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まもりたいもの


 十三時五十分、駅前の噴水広場。

 ベンチに座って自分の靴を見つめていれば、影ができた。


 深く息を吐いて顔を上げると、懐かしい顔。

 髪は派手に染め上げられ、ピアスの数もあの頃より増えている。



 「……先輩」

 「変わらないね、紡」



 記憶にこびりついている顔があまりにも酷いものだったから、憑き物が落ちたかのような穏やかな表情にほんの少し呼吸がしやすくなった。


 だけど先輩の隣は定位置と呼べるぐらいだったのに、隣に腰掛けられると途端に体が強ばってしまう。



 「で、わざわざ昔話をするために呼んだわけじゃないだろ?」

 「はい……」

 「いいよ、どうせ俺もお前と同じだから」

 「…………」



 単刀直入に切り出される。

 長居するつもりはないらしい。

 

 でも、そっちの方が気が楽だ。

 僕も早くこの場を立ち去りたかった。


 アカウントさえ消してもらえればそれでいい。まだまだ考えの甘い僕は、すんなり帰られると思っていた。


 ふうと大きく息を吐き出して、意を決する。

 顔を見て話すことはできそうにないから、ぎゅっと握りしめた手を見つめながら口を開いた。



 「先輩が作ったアカウント、消してほしいです」

 「それだけ?」



 それだけって……?

 他に何かあっただろうか。

 

 予想もしていなかった返答に口を噤んでいると、先輩は楽しそうに話を続ける。



 「俺が他に何か用意しているとは思わなかった?」

 「…………」

 「図星か。相変わらず甘いね」



 そうだった。この人は狡猾で、負け戦はしない主義だ。胃の中に鉄の重りが次々に溜まっていく。



 「紡自身を追い詰めるより、もっといい方法があるってわかったんだ」

 「…………」

 「……東雲律」

 「ッ!」



 その名前を出された瞬間にびくりと体が反応して、バッと顔を上げた。

 

 ニヒルに笑う先輩と目が合う。

 怯えた顔をしている僕が映っているのが見えた。



 「ふふ、やっぱり。東雲律に傷をつけるのが一番お前が苦しむだろ」



 そう言って見せられたスマホの画面には、仲良く手を繋ぐ律と僕の姿が映っていた。


 恐らく僕のバイト先に律が突然やってきた日のものだ。


 誰も見ていないだろうと欲を出したのが間違いだった。安易に手なんて繋ぐべきじゃなかった。後悔が渦巻く。



 「……この写真を、どうするつもりですか」

 「うーん、どうしようね。週刊誌に売ってもいいし、『吉良紡』のアカウントで投稿してもいいし」

 「…………」

 「JTOの参加者・吉良紡は規定に反した動画で応募したにも関わらず、準優勝に輝いた。何故か、それは審査員の東雲律と親密な関係にあったから……。軽く記事にするならこんなもんかな」



 つらつらと述べる先輩はなんでもないように、まるで今日の晩ごはんの話でもしているかのような気軽さで話している。


 そんな彼がただただ不気味で、気持ちが追いつかない。



 「あれ、もしかして自分がルール違反したまま勝ち進んだって知らなかった?」

 「…………」

 「はぁ、才能があるから通過させたってこと? そういうところもムカつくな」



 図星をつかれて、何も言葉が出てこない。

 宇田が応募したから、僕はルールを確認していない。何も知らないまま参加したから、自分が規定に反していたことを今初めて知った。


 僕の反応で答えが分かったのだろう。

 大袈裟にため息をついた先輩は、試すような視線を僕に送る。



 「ああ、もっといいアイデアを思いついた。東雲律は男と付き合っているってスキャンダルの方が売れるかもね」

 「…………っ」

 「ほら、こんな東雲律、初めて見た」



 ズームされて表情がはっきりと分かるようになった律は、テレビでは見せたことのない笑顔でそこに写っている。


 こんな時じゃなければいい写真だと感激したのだろうけど、今はただ胸が苦しい。律の笑顔を見るのが、しんどい。



 「この歳になったら、たとえ友だちでも男同士で手なんか繋がない。これを見れば、誰だってお前らが深い仲だって思うだろうね」



 目の前に悪魔がいる。

 ただ僕を傷つけることだけに執着した悪魔が。

 

