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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ぽとん

作者: 慈雨の羽

私が初めて天使を見たのは、小学四年生の冬でした。


当時、私はとても小さな雪玉を大切に抱えて、雪の斜面を走っていました。川は雪より冷たい飛沫をあげ、それに沿って下へ下へと降りていました。木々を避け、転けそうになりながらも荒い息を必死に隠そうとしておりました。

しかし当時の私はとても焦っていたため、足元をよく見ておりませんでした。斜面といっても緩やかではなかったので、駆けると言うより落ちる感じで下っており、拳くらいの石ころに足をつまづかせ、私の小さな体は宙へ投げ出されました。運悪く、たまたま崖の目前で転んだのです。


悲鳴をあげる間もございませんでした。気付けば私は雪の上にうつ伏せており、少し遠くに崩れかけの雪玉が落ちていました。雪玉の中から、銀色の鋼鉄が見えております。それを手に取ろうと腕を伸ばした瞬間。

視界の隅に白いローブの人影が現れました。私は今でも彼女の姿を覚えている。その扇状的な頬の輪郭、ノスタルジックな手と足の首。こんな雪国の中ではありえないほど彼女は薄着でした。

彼女はこちらに足を進めました。私は必死に声を絞りました。取らないで、と。雪玉の中の鋼鉄に触らないでと。しかし、雪は音を吸収する性質を持っており、そのせいか私の声は彼女に届きませんでした。いや、もしかしたら届いていたのかもしれない。でもとにかく、私の声など聞きもせず、彼女は雪玉の前に立ち止まりました。彼女がこちらに目を向ける。


「あなた、酷く血を流してるじゃない。怪我でもしているの?」


彼女は雪玉を跨いで私に近寄りました。どれだけ安堵したでしょう。彼女の小さな手が私の肩に触れ、無理矢理仰向けにさせられました。木の幹に背を擦り付けるようにして座らされ、痛む目元を触りながら目を開けました。

さっきまで私が寝ていた場所に、人型の窪みができている。その窪みには、血がジュグジュグと染みていました。まるで、それは昔母がかき氷にシロップをかけてくれた時のような……。


「なんだ、怪我していないじゃない。」


停止しかけていた私の思考にメスを入れるよう彼女は呟いた。私の服が肩まで捲られている。下を見てみましたが、確かに私は怪我をしていませんでした。奇妙なことに、肉体には傷どころか血すらついていない。


「ただの自演?」


違うと否定。すると彼女は笑みを浮かべました。ものすごく恐ろしく感じたのは本能的なものなのでしょう。話題を変えたくて私はその少女に質問を投げかけました。それに対する彼女の答えは少々歪んでおりました。


「私は天使。翼はないよ。パパが切っちゃったから。」


スローモーションに落ちる雪。目の前の人型の血痕を上書きしていく。

天使は立ち上がると、あの雪玉のところまで行って中の鋼鉄を手に取りました。あまりに急なことだったので対応できず、痛む腹を丸めて私は手を伸ばしました。手の中の鋼鉄……それは血で錆びた一本の刃。鎌の、刃の部分でした。


「死のうとしてたの?」


違う。私はそう叫びました。彼女は刃を地面に置いた。雪を蹴り、デリケートな鋼鉄を覆い隠す。

空から降る白色の野次馬達は、私たちの間にある数メートル限りの無限に無彩色を施した。何の擬音も存在しない。ただ子供の男女が見つめ合うだけでした。

今頃母は死んでいるでしょう。母を守りたくて鎌の刃を隠してきたのに、今考えれば全て無意味でした。愚かだ。あの弱い母が、父の墓穴を掘る時に見せた泣き顔は今でも鮮明に覚えています。父は暴力的でした。私も母も父を嫌っていたのに、どうして母は最後まで父のために涙を流していたのか。愛していたから? でも、それならなぜ母は父を鎌で殺した?

しかし今になったら分かるのです。人の心は複雑で、説明できない。しかし奇妙なことに、説明できないからこそ当時の母の涙に説明がつくのです。父なしでは生活ができない。毎朝山を降りて仕事に行っていた父が消息を絶ったため、そろそろ町の者が我が家に押しかける。何度も言うが、私がこの錆びた鎌の刃を雪の中に隠そうとしたのは、母を守りたい一心からだったのです。しかし心の弱い母が、私の消えた家で、大人が戸を叩く家で、今も生きているだろうか。

全てが、無駄だった。鎌も、血も、命も。


天使が一つ呟いた。ものすごく小さな声なのに、しっかりと私の耳を通る。


「んー、とにかく、来てよ。」


なぜ?


「だから、あなたは死んでるんだって。」


は?


そこでようやく、私は違和感に気づいた。


雪の上の血痕が、全く消えていない。むしろ、どんどん濃くなっている。


ぽとん。


白かった雪が、赤い水玉を含んで窪みに落ちる。


ぽとん。


ただただ赤い水玉が座標をずらして窪みに落ちる。


明確な擬音。静かな赤雪。


見上げてみると、そこには確かに「価値」の残骸があった。


細長い木の上で、枝を首に貫通させてぶら下がる私の残骸。

《解説》

•母は鎌で父を殺害→母を守りたい主人公は殺害証拠の鎌を持って下山していた

•主人公は転けた拍子に崖から体を投げ出され、高い木の枝が首に突き刺さり死んでいた

•天使の発言の頭文字をとっていくと「あなたはしんだ」となる

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