オンノベという害悪
一昔前であれば文学の発表の場というものは限られていた。同人誌であれ出版であれ世俗の者に向けて言葉を送り出すというのは真剣に文学を志す者に与えられた特権であった。文学は出版社や同じ道を志す同志によって常にふるいにかけられ駄作の類は世間に現れる前に駆逐される、これが正しい出版の在り方であることは誰に問うこともない真実であろう。
今を見よネットといふ手軽な発表の場を与えられたせいで文学と作文の垣根さえも破壊され尽くした結果素人作家が作文としか形容できぬ稚拙なものを衆目に晒して作家を気取るという愚挙甚だしく文学の世界は乱れきっている。
そもそもが民衆というものは愚かである。だからしてこれを衆愚と呼ぶ。
衆愚は個であることを怖れる。集い身を寄せ合って全であることこそが保身の道であると盲目に信じる。だからこそ衆愚の評価は他者に左右される。
この特性を心得ている者はここへの掲載時に複垢、オトモダチ票などで己の駄文に多少の粉飾を施しておく。すると衆愚は他者の評価を得た作品ということで自分も他者にすり寄りて全になろうとポイントを投じる。こうして駄作こそがランキングの上位に登りつめるという嘆かわしい事態こそがこのなろうを席巻しているのである。
これはオンノベの世界では常套で古くから行われている伝統的悪習なり。そしてこれが市場をさえ汚す。
一度高評価を受けた駄作には良駄の判別もなく全となりたがる衆愚の特性によって好評が集まる。この時に異なる声をあげれば少数の意見として切り捨てられ、衆愚に刃向かう異端児として叩かれる。陰湿で徹底的な制裁によって正当な言葉は封じられるのだから駄作の評価は好評しか世間にながされぬ。
これを見れば市場の主導者である出版社すら惑うのだ。すなわち高評価である作品こそ売れるものなのだと。何しろ出版社も衆愚の一つでしかない。経営陣及び編集さえもサラリーマン化されて久しい大企業様などは特に文学など学んだこともない畑違いの者が商品の選別を行っているにすぎぬのだからなおさらである。
この馬鹿どもは正当な文学になど碌に触れもせぬのに出版社の肩書きを持っているというだけで文学のなんたるかをしたり顔で論じる。よくよく聞けばそれは衆愚に迎合して世間の流行りの表面をなぞっただけの販売戦略でしかなかろうに商品と文学の区別もせずに自論のみで文学者を封じ込めようとするに至ってはこれをこそ害悪と呼ばねばなるまい。
かような衆愚が市場の中心にあっては正当な文学の後継者たる我々に光明の当たるはずがない。日本語さえ怪しくともエロゲやアニメなどの巨大市場で活躍するものならば肩書きだけで優遇され、同じ創作活動であるからと小説らしきものを書かされる。こうして小説と呼ぶことさえはばかられるようなゴミクズが小説だと偽って売られるのだから文筆界隈はさらに荒れる。旬で流行りでだのの煽り文句は衆愚を釣る常套、これを餌に衆愚を騙せばそれだけでヒット作の看板すら手にすることができるのだからゴミクズこそが大手を振ってまかり通る。
この害悪はそれのみにとどまらぬ。これを見て育った者たちはゴミクズ式の怪しい日本語を小説だと信じこむのだ。結果、コレナラボクデモカケソウダに至る。ネット上では漫画家になりたかったけど絵が描けないから小説を書きますとのたまう輩も多いが、あれこそゴミクズと文学の判別もできぬ文盲ゆえの文学に対する暴言でしかない。
こうして文学とゴミクズの垣根は壊された。本など読まぬ者が日本語の体をなしているだけに過ぎぬただの作文を世間に向けてオンノベという市場で得意げに披露するは我々文学を知る者からすれば滑稽である。
こうして衆愚がオンノベという市場を喰らい尽くした結果が今日日のテンプレ小説こそが売れるという幻想を生み出した。そもそもが衆愚根性なのだから大多数に受け入れられるものこそが正義だと盲目的に信じている連中である。書くものに個性などの顕れるわけがない。
そんな衆愚作家どもの心強い味方として電子出版がもてはやされるのもこれまた時代の流れであり、嘆きの種でしかない。
紙本と違い費用負担なく出版できるこの形態のおかげでセルフ・パブリッシングという言葉も広く知られるようになった。自分の作品を自分一人でプロデュースできるこの仕組みから生まれるものはもはやゴミクズですらない。ただ文字が羅列されただけのゴミファイルだ。そもそも駄作と良作を分けるフィルターである出版社等経由せぬのだから良作などあろうはずがないではないか。
たちが悪いのはこのゴミ売りが揃いも揃ってプライドが高いということである。ゴミを売って金を得ているだけの詐欺師のくせに作家気取りで上から目線で物申すのはご勘弁頂きたいものである。文学のなんたるかを学んだことすらない、たかが数冊の本を、それもラノベしか読んだことがないようなゴミ売りに我々文学者をなじる口があろうとは厚顔破廉恥、誰もがそのご高説賜るふりをして腹で笑っているのだと早く気がついたほうが良い。
かようなゴミが駆逐されないのは読者も衆愚であり真っ当な文学にすら触れたことのない文盲ばかりだからである。ラノベが文学と並べ論じられるような世相を見れば消費者の質の低下を嘆かずにはいられない。そして悪質な消費者がたどり着く結論がコレナラボクデモカケソウダでは悪質なゴミ売りしか育たぬのも道理。
文学は死んだ。
わずかな希望は我々のような心正しい作家がいる限り瀕死で踏みとどまっているということだろうか。
ゴミ売りがゴミを売っているような自己出版勢はいずれ滅びるのだから構わぬがよろしい。
ラノベ業界もしかり。
我々が書こうとするのは、また書かねばならぬのはろくにテーマも持たず浮動の人気ばかりを追求し、テンプレに則って書かれた商品でしかないゴミクズではないのだから。
と冗舌に筆を尽くしたところでこの一文も小説家になろうというサイトの一番隅に追いやられるか叩かれるのどちらかであろう。おそらく真っ先に叩きに来るのはゴミクズ売りどもであろうことも予測済みである。
しかし同じようになろうの害悪に虐げられ正当な評価を受けられぬ同士諸君にはこれが一流の皮肉であることをご理解いただけるものと信じたい。つまりこの一文すら読み解けぬ文盲消費者など不要だということだ。
不当に虐げられし者たちよ文学は死んだ。その死骸はゴミクズ売りによって燃やされた。
しかし文学という真実誠のものがゴミクズごとき偽物の炎に燃やし尽くせる訳がないのだ。灰の中に埋み火を隠すがごとく再び燃え上がるその時を虎視眈々と狙って一時の黎明を装っているに過ぎぬ。我々という文学の種火が消えぬ限り火はまた熾る。
その時こそゴミクズどもは文学の名の下に粛清される。害悪焚書すべし。
もっとも焚書で焼かれる焚き代すらない、これもまた自己出版の特徴なのであるwwwww