第6話:本気のスイッチ、押される瞬間
花咲さんの「告白」がからかいではないと確信して以来、僕の心は落ち着かなかった。彼女の不器用な優しさ、そして弱音を吐いたあの日の記憶が、僕の頭の中で何度も繰り返される。これまでの僕は、彼女の言葉を「冗談」として受け流すことで、自分の心を守っていただけだったのかもしれない。
だけど、このままではいけない。彼女の真意に気づいてしまった以上、これまでと同じように振る舞うことは、もうできなかった。
その日の放課後。クラスの何人かが、次の週末にある校外学習の班決めで盛り上がっていた。もちろん、僕も花咲さんも同じクラスだ。僕は、ちらりと隣の彼女を見る。花咲さんも、僕と同じように班決めを気にしているようだった。
「ねぇ、悠太くん。もし同じ班になったら、私、いっぱいお世話してあげるね」
花咲さんが、いつものようにからかうような口調で言った。だけど、その瞳の奥には、どこか期待のような光が宿っているように見えた。
「花咲さん、からかうのはもうやめてくれ」
僕が少し強い口調で言うと、花咲さんはピクリと反応した。いつものように笑ってごまかそうとする彼女の表情が、一瞬だけ固まったのが分かった。
「……なんで?」
花咲さんの声が、微かに震えている。
「なんでって……もう、その告白がからかいじゃないって、俺、気づいちゃったから」
僕の言葉に、花咲さんの顔から、サッと血の気が引いた。いつもの自信に満ちた表情は消え失せ、戸惑いと、ほんの少しの恐怖が入り混じった顔をしていた。
「何を……言ってるの?」
彼女の声は、さらに小さく震えている。
「花咲さん。俺、知ってるよ。君が、本当は誰よりも優しいってこと。誰よりも努力家だってこと。そして、誰よりも……」
僕は、一度口を開いたら止まらなかった。
「誰よりも、寂しがり屋だってことも」
僕の言葉に、花咲さんの瞳から、大粒の涙が溢れ落ちた。彼女は、慌ててそれを隠そうと顔を背ける。
「違う……違うよ、悠太くん。私は……」
彼女は、何かを言い訳しようとしたけれど、言葉にならない嗚咽が漏れるだけだった。僕は、そんな花咲さんの肩に、そっと手を置いた。
「もう、無理しなくていい。俺の前では、完璧じゃなくてもいいから」
僕の言葉に、花咲さんは顔を上げ、僕の目を見た。その瞳には、涙でぐしゃぐしゃになった、けれど、これまで僕が見たことがないほど、素直な感情が宿っていた。
「悠太くん……」
花咲さんは、僕の名前を呼んだ。その声は、もうからかいの色を含んでいなかった。ただ、一人の女の子が、本心をさらけ出した声だった。
「私……本当は……」
彼女の言葉が、震えながら紡がれる。
「私、悠太くんのこと、本当に……好きだった」
その瞬間、僕の心の中で、何かが弾けた。
それは、五話で感じた「本気の片鱗」という漠然としたものではなく、確かな、そして温かい感情だった。
僕は、ずっと花咲さんの「嘘みたいな告白」に、どう向き合えばいいか分からずにいた。だけど、今、彼女が涙を流しながら告げた「好き」という言葉は、僕の心にまっすぐに届いた。
「だから、毎日、毎日、からかうみたいに言ってた。もし、本気だってバレたら、悠太くんに嫌われるんじゃないかって、怖くて……」
花咲さんの言葉に、僕は胸が締め付けられる。完璧な優等生に見えた彼女もまた、僕と同じように、傷つくことを恐れる、臆病な一人の人間だったのだ。
「そんなことない。俺は……」
僕は、戸惑いながらも、花咲さんの手をそっと握った。彼女の手は、驚くほど冷たかった。
「俺は、花咲さんのこと……」
僕の口から、どんな言葉が飛び出すのか、自分でも分からなかった。だけど、今、この瞬間、僕の心が求めている答えは、一つだけだった。
僕の鈍感な心の中で、ようやく、本気のスイッチが押されたのだった。