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第十六話

「姉上、お帰りなさい」

「あれ? エリオット、仕事は?」

「していますよ。ちょっと必要書類を忘れてしまったことに気付いて、取りに戻ったところです」


 今日、私はクリスティーネ様のおつかいで、城下町へと降りて来ていた。

 王女殿下直々のおつかいと言っても、内容は無理難題ってわけでも極秘任務ってわけでもない。

 昨夜の湯浴みの際、「この時期にしか飲めないお茶がある」と他愛もない会話の一端としてお話ししたところ、クリスティーネ様が是非飲みたいと仰ったために買いに出て来たのだ。もちろん、空き時間にね。クリスティーネ様は、今、教師を招かれての勉学中だ。その間、数刻の時間がある。

 城の使用人に頼んで買ってきてもらっても良かったのだけど、同じ種類の茶葉にも良し悪しがあってちょっと説明し辛いから、茶葉は私が自分で見て買いたいのよね。

 で、城下の市場にある馴染みの茶葉問屋で目的の品を購入した後、たまには弟夫婦にも顔を見せておかないと、と私は王都にあるヤーロース侯爵家の屋敷へ寄ったのだ。


 屋敷の門を叩くと、我が家の老執事が出迎えてくれた。私を見て一瞬だけ「おや」という表情を見せたものの、すぐに嬉しそうに顔中に皺を寄せた。

「マリーお嬢様、お帰りなさいませ」

 城勤めになってから滅多に帰らない家なのに、温かい声でそう言いながら屋敷の中へと招き入れてくれる。

「お疲れでございましょう。ゆっくりとお休みくださいませ。すぐにお茶とお菓子をご用意致します」

 と居間のソファを勧めて、執事は出て行った。

 で、しばらくの後、再び開いた居間の扉から入ってきたのは、その執事ではなく、我が弟のエリオット・ヤーロース現侯爵だったのだ。で、冒頭の会話に戻る。今ココ。


 エリオットは手にしていた何かの書類をパタパタと振って私に見せると、ソファに身を沈めた。

「こうして会うのは久しぶりですね」

「そういえばそうね。たまに城内で擦れ違うくらいだもんね。忙しいみたいけど、あんまり根詰めてると身体壊すわよ?」

 エリオットは城に勤める文官だ。お父様の跡を継いで、貿易や商い関連の仕事をしているらしい。業務の内容が内容なのでシェルストレーム王国内外問わず出張も多い。城にも城下町の中にも複数の仕事場があるしね。そういった国政に関する仕事とは別に、領地の管理だってやらなきゃいけないはずだし。

「ええ、身体には気を付けてやっています」

 そこへ執事が二人分のお茶とビスケットを持ってやってきた。優雅な所作でテーブルの上に手早く用意して去って行く。うーん、あの綺麗な動作、侍女として見習いたいわー。

 あ、そういえば。ビスケットを見て気が付いたけど、エリオットの奥さん──カタリーナの姿が見えない。あの子、チョコクリームをサンドしたビスケットが好きなのよね。用事がない限り、エリオットが仕事している昼間は、居間にいることが多いのに。

「ねぇ、カタリーナは? お出掛けしてるの?」

 私が尋ねると、エリオットは栗色の瞳を嬉しそうに細めた。

「あぁ、姉上にはまだお伝えしていませんでしたね。実はお腹に赤ちゃんを授かりまして。悪阻というやつですか、ちょっと体調がよくないものですから、領地で療養させているんですよ」

 マジか。

 まぁ、結婚して一年くらい経つし、子供ができても全然おかしくないんだけど。エリオットが二十歳で、カタリーナは十九歳だっけ?

 子供……子供かぁ。

 思わず遠い目になりかけた私に、照れもせずにこにこと笑うエリオットが話しかけてくる。

「姉上の方は、いかがですか?」

「んー……ぼちぼち」

「ぼちぼちって、クリスティーネ様がアルフレド様とご婚約されるじゃないですか。専属でお世話していた王女が大国へと嫁がれるんですから、喜ばしいことですよ」

「あー……うん。喜ばしいには喜ばしいんだけどね、それでちょっと疲れてる」

 ビスケットを齧る私をエリオットが心配気に覗き込んでくる。

「まぁ、確かに。相手は大国の王族ですからね。気を遣うでしょうね」

「それもあるけどねー。そうじゃないのよね」

「じゃあ何故?」

「アルフレド様とクリスティーネ様を見ていると、こう、いたたまれなくなるって言うか、呪文を唱えたくなるって言うか……」

「どうせ『リア充爆発しろ』とかでしょう」

 言葉を濁した私の思考を読んだように、エリオットが笑顔でズバリと言い当てた。

 何故それを!?