 全身から血の気が失せる。言い訳も何も浮かばなくて、喉がはくはくと動くのに言葉は出てこない。それをいいことに悪魔は言葉を続ける。



 「JTOの結果は出来レースだったんだって思うよ。叩かれるのは紡だけじゃない。スタッフさんたちも大変な目に遭うね」

 「…………」

 「俺はどっちでもいいけどどうする? せっかくだし両方記事にしてもらおっか」

 「…………」

 「ふふ、スーパーアイドル・東雲律の初めての炎上だ」



 東雲律といえば、清廉潔白なアイドル。

 今まで一度もスキャンダルを報道されたことがないし、それが律へのプロ意識の高さに対する信頼に繋がっている。


 週刊誌にスーパーで買い物する姿を撮られたぐらいで、あまりの隙のなさに業界でも一目置かれていると聞いたことがあるぐらいだ。


 そんな律の初めてのスキャンダルの原因が僕だなんて。そんなの、ファンである僕自身が一番許せるわけがない。



 「……どうしたら、いいですか」



 震える声が情けない。

 固く握った掌に爪が食い込んで痛むけれど、そんな些細なことは気にしていられなかった。



 「そうだなぁ……。うーん、どうしようね」



 顎に手を当てて考える先輩は、僕の表情をつぶさに観察して口角を上げる。



 「あ、そうだ」



 いいことを思いついた。

 ニヤリと歪んだ瞳がそう言っている。

 嫌な予感にバクバクと心臓が騒ぎ立てる。



 「東雲律と縁を切れ」



 それはまるで死刑宣告。

 グサッと心臓に刃を突き立てられたかのように息が止まる。


 何も言葉が出せず、荒い息を零すことしかできない僕を見て、悪魔は声を上げて笑う。



 「あはは、その顔が見たかったんだ」

 「っ、」

 「紡にはやっぱりそれが一番の罰になるんだね。どうする? お前が首を横に振るなら、俺は今ここで週刊誌にメールを送るよ」



 アイドルの律を壊したくない。

 優しく笑う彼を守りたい。

 僕にはもう、頷く以外の選択肢は残されていなかった。

 

 決断して下を向く僕に悪魔は囁いた。



 「動画の投稿はやめてやるよ。俺は優しいからね」

 「…………」

 「紡、約束を違えるなよ。東雲律が堕ちるところを見たいなら別だけど」



 ぴくりとも反応しなくなった僕に飽きたのか、はたまたこれ以上言わなくても理解したと分かったのか、先輩は立ち上がる。



 「またね、紡」



 そう言って去っていく気配を感じるけれど、その後ろ姿を確認することはしなかった。


 ぼたぼたと溢れる大粒の涙が止まらなくて、顔を上げることができなかったから。



 ◇◇


 あの後、どうやって家まで帰ってきたのか分からない。気がついたら玄関の前に立っていて、僕はふらふらとベッドに倒れ込んだ。


 ふと横を見れば、棚に並べられた律のCDやDVD、雑誌が目に入る。つい数時間前までは天国のような場所だったのに、今はこちらを無機質に見つめてくる律に無言で責められているみたいだ。


 目頭が熱くなって、じんわりと視界が滲む。ああ、律が綺麗に見えない。瞬きすれば音もなく涙はこぼれ落ちる。


 ――もう、律には会えない。

 アイドルとオタク、ただ昔の関係に戻るだけなのに涙が止まらない。


 知ってしまった温もりも、与えられた優しさも、全てが愛しくて。出会う前よりもずっと律のことが好きになっていたのだと今更自覚する。


 隣にいるのは不釣り合いだって理解してた。

 だけど、こんな形で終わりを迎えたくなかった。


 いろんな感情でぐちゃぐちゃになっていると、鞄に入れたままのスマホが連続して音を立てた。多分メッセージの通知だろう。しばらくそれを無視していると、今度は着信がかかってくる。


 今まさに泣いてます、そんな声で通話できるわけがなくて僕は鳴り止まないそれをぼーっと聞いていた。


 やっと着信が止まって、のそりと起き上がる。


 なんとなくそうかなと予感していたけれど、そうであってほしくないと願っていた。スマホの画面を付けて表示された名前とメッセージにぶわりと心が揺れた。



 『今何してる?』

 『紡と話したいんだけど平気?』

 『充電させて』



 律の声で再生される言の葉たち。穏やかに微笑む彼の笑顔が浮かんでくる。だけど、どうしたって、こみ上げてくるものは止めようがない。



 「……っ、ごめ、なさい」



 誰にも届かない謝罪が部屋に響く。


 ……ごめんなさい、律。

 メッセージを送ることも、声を聞くことも許されない。僕はもう貴方に会えないんだ。

 

 そして、さようなら。

 何も言わずに去る僕を許してください。

 

 出会ってから好きになるばかりの毎日だった。だけど、始まってすらいなかった律との関係もこれで終わり。


 嫌だ嫌だと心が叫ぶけれど、今ここで消さなければ未練しか残らない。震える指でブロックをしてから律の連絡先を削除すれば、僕らの繋がりは簡単に消えてしまった。


 僕の八年に及ぶ片思いは、そうして呆気なく終わりを迎えた。



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