第5話:天才女子の弱点、そして本音の片鱗
花咲さんの「告白」がからかいだけではないかもしれない、という疑念は、僕の中で確信へと変わりつつあった。しかし、同時に焦りも募る。彼女が本当に本気だとしたら、こんな曖昧な関係を続けていていいのだろうか。
ある日の午後、僕は珍しく一人でいる花咲さんを図書室で見かけた。いつもなら友達に囲まれている彼女が、今日は一人で、いつもの澄ました顔ではなく、少し眉を下げて難しい顔をしている。
(もしかして、悩み事か?)
僕が声をかけるべきか迷っていると、花咲さんが小さくため息をついた。そして、開いていた参考書を閉じて、その上に顔を伏せてしまった。学年トップの優等生が、こんな風に弱々しい姿を見せるなんて、初めてだった。
僕は、彼女の隣にそっと歩み寄った。
「花咲さん、どうしたんだ?」
僕の声に、花咲さんはビクリと体を震わせて顔を上げた。その目は少し潤んでいて、頬にはうっすらと涙の跡が見えた。
「ゆ、悠太くん……なんでここに?」
彼女の声は、いつもの快活さとはかけ離れて、か細かった。
「いや、たまたま通りかかったら、花咲さんが珍しく一人でいるから。何かあったのか?」
僕がそう尋ねると、花咲さんは気まずそうに視線を逸らした。
「別に、何でもないよ。ちょっと、難しい問題が解けなくて、イライラしてただけ」
そう言ったけれど、彼女の声はまだ震えている。明らかに嘘だ。僕には、花咲さんが無理をしているのが分かった。
「嘘つけ。顔が真っ赤だし、目も潤んでるじゃないか。何かあったんだろ」
僕が少し強い口調で言うと、花咲さんは観念したように、小さな声で呟いた。
「……今日、進路の面談があったんだ。それで、親と少し意見が合わなくて」
彼女の声は、どんどん小さくなっていく。
「私、将来、アパレル関係の仕事がしたいんだ。デザイナーとか、そういうの。でも、親は、もっと安定した職業に就いてほしいみたいで……」
僕の目の前にいるのは、いつもの自信に満ちた花咲美桜ではなかった。夢と現実の狭間で揺れる、ただの女子高生がそこにいた。完璧だと思っていた彼女にも、こんな悩みがあったなんて。
「それで、色々言われちゃって……。こんなところで弱音吐いて、私、らしくないよね」
花咲さんは、そう言って、自嘲するように笑った。
「らしくない、なんてことないだろ。誰だって、悩むことはある」
僕は、自然と花咲さんの隣に座っていた。そして、彼女の閉じた参考書にそっと手を置いた。
「俺に話してくれて、ありがとう。少しは、楽になったか?」
僕がそう尋ねると、花咲さんはゆっくりと顔を上げた。その瞳は、僕を見つめ、そして、かすかに潤んだまま微笑んだ。
「うん……少し、楽になった。ありがとう、悠太くん」
その笑顔は、これまでのどんな「告白」よりも、僕の心を温かく包み込んだ。からかいで隠された本音。その片鱗が、今、僕の目の前にあるような気がした。
「ねぇ、悠太くん」
花咲さんが、僕の目を見て言った。その声は、まだ少し震えていたけれど、どこか真剣な響きを持っていた。
「私、本当はね……」
彼女が何かを言いかけた時、図書室の扉が開き、見回り中の先生が顔を覗かせた。
「お、花咲さんと相川か。こんなところで何してるんだ? 自習か?」
先生の言葉に、花咲さんは慌てて表情を取り繕い、いつもの花咲美桜に戻った。
「はい! 悠太くんが、私に告白するチャンスを伺ってたみたいなので、付き合ってあげてました!」
花咲さんは、満面の笑みでそう答えた。僕の肩を、ポンと叩きながら。先生は「おやおや」と笑いながら去っていった。
「もう……! 余計なこと言うなよ」
僕は呆れて言うが、花咲さんは楽しそうに笑っていた。
「ふふ、ごめんね。でも、好きな人のためなら、これくらいお茶の子さいさいだよ」
いつもの「好き」の言葉。
だけど、僕の心の中では、もうその言葉を「からかい」として受け止めることはできなかった。彼女の弱さを見て、彼女の本音の片鱗に触れた今、僕は確信していた。
彼女の“嘘みたいな告白”の裏に、本当の気持ちがある——。
そのとき僕は、もう、少しも鈍感ではなかった。