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桜風

作者: 阿月 結希
掲載日:2026/03/08

 たくさんの荷物を載せたトラックが二台、通り過ぎて行った。


 その後ろを、白のミニバンが追いかけて行く。


 ――春。


 思えばそれが、佐々ささおか 美咲みさきとの最初の出会いだった。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 佐々岡家が越してきたのは、小川が流れる細い小道を抜けた先。


 少し高台になっている一軒家だ。


 そういえば、昨年の秋ごろから工事が進められていたと思う。


 トラックを見かけてから数日後。


 高校生くらいの少女が一人、来た時とは反対に、小道をゆっくりと歩いて下る。


 よく見ると、彼女の左手は小さな右手を掴んでいた。


 「大樹たいき。お姉ちゃんから手を離しちゃダメだよ」


 「わかってる、わかってる」


 大樹と呼ばれた小学生くらいの男の子。


 その足は、横を流れる小川に向いている。

 

 少女が腕を限界まで伸ばしているのを見ると、大樹が生返事であることがよくわかった。


 ふと、少女と目が合う。


 ――こんにちは。


 私は、小さく挨拶をしたが、少女からの返答はなかった。


 「ほら大樹。お散歩の続きだよ。あと、今日は水は無し! お父さんと一緒って約束」


 「わ、分かってるし!」


 「それじゃあ、先に行こう」


 そう言って、少女は再び大樹の手を取って歩き出した。


 名残惜しそうに小川を何度も振り返りながら、大樹は渋々、といった様子で姉に手を引かれて歩く。


 「ねぇ、大樹。見て」


 そう言って、少女は天を指さす。


 続けて見上げた大樹の目も、何となく輝いて見えた。


 「すっごく、綺麗な桜の木だねぇ」


 「うん。すっごく大きい」


 サラサラと舞い散る花びらを一枚、少女は掴む。


 「お引越し、イヤだったけど何とかなりそうだね」


 「僕はお友達いっぱい作るよ。だからヤじゃない」


 子どもらしく強がる大樹を微笑みながら見つめる姉。


 その姿に、私もつい柔らかく微笑んだ。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 今日も少女は近所にある高校の制服に身を包み、細い通りを下っていく。


 ――行ってらっしゃい。


 私が声をかけても、少女は何も返してはくれない。


 ただ時折、目が合う瞬間がある。


 私はその時がこの上なく嬉しい。


 何日か経つと、同じ制服に身を包んだ女子生徒と少女は一緒に登校するようになった。


 彼女たちの会話で、私はその少女の名が、美咲であることを知った。


 美咲は、何か音楽系を部活動にでも入ったのだろう。


 ある時を境に、美咲はギターケースを背負って登校するようになった。


 ――それ、カッコいいね!


 私の声は、どうやら春の風にかき消されてしまったらしい……。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 美咲が越してきてから、一年が過ぎた。


 もうすっかりこの道の景色にも慣れたようで、以前のように辺りを見回しながら歩くことはない。


 相変わらず女子生徒と一緒に登校していたが、ある日、美咲が男子生徒と手をつないで小道を登ってきた。


 少し照れくさそうに、並んでいるのに少し離れようとするような、微妙な距離感がいじらしい。


 それでも、二人を結ぶ手は浅くともしっかりとつながれている。


 季節に合わせて、美咲にも春が訪れているようだ。


 私は、この日ばかりは声を掛けず、ただ、二人の幸福を祈ることに努めた。


 ある日の夕暮れ。

 

 いつものように小道を登る二人。


 しかし、この日は少し違った。


 「あ、あのっ!」


 男子生徒が急に立ち止まり、美咲に声をかける。


 自分でも予想外に大きかったのか、男子生徒は口元を押さえて、照れくさそうに美咲から顔をそむけた。


 「なぁに? 翼くん」


 翼くん、と呼ばれた男子生徒は、少し黙った後、周囲を軽く見渡した。


 そして、意を決したように美咲をまっすぐに見つめる。


 「み、美咲。えーと、そのー」


 「ん? よく聞こえないかも……」


 美咲が体を翼に近づける。


 距離が近づくたびに、翼の顔が赤くなっていった。


 ――頑張れ。頑張れ。


 私は、何となく応援したい衝動に駆られ何度も翼に声をかけた。


 やがて、翼は美咲のことを再びまっすぐに見つめた。


 「美咲。……キスしていい?」


 ――いいぞ! よく言った!