「その顔、図星ですね」

「なんでエリオットがそんなの知ってるわけ!?」

「私もその本を読んだからですよ」

 エリオットの答えに絶句する。

 だって、あの本は大衆向けのブラックコメディで、お貴族様が読むような内容の本じゃないのよ? あ、いや、私は侍女仲間(職業侍女の方ね)が「この本絶対に面白いよ」って貸してくれたから読んだんだけど。確かに面白かった。うん。

 いやいやいやいや、そうじゃなくて!

 一人心の中で大騒ぎしている私に、エリオットがさも何でもないことのように言った。

「商業関連の仕事をしてますからね。身分や国やジャンルを問わず、今何が流行っているのか知っておいた方がいいだろうと思って、いろいろと情報を集めているんです。どこに金の卵が転がっているかわかりませんし。その本も、巷の一部で人気だと聞いたので読んでみたんですよ。

 それに、アルフレド様とクリスティーネ様がとても睦まじい仲でいらっしゃるって話はチラホラ聞いていますし、あの本の読者層と、姉上の性格から考えてこのあたりかな、と」

 それで『リア充爆発しろ』がピンポイントで出てくるってどうなの。

 私はエリオットをまじまじと見た。普段と同じくエリオットは人のよさそうな微笑みを浮かべている。うん、通常運転だ。

 エリオットはにこにことしているだけのように見えて、実は周囲の人のことを本当によく観察していて、相手の性格や好みを把握するのが早い。そして相手によって最良の対応を返すのだ。それは『右顧左眄』や『無節操』と似ているようでまったく違う。故に、味方が多く、顔が広い。

 多分、持って生まれた才能なんだろう。たまに怖いわ。

 はぁ、今さら取り繕うのは無理そうだからいいや。エリオットだし。私は小さく嘆息して言った。

「まぁそんな感じ。ちょっと目のやり場に困るのよねー」

「『ヴァカッポゥ』ってヤツですね」

「ヴァカッポゥ? 何それ?」

 聞きなれない単語に首を傾げる。エリオットが説明してくれた。

「あ、知りませんか? 『バカップル』っていう言葉があるじゃないですか。あれ、極西のとある国からの外来語なんですよ。それをネイティブな発音で言うと『ヴァカッポゥ』になるんです」

「へぇー、そうなんだ」

 なるほど。──じゃなくて!

 バカップルって、あんまりいい言葉じゃないよね? 確かに、仲の良い恋人って意味もあるけど、公共の場所で平然とイチャついくような、ちょっと迷惑な恋人に対して使う言葉だよね?

 いや、確かに微妙に合ってるけど。公共の場で(と言うか私の目の前で)、平然と、薔薇の花びらが舞うような展開を繰り広げてくれるし。でも、周囲に迷惑はかけてないよ? 多分。私以外には。

 微妙に納得しかけた私の耳に、エリオットの声が聞こえてきた。

「あ、ちなみに、今の全部嘘です」

「え?」

「『バカップル』は外来語じゃありませんよ」エリオットが苦笑する。「姉上、相変わらず騙されやすいですねぇ。いろいろと気を付けた方がいいですよ?」

 弟からの忠告にもにょっとした思いを抱いてしまった私に対して、当の本人はまた人のよさそうな笑顔を浮かべている。

 そーだった。エリオットはこういう嘘を平気で吐く、悪戯っ子な面があるんだった。『悪戯』で済む人に済む程度の嘘をついたり、ちょっと驚かせてみたり。カタリーナにも同じことしてるのかしら。本当は愛想をつかされて出て行かれたんじゃないの?

「ところで姉上」エリオットが急に話題を変えた。「クリスティーネ様がご結婚された後は、どうなさるんです?」

 またその話か。なんか最近、みんなに聞かれるわー。そりゃ、心配してくれてるのはありがたいけどね。

「今考えてるトコ」

「そんな悠長なこと言ってて大丈夫ですか? 姉上も、もう若くないんですよ? もうすぐ『伯母さん』になるんですから」

 エリオットがわざとらしく『伯母さん』を強調する。そんなに私のことを『オバサン』って言いたいのか。そうか、そうなのか。

 むっとしている私に絶対気が付いているのに、エリオットは気が付いていないフリをして腕を組んだ。

「姉上は、黙って腰掛けているだけなら、どこに出しても恥ずかしくない、窈窕たる淑女に見えるんですけどね」

「それって暗に、普段の私はダメって言ってない?」

 私の質問をエリオットは笑顔ではぐらかす。そのままじと目で見ていると、エリオットは「そうそう」と手を打った。

「もし姉上がどなたかに嫁ぐ気があるなら、私が候補を見繕いますけど? ──まぁ、そんな必要はないかもしれませんけど」

「え? どーいうこと?」

「あれ?」

 エリオットが瞠目する。続きを待っていると、誤魔化すようににへらっと笑った。

「わかってないならいいです」


 まったく、何なのよ?

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