第3話:不意打ちの優しさと、揺れる心
花咲さんの「嘘みたいな告白」は、僕の高校生活の日常に、すっかり溶け込んでいた。朝、隣の席に着けば「今日も好きだよ」と告げられ、昼休みには「ねぇ、付き合うならどこでランチする?」と尋ねられる。僕はそのたびに「からかうなよ」と返すのがお決まりのパターンになっていた。
だけど、心のどこかで、かすかな違和感が募っていくのも事実だった。
ある日の体育の授業。僕たちはグラウンドでサッカーをしていた。僕は運動神経が良い方ではないし、特に球技は苦手だ。案の定、僕がパスを受けようとしたボールは、足元で大きく弾んでしまい、明後日の方向へと転がっていった。
「あー、ごめん!」
僕は慌てて謝ったが、チームメイトは呆れたような顔をしている。
その時だった。
「悠太くん、こっち!」
グラウンドの隅から、花咲さんの声が聞こえた。彼女は、女子のグループでバスケットボールをしていたはずなのに、いつの間にか僕の近くまで来ていた。
「パス、ちょっと高かったね。こうやって、足の甲でトラップすると、ボールが跳ねないよ」
そう言って、花咲さんは僕の目の前で、実際にボールを足元にぴたりと止めてみせた。その動きは、まるでプロの選手のようだった。
「すごいな……」
僕は思わず感嘆の声を漏らした。花咲さんは、勉強だけでなく、運動もできるのか。
「ふふ、まあね。でも、悠太くんも、ちょっと練習すればすぐにできるようになるよ。ほら、もう一回やってみようか」
花咲さんは、僕に優しく微笑み、ボールを転がしてくれた。僕は、彼女の言葉に励まされ、もう一度ボールを蹴ってみる。今度は、さっきよりはマシだったけれど、まだ完璧にはほど遠い。
「あはは、惜しい! でも、さっきよりずっと良くなったよ」
花咲さんは、僕の拙いプレーにも、決して馬鹿にすることなく、むしろ褒めてくれた。その優しい声に、僕の心は温かくなった。
体育の授業が終わり、教室に戻る途中。
「花咲さん、さっきはありがとうな。助かったよ」
僕がそう言うと、花咲さんはニッコリと笑った。
「どういたしまして。好きな人のためなら、これくらい当然だよ」
いつもの「好き」の言葉。だけど、今日のそれは、僕の心にいつもより深く響いた。からかいだと分かっていても、彼女の優しさが、僕の心を温かく包み込んだのだ。
その日の放課後、僕は図書室で自習をしていた。難しい数学の問題に頭を抱えていると、隣の席に、ふわりと甘い香りが漂ってきた。
「ん? 鈍感くん、また数学で悩んでるの?」
花咲さんが、いつの間にか僕の隣に座っていた。彼女は、僕のノートを覗き込み、すぐに僕がどこで躓いているのかを見抜いたようだった。
「ここね。この公式を使えば、もっと簡単に解けるよ」
そう言って、花咲さんは僕のノートの余白に、サラサラと数式を書き始めた。その説明は、僕がこれまで理解できなかった部分を、まるで魔法のように解き明かしていく。
「なるほど……!」
僕は、思わず声を上げた。花咲さんの説明は、教科書の解説よりもずっと分かりやすかった。
「ふふ、どう? 私のこと、もっと好きになった?」
花咲さんは、得意げに笑った。いつもの「好き」の言葉。だけど、今日のそれは、僕の心に、また別の感情を芽生えさせた。
「……助かったよ。ありがとう、花咲さん」
僕は、素直に感謝の気持ちを伝えた。花咲さんは、僕の言葉に満足そうに頷いた。
「どういたしまして。好きな人の役に立てて、嬉しいな」
その言葉は、まるで僕の心に、小さな波紋を広げるようだった。彼女の告白は、本当にからかいなのだろうか。こんなにも優しくて、僕のことを気遣ってくれる彼女が、ただ僕をからかっているだけだなんて、信じられなくなっていた。
花咲さんの「嘘みたいな告白」の裏に、もしかしたら、本当に彼女の気持ちが隠されているのかもしれない——。
そのときの僕は、まだ確信を持てずにいたけれど、僕の心は、確かに揺れ始めていた。