声が、謁見の間に響く。
その言葉を聞いた私は、クリスティーネ様は呼び出された時点で用件に見当がついていたんだと確信した。
私も二人と同じ謁見の間にいるものの、末席の末席──つまり入り口付近に控えているために、クリスティーネ様の後ろ姿しか見えない。でも、聞こえてきた声には、驚きもなければ悲観の色もなかった。
王様からクリスティーネ様に謁見の間へ来るように要請があったときに、私も用件に気付くべきだったのかも。私まで同行するよう命じられるって、やっぱり変だもんね。うわ、謁見とか面倒くさ……なんて思ってる場合じゃなかったっぽい。
クリスティーネ様は先日誕生日を迎えたばかりの十七歳。シェルストレーム王国の現国王の四人の子供の内の末っ子にして、唯一の姫君だ。
可愛らしい物が好きで、趣味は読書に刺繍にお菓子作り。初の女子ということで、国王夫妻からの深い愛情と、兄殿下たちからの溢れる優しさの中ですくすくと成長し、純粋で素直で清らかな乙女に育った。少し甘えたなのは、末子によくあることだ。
蜂蜜色の髪は柔らかく緩く波打ち、白い肌は滑らか。大きくぱっちりとした深い緑色の目に、紅など乗せなくてもほんのりと色づいた唇──『愛らしい』とか『可憐』という言葉がぴったりな顔立ちだ。
背丈はどちらかと言うと低い方だけど、代わりに出るべきところは出て括れるべきところは括れているという、魅惑的なプロポーションを持っている。それはもう、女の私から見ても溜め息モノだ。特に胸とか、胸とか、胸とか。
清純で童顔なのに胸がデカいって、なにこのギャップ。萌えか、萌えさせたいのか、と湯浴みのお世話をするときにいつも思っているのは内緒である。
そうそう、申し遅れましたが。
私の名前はアン=マリー・ヤーロース。シェルストレーム王国の上位貴族ヤーロース侯爵家の長女だ。皆からはマリーと呼ばれている。
私の母が、ありがたくも懇意にしていただいている王妃様より、王女と年齢の近い同性の女子を近くに置いておきたいと頼まれたことから、幼い頃よりクリスティーネ様の遊び相手として仕えきた。そのまま行儀見習いの侍女となり、これでも現在、唯一のクリスティーネ様専属侍女だったりする。
専属侍女って誰でもなれるわけじゃないのよ? 結構凄いことなんだから。
背丈は標準より少し高いくらい。黒い瞳と頑固なまでに真っ直ぐな栗色の髪のせいで気が強く見えるらしい。実際に気は強いけど。
プロポーション? 何それ美味しいの? ……今度その話題出したらお茶に雑巾の絞り汁入れるから覚えとけ。
あ、脳内言語が粗野なのは仕様なので気にしないように。持って生まれた性質ってヤツです。大丈夫、表には出さないから。一応侯爵令嬢だし、立場はわかってるつもり。
「相手の方のお名前を伺っても?」
──はっ、いかんいかん。謁見の間にいるんだった。今はとにかく会話の行方を見守らなきゃと、私は姿勢を崩すことなく耳を傾け直す。
クリスティーネ様が尋ねると、王様は難しい顔をされて押し黙ってしまった。
謁見の間に沈黙が落ちる。
え、何? そんなに伝えにくい相手なの?
