序話 異世界への転移
「ガァ! ガァ! ガァ!」
耳障りな叫び声が、森の中に響き渡る。
七体のゴブリンが、一人の少女を追いかけていた。
少女は杖を握りしめ、何度も振り返りながら必死に走っている。足取りはすでに乱れていた。
追いつかれる――その瞬間。
横合いから黒い影が割り込んだ。
空気を切り裂く音。
鎌が閃き、先頭のゴブリンは悲鳴を上げる間もなく地面に倒れ伏す。
「はぁ……はぁ……光、早く俺の後ろへ!」
息を整える余裕もなく、俺は叫んだ。
「う、うん! お兄ちゃん!」
光はすぐに指示に従い、俺の背後へ回る。手は震えていたが、足は止まっていなかった。
鎌を握り直し、そのときようやく気づく。
――七体だけじゃない。
後方には、ひと回り大きく、明らかに動きの違うゴブリンが三体。
すぐに襲いかかってはこない。まるで状況を見極めるように、低く唸っている。
「……あの三体、指揮役か」
「お兄ちゃん、どうするの?」
「確認する」
俺は振り返らない。
「光、今使えるスキルは?」
「聖律加護」
「よし。俺が隙を作る。合図したら、外へ走れ」
ゴブリンたちは、こちらの会話を理解したかのように、指揮役の合図で一斉に動いた。
包囲網が完成する。
だが――どんな包囲にも、必ず綻びはある。
「右だ――《影刃鎌》!」
一歩踏み込み、身体を回転させる。
鎌が横一文字に薙ぎ払われ、血飛沫が舞った。
右側の二体が倒れ、隙間が生まれる。
同時に、指揮役の一体が異変に気づき、穴を塞ごうと動く――
遅い。
「今だ!」
光は迷わず駆け出した。
俺もすぐ後に続き、残ったゴブリンを牽制する。
包囲が崩れたと悟ったゴブリンたちは、追撃を諦めた。
俺たちは森の奥へと逃げ込み、やがて追う気配が完全に消えたところで、大木の根元に腰を下ろす。
「……はぁ。ここまで来れば、もう追ってこないだろ」
周囲を確認し、ようやく息をついた。
「お兄ちゃん……ここ、どこ? みんな……みんないないよ……」
光の声には、不安が滲んでいる。
「俺にもわからない」
木にもたれ、目を閉じる。
正直に言えば、混乱しているのは俺のほうだった。
なぜ、こんなことになったのか。
なぜ、俺たちだけがここにいるのか。
その答えは――もっと前に遡る。
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それは、あまりにも普通の日だった。
鳥のさえずりと生徒たちの話し声が混ざり合う、いつもの朝。
俺はトイレの鏡の前で、曲がったネクタイを直していた。
鏡に映る制服の胸元には、「穂石」の校章。
気づけば、この学校に通って一年になる。
俺の名前は斎藤信。十七歳。穂石高校の二年生だ。
穂石高校は人工島に建てられている。
正確には、島そのものが校舎と言っていい。小さな村が一つ作れるほどの広さだ。
衣食住はすべて保証され、卒業後の進路もほぼ百パーセント。
企業、家業、公的機関――どこへ行くにしても、道は用意されている。
なぜ、そんな待遇なのか――
「おい、いつまでトイレに籠もってる気だ?」
苛立った声が、入口から飛んできた。
「悪い悪い、明上。ネクタイが曲がっててさ」
そこに立っていたのは、数少ない友人の遠藤明上。
「俺が付き合ってやってるんだから、さっさとしろよ」
「身だしなみは大事だろ」
「はいはい、几帳面さん」
軽口を叩きながら、俺たちは教室へ向かう。
「でもさ、最近先生たち、変じゃないか?」
「お前もそう思うか?」
妹のクラス担任や、三年の教師たちの顔が浮かぶ。
「授業中に急にいなくなったり、質問に答えなかったり」
「だろ? なんか隠してる気がするんだよな」
話しているうちに、教室へ戻っていた。
担任の大櫬橘が、黒板に文字を書いている。
小柄な体格にもかかわらず、教室は不思議なほど静まり返っていた。
「全員揃っているわね。じゃあ、簡潔に言います」
彼女は振り返り、いつになく真剣な表情で告げた。
「今日の昼、全校生徒は活動センターに集合してください」
「え?」
「しばらくの間、授業はありません」
教室がざわめく。
理由を問い詰める声が上がるが、
「理由は言えません」
そう言い残し、橘先生は教室を後にした。
昼、活動センターは生徒と教師で埋め尽くされていた。
「お兄ちゃん!」
光が手を振りながら駆け寄ってくる。
朝の出来事を共有すると、妹のクラスも同じ状況だったとわかった。
そのとき、入口がざわつく。
生徒会、そして十二議会のメンバーが次々と入場してきた。
まるで舞台の主役のような存在感。
そして壇上に立ったのは、校長――白神玄道。
「諸君。ここ最近の異変には、気づいているだろう」
彼は一呼吸置いてから言った。
「これより、この学校の『秘密』を明かす」
教師たちが、生徒を中央へと誘導する。
「それでは――」
校長は意味深な笑みを浮かべた。
「健闘を祈る」
次の瞬間、眩い光がすべてを包み込んだ。
音も、視界も、重力感も――消えていく。
そして、目を開けたとき。
世界は、もう別物になっていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
次回から本格的に異世界編が始まります。
更新はゆっくりですが、よろしくお願いします。




