西日の射す路地で
暑い日だった。着ているものは、ワイシャツからスーツまで汗が染み透って濡れてしまうような、そんな日だった。
私は、鞄からハンカチを取り出して額の汗を拭う。ハンカチは既に何度も汗を吸って湿ってしまっているせいで、かえって顔中に汗を塗りたくっているようだ。べたべたと皮膚に木綿の布が張り付く感触に嫌気がさして、ハンカチを丸めて絞ってみる。結局、何も改善はせず、くしゃくしゃに皺のよったハンカチはズボンの右ポケットに収めた。
ここは大通りから一本はなれた細い道で、まっすぐ西に向かっている。私の進もうという先に夕暮れ時の傾いた太陽がある。日の光を遮る物がない道の左右には、タイルで張られた白い壁の雑居ビルが建っていた。その壁からの照り返しが、ますます気温を上げているようで苛立たしい。道端の電柱から、東に向かって伸びる影は地面についた焦げあとのようだ。この道を歩きたくない。これ以上進みたくない、心の底からそう思う。
「この道を歩きたくない、進みたくない」
声に出してみたが、行かねばならない。どう思おうが何をしようが、何も変わりはしないのだ。どんな事情があろうが、この灼熱の道を歩いて進まなければならない。
歩いて数歩、左右の建物の照り返しが直接私の体を炙る。建物に付属している申し訳ばかりの生垣と鉢植えは、その青さを失っていて、赤茶けた葉が何枚か枝にぶら下がっている。右側にある鉢の裏から、黒味を帯びた茶色の猫が一匹、跳び出してきた。猫は、道の中程で立ち止まり、顔だけをこちらに向けて一声鳴く。そして左側の建物が地面につけている、わずかな面積の日陰に入っていった。私は、涼める場所でもあるのかと、少し期待して目で猫を探した。猫は、どこかの隙間にでも入り込んだのか、見当たらなかった。
さらに一歩。焦げるにおいと白い煙が、足元から立ち上る。とうとう、靴が燃えだした。靴下も、熱で焼け縮み、私に耐え難い苦痛を与えている。ぐらり、と体が傾き膝を地面につく。
「健康管理が、できていないんじゃないか?」
いつかどこかで浴びせられた言葉を、復唱してみた。その通りなのかもしれない。普通の人なら、当たり前の人間ならば、足が焼けるくらいで倒れたりはしないのかも知れない。それを私は知らないだけなのではないか。私だけが出来ないのではないか。
「お前には、やる気がないんだよ」
私にはそれが、自分で声に出したものか幻聴なのか、もう判別が出来ない。炎はズボンを焼いて、上着を焦がし始めている。
「そんなことは、ない」
今度は、自分の意志で声に出した。私は真っ当であろうとしたはずだ。出来るかどうかはともかく、実際にこの道を歩いている。内心はどうあれ、今ここで炎に焼かれている。歩く意味など知らない。しかし私は、大通りは既に歩けないと聞かされて、大通りを歩けない人間は、当然この道を歩くものだと繰り返し聞かされて、ここに来たのだ。
炎は既に上半身を包んでいる。顔も半ばまで焼け爛れててしまった。顔の上半分に残った皮膚は私の中の水分を、最後の一滴まで体外に追い出そうと汗を流し続けている。
最早、私にはこの道を歩ききる事はできそうにない。せめて最期に出来ることをしよう。せめて最期に顔を濡らしている汗を拭こう。私はもう感覚のない手を辛うじて動かし、右のポケットを探ってハンカチを取り出す。私の、焼け焦げて皮膚の垂れ下がる腕と指。その指の間に、手のひらに掴んだのは、少し前までハンカチだったはずの、わずかな量の灰だった。
指の間から零れる灰を追いかけて、私の体も崩れて、倒れる。私の体は、きっと骨も残さずこの道に焼かれるのだろう。道の先にある太陽は、間もなく消える私の意識にそう確信させるだけの熱と光を放っていた。
大通りを一本はなれた場所に、西に向かう細い道がある。道の先には、西に傾いたまま、いつまでも沈まない太陽。大通りを歩けない人間を、いつでもいくらでも焼いている。