私が心配していると、王様は表情を変えぬままようやく重く口を開いた。
「ヴィカンデル王国の第三王子、アルフレド殿だ」
「ヴィカンデル王国……というと、隣国の、ですか?」
思わずといった調子で聞き返したクリスティーネ様に、王様は、うむと頷くことで答えた。
ヴィカンデル王国というのはシェルストレーム王国の東に隣接する国だ。シェルストレーム王国の十倍近い国土を誇り、大陸最強の騎士団と魔道士団がいることで有名だ。もちろん農業・工業ともに盛んで、故に豊かな国でもある。
今回クリスティーネ様の伴侶となることが決まった第三王子のアルフレド様は、女性たちがヴィカンデル王国の話をするときは必ず一緒に話題に上るような方で、その噂は私ももちろん知っている。
見目麗しく、聡く、さすが王族といった体をされている、とか。温厚柔和な性格で誰にでも等しく優しい、とか。魔法の才があり、魔道士団の副団長を勤めている、とか。もちろん妙齢の女性から大変人気があるのだが、二十歳になる今まで誰にも靡かず、色恋沙汰の噂は一切ない、とか。一部の女性の間では男色なのではという妄想話がある、とか。
最後のはともかく、どんだけ完璧紳士なんだよ。一回くらいその御尊顔を拝んでみたいわー。って思ってたけど、そうですか、クリスティーネ様の伴侶になられるんですか。
「大変ありがたく、わたくしには勿体無い程のお話でございます。嫁ぎ先がヴィカンデル王国であればシェルストレーム王国のすぐ近くですし、国を出るにしても心強く感じますわ。陛下が打診してくださったのですか?」
ようやく事態を飲み込めたのか、相手がわかって安心したのか、クリスティーネ様の肩からふっと力が抜けた。会話の声にも普段の柔らかさが戻っている。
「いや、あちらの国王からだ。年齢的にもちょうど釣り合うのでは、と」
王様の答えに「そうなのですね」と頷いたクリスティーネ様は、すぐに少し首を傾げた。
「でも、何故わたくしなのでしょう。我が国にとってヴィカンデル王国と婚姻を結べるとなると大きな利益がありますけれど、いまさらシェルストレーム王国と婚姻を結んでも、ヴィカンデル王国にとっては利があるとは思えないのですが……」
クリスティーネ様の言い分は最もだ。ちょうど私も同じことを考えてた。
なにしろ、シェルストレーム王国がヴィカンデル王国よりも優れているのは、養蚕や織物の技術くらい。手に入れて損はないが、ヴィカンデル王国程の国なら大きな得もない。こう言っちゃナンだけど、ヴィカンデル王国にとってシェルストレーム王国は『取るに足らない存在』と言っても過言じゃないし。
運のいいことに、ここ数代のヴィカンデル王国国王はどちらかというと友好的な方ばかりだからシェルストレーム王国は存続できているけど、もし今が群雄割拠する戦国の世だったら真っ先に潰えていたか属国にされていたと思う。
「確かにシェルストレーム王国にとって、アルフレド殿はクリスティーネの相手として申し分ないのだが……もしもそなたが嫌なら断ってもよいのだぞ?」
「まさか! 陛下、わたくし一人のために民をも巻き込むおつもりですか?」
王様の言葉を聞いて、クリスティーネ様が慌てて否定する。
大国から小国への求婚だ。万が一、断ったことでヴィカンデル王国が腹を立てて国交がが途絶えでもしたら……。途絶えるだけならまだしも、好戦的な国ではないとはいえ武力に訴えられたりでもしたら……。被害を受けるのは国であり民だ。考えるだけでも恐ろしい。
つまり、向こうにどんな意図があるのかわからなくとも、この話においてクリスティーネ様に「諾」以外の返事があってはいけないってコトだ。それが非常に不本意な話だったとしても。
「いやいや、すまんな。聞かなかったことにしてくれ」
王様が大きく溜め息をつく。つい娘を思う父の顔が出てしまったんだろうけど……。内輪しかいない場で良かった。言質取られたら大変だ。
あ、宰相様が王様を睨んでらっしゃるわ。後でたっぷりと怒られてくださいな。合掌。
王様は宰相様の刺すような視線をビシバシ感じているのか、居心地の悪そうな表情のまま気を取り直すように玉座に座り直し、そのまま続けた。
「向こうからは、承知してくれるのであればすぐにでも婚約期間に入り、準備が整い次第婚儀を執り行いたいという希望を受けている。クリスティーネ、そなたの方で何か望むことがあるなら出来る限り添うとも言われている。何かあるか?」
「いいえ。すべて陛下とアルフレド様にお任せいたします。アルフレド様にもそのようにお伝えくださいませ」
「うむ、わかった。では、ヴィカンデル王国には正式に承諾の返事を送っておこう。以上だ。クリスティーネ、そしてアン=マリーも。ご苦労であった」
王様が合図を送ると、傍らに控えていた宰相様が慇懃に礼をして退いて行った。ヴィカンデル王国への書状を用意するんだろう。
クリスティーネ様も退室の意志を示し、それが許されると謁見の間を辞す。私も静かにその後を追おうとして……見てしまった。クリスティーネ様が、憂いを含んだ表情をしているのを。