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あの日のあおいそら

作者: 竹中八重
掲載日:2025/11/03

暗いお話です。救いはありません。


 伯爵家の娘として生まれ、生家ひいては国の繁栄のため厳しく育てられること17年。


「お前との婚約を破棄する」


 平民の間で読み継がれるような娯楽本に描かれている場面を生で体験することになるとは思わなかった。それも、当事者として。

 この瞬間、貴族令嬢としての、また人としての生は終わったと言える。





 家と呼ぶにはみすぼらしい部屋の目の前にまもなく死体になりそうな不審者が転がっていた。

 道に転がっていたなら避けようがあったものの、戸を開けた前にあったのだから避けようがない。

 己の数百回目になる不運にもはやため息すら出なかった。

 それ以上に見捨てることができなかった愚かさに乾いた笑みが漏れた。


 自分の生活に精一杯の生活の中せっせと不審者の世話を焼く。

 真っ黒の肌を拭い、手当されることのなかった傷口を水で清潔にし、呻く口元に水とわずかな食事を与えた。

 目を覚ましたのは次の日の朝。

 意思疎通が取れるようになったのはさらに2日後。よほど弱っていたらしくほとんど眠っていたからだ。

 一応尋ねておいた。


「あった場所に戻した方がいいですか」


 聞き取って、理解して、応えを返すまで3拍ほどの間があった。頭の動きも鈍っているようだ。怪我と身体の状態を見れば仕方ないのかもしれない。むしろこれでよく動いていたなと感心できる肉体だった。


 底辺の町に流れついて以来、様々の人間を目にしてきた。朝見かけた人間が夕方にはモノになって転がっていることは珍しくない。いつのまにかなくなっているそれらの行く末を考えることもない。

 己の場合はせめて土に還るか火にくべてもらいたいものだ。そう思っていたからこの出逢いは悪くないものだった。


 不審者は男だった。

 右眼は潰れ、一方の腕は歪んでいたが栄養失調を除くとそれだけだった。

 体力が少し戻り起き上がれるようになると鋭い眼光を向けてくる。怖さなどみじんも感じない。

 何が目的かと聞いてきた。

 底辺の世界で見返りのない善意などありえない。正しい反応だ。

 だから正直に答えた。


「まもなく死ぬので死体の処理をお願いします」


 表情も口調も変えることなく淡々と。

 男の目がにわかに見開かれた。思ってもみなかったのだろう。だが、この世界ではおかしな要求でもないはずだ。わずかでも“人”として死にたいのなら息絶えた後が重要だ。

 反応がなかったのをいいことに畳みかける。


「ここも使ってください。残っているものも差し上げます」


 たいしたものもない上に思い入れもない。使うというならくれてやる。


「一冬くらいなら越えられます」


 気候的にも物質的にも厳しい冬に当てもなく動き回るのは自殺行為だ。今年の冬は特に冷える。暦の上では冬は始まったばかりのはずなのにすでに身も凍る日々が続いている。屋根と壁があるだけでもだいぶ過ごしやすいはずだ。

 身体が動くのであればこの町でも金銭を伴う労働に就くことはできる。

 だから、この交換条件は悪くない。

 警戒の中に戸惑いを隠せないでいる男を何の感情も乗っていない目で3秒見つめた。

 その後、水とパン粥の入った小さな器を差し出す。パン粥とは言うがたいしたものではない。おこぼれの固くなったパンをミルクとかさ増しの水に浸しただけ。もちろん温かくもない。しかしこのパン粥はこの町では“まとも”な食事だった。

 衝動的に伸びようとしている手を感知して立ち上がる。食べようとする気持ちがあるならばこの男はまだ生きてくれるだろう。それがどのような生き方かまではわからない。

 他人の目が逸れたことで男が“食糧”を手に取った。言ってみれば浮浪者であるのに匙を使って食事をするところに幼き頃から叩き込まれたのだろう育ちの良さを感じられる。

 決して戻ることのない在りし日の残像。

 この量であればいきなり胃に入れたとして身体を壊すことはあるまい。あと数回同じものを作れるだけの材料も残っている。

 皿に残るわずかの滴すら逃すまいとする男を一瞥し、背を向けた。


「答えは次に聞かせてください、―――――クロード様」


 応答を待たず部屋を出た。

 ああ…、今日もまた空が青い。

 眩しいくらい、涙が出るくらい変わらぬ空だ。

 誰にとっても青い、あおいそら。

 あのひと おんなじ―――。




・◆・◆・◆・◆・◆・◆・◆・



 何年も使われていなかった名前(呼ぶ声)

 真意を知ることは永遠に失われた。

 いつまでも“彼女”は戻ることがなくようやく訝しんで戸を開けたらそこで冷たくなっていた。

 閉じられることのなかった紺碧に記憶が揺り動かされる。

 “あの日(運命の日)”驚愕に震える色であり、“あの日(出会いの日)”きらきらと輝いていた色と、同じ――。

 寝床と食事用具しかなかったその部屋に遺されていた紙片を見つけた。


  全部 ぜんぶ なくなった

  私も なくなってしまおう


 …最期の望みを叶えたら、彼女は天に還れるだろうか。


 誰よりも何よりも愛しい存在だと自覚したときにはすべて終わっていた。


とっても短い、暗い話が書きたかった。

メンタルが弱っていると鬱々として仕方がないですね…。

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