 私は、飛び上がりそうなほど、喜んだ。


 「……いいよ」


 美咲が軽く目を閉じ、少し背伸びをする。


 距離がゼロになった二人を、桜の花びらが優しく包み込んだ――。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 冬の寒さが、一段と厳しくなってくる頃。


 美咲の表情はとても硬かった。


 毎年、この時期の高校三年生はいつもこう。


 この道を行く学生の言葉には、五回に一回くらいの頻度で、『じゅけん』という言葉が出てくる。


 どうやら、この『じゅけん』と言うものに、受かるか落ちるかで人生が決まるらしい。


 沿道の桜並木も、冬には殺風景な枝桜。


 寂しげなその景色は、美咲の横顔と、奇妙なほどに合っているように思えた。


 たくさんの小さな紙切れが貼られたポケットサイズの本を片手に、彼女の背中が高台の上へと消えていく。


 ――風邪をひかないでね……。


 私は、その背中にそっと投げかけた。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 最近、美咲の表情が明るい。


 数人の友達と歩く美咲。


 彼女たちの会話を聞くと、どうやら美咲は『受かった』らしい。


 何のことかは正直よくわからない。


 でも、美咲が嬉しそうで何よりだ。


 ――おめでとう。


 ふと、美咲が立ち止まって私を見たような気がする。

 

 しかし、すぐに怪訝そうな顔をして、何事も無かったように友人と会話しながら小道を下っていった。


 「何これ……狂い咲き?」


 美咲は小道の上で、一本の桜の木を見上げていた。


 周りが枝桜の様相を呈している中、一本だけ咲き乱れる桜の木をマジマジと見上げる。


 「姉ちゃん。早く行こうよ! バーベキューだよ! 姉ちゃんのお祝いなんだから!」


 「う、うん。今行くよ大樹」


 「あ、姉ちゃんが引っ越したら、姉ちゃんの部屋も僕が使っていいよね」


 「お母さんにちゃんと言ってね。あと、絶対にピンクのタンスは開けちゃダメ」


 そんなことを話しながら、二人は小川沿いの小石が敷かれた空き地へと下っていった。


 体格の良い男性は、恐らく美咲たちの父親だろう。


 せっせと火おこしをしている姿が微笑ましい。


 ――そうか、美咲はどこかに行っちゃうのか……。


 美咲と出会って三度目の春。


 この気持ちを、『寂しい』というのだろうか。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 「お父さん! 早く早く!」


 「そう急かすな、美咲。父さんだって頑張って……」


 「もう、機械オンチなんだからっ!」


 小道の真ん中で、美咲の父親はスタンド付きの一眼レフと格闘していた。


 美咲を真中にして、大樹と母親が並んで父親を待っている。


 「よし! これで行けるはずだ」


 「美咲。ここでよかったの?」


 父親が一仕事終えたころ、母親が美咲に尋ねる。


 「うん。この桜の木、変わってるけどすっごくきれいだから」


 「まぁ、確かそうね。立派な木だわ」


 「おーい! そろそろ撮るぞー」


 そう言って何かを押したらしい父親が美咲の隣に立つ。


 「……美咲」


 シャッターが切られる直前、母親が美咲に語り掛けた。


 「卒業おめでとう」


 カシャ。


 短いシャッター音の前には、めかし込んだ美咲の両親と大樹。


 そして、制服姿で卒業証書を持つ美咲が、泣き腫らした顔で笑っていた。


 ――おめでとう。そして、ありがとう。


 私は、どうしても、さよならを言いたくはなかった。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 小さなトラックが高台の上に停まっている。


 今は、ピンク色のタンスがトラックの荷台に積み込まれるところらしい。


 寂しさを感じながら、私はその様子を遠巻きに眺めていた。


 ふと、美咲が一人で小道を下ってくるのが見える。


 「ここも、しばらくは来れないなぁ」


 そんなことを一人呟きながら、美咲は空を見上げた。


 不意に、私とも目が合う。


 美咲は寂しそうに笑った後、来た道を戻り始めた。


 ――頑張ってね! 美咲!


 今まで何度も語り掛けて、それでも届かなかった声。


 美咲は不意に立ち止まり、はっきりと私を見た。


 すこし怪訝そうな顔をしながらも、彼女は嬉しそうに、柔らかく微笑む。


 「――うん! 頑張る! 私、頑張るよ! またね!」


 彼女はそう言って、大きく手を振ってくれた。


 私は、精一杯、手を振り返す。


 彼女には見えなくとも、私はずっとずっと、手を振り続けた。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 一台の小さなトラックと、白いミニバンが小道を下っていく。


 窓から外を眺める美咲の手には、私たちが映った写真が、大切に握られていた。


 美咲は、またここに帰ってきてくれるだろうか。


 その時は、どんな顔をして、どんなことを話してくれるだろうか。


 今から、その時が待ち遠しい。


 柔らかな何度目かの春を夢見ながら、私はずっとこの場所で咲き誇っていよう――。

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― 新着の感想 ―
美咲ちゃんの受験合格に嬉しくなって狂い咲きしちゃう桜さんかわいいです。
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