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社畜と夢魔さん

作者: 若取キエフ


 とあるオフィスで一人、ディスプレイと向き合いタイプ音を掻き鳴らす。


 趣味でもなく名誉ある行為でもなく、ましてや後学に繋がるものでもない。

 ただの残業だ。

 タイムカードを切った後に行う無賃残業だ。


 加えて言えば、急遽言い渡された休日出勤。前もって予定を立てていた本日のスケジュールがすべて無に帰す悪しき風習である。


「よしよし、あと一時間ってとこか」


 法に則れば楽勝で違反しているブラック企業の鑑たる我が社だが、その環境に異を唱える者はいない。

 ただ不満を吐き捨てても改善されないからだ。


 それどころか、会社側にもみ消され、見せしめとしてさらに状況は悪くなるのだから。


『根性が足りない』『ただの甘え』『この程度で』


 不確定で曖昧な精神論を掲げられ、契約社員の悲痛な叫びは煙に巻かれて葬られる。

 パワハラセクハラ当たり前、モラハラマタハラ待ったなし。


 以前よりも状況は悪くなる事は目に見えている。

 結局は皆、不満はあれど上から指示されたならイエスと答えるしかないのだ。


「俺、この戦いが終わったらキンキンに冷えたビールを飲むんだ~っと」


 なら何の為に働く? 誰の為?

 自分の為、彼女の為、妻の為、子供の為、両親の為。


 皆それぞれ理由はあるだろう。

 皆それぞれ守るものがあるだろう。


「あとは明日のプレゼンをまとめて取引先が目を通す資料を……」


 秩序、契約、社会性。

 人は結果的に群れを成さなければ死んでしまう生き物であり、郷に入れば郷に従う理念の基に、自分を騙して生きるしかないのだ。


「………………」


 この気持ちはなんだ?


 不安、焦り、孤独、恐怖、怒り、恨み、悲しみ、劣等感。


「……どれも違うな」


 存在しうるのは、ただの虚無感。


 機械のように淡々と、黙々と、従順に働けばいずれその境地に至る、不名誉極まりない感情だ。

 だから、そんな自分が今思うことは一つ。


「……疲れた」


 人に、仕事に、人生に。

 心が擦り減り、憔悴した脳しょうから出てくる一絞りがその言葉だった。




「そんなお疲れのあなたに、素敵な夢をプレゼントしましょうか?」




 …………え?


 突然だった。

 疲労で目が逝ってしまったのか、全く気配に気づかなかった目の前の女性を認識するのに数秒の間が空く。


「……あの、誰ですか?」

夢魔むまです」


 ……余計理解に混迷を極めた。


 パンツスーツを着ているところを見るに、うちの社員……なのか?

 いや、しかしどの部署でも彼女を見たことはない。

 なら一体この人は誰なのだろう。


「あの、あなたも残業ですか?」


「いえ全く。そもそも私に時間の概念はありませんので」


 ニコニコと返答する、夢魔と名乗る女性。


「早速ですが社畜さん」


「その呼び名はやめてもらえませんか? 悲しくなるので」


「失礼、ではお兄さん、今の人生は楽しいですか?」


 直球ストレート真っ直ぐに的を射貫いてきたな……。


「冗談でも楽しいとは言い難いですね」


 精一杯の愛想笑いで受け答えをすると。

 ケラケラと笑いながら俺の境遇を語るのだ。


「ですよね~。夢も志もなく延々と指示されたタスクをこなし、片付いたと思ったら後出しジャンケンの如く、連絡されていない仕事を追加されるぬか喜びと肩透かしの毎日。あ~どうしてこうなったのだろう~、昔の明るい未来を想像していた自分はどこへ行ったのだろう~、みたいな?」


 割とその通りだけど、言葉にされると腹立つな……。


「ええ、ええ、分かりますとも。多忙な毎日にさぞお疲れでしょう。ええ、分かります」


 ……だがそれでも、俺の気持ちを察してくれるのは存外嬉しいものだな。


「まあ、私は経験したことないので共感は一切出来ませんが」


 やっぱダメだこいつ! ムカつくぞ!


「何なんですかあなたは。からかいに来ただけなら邪魔しないでもらえます? 終電には帰りたいので」


「まあまあ、そう仰らずに。ですから先程申し上げた通り、あなたに素敵な夢をプレゼントしようと思って参ったのです」


「だから……なんです? その夢って」


 不機嫌な表情を隠さず彼女に問うと。


「そうですね~、たとえばあなたが人生の選択肢で選ばなかったルート、その先を見せてあげるとかどうです?」


 と、オカルトな発言をする彼女に俺は首を傾げる。


「はあ? ……一応聞きますけど、どうやって?」


 溜息混じりに彼女の戯言を尋ねる。

 すると。


「こうやって」


 突然彼女は俺の顔を掴み、無理やり視線を合わせてきた。


 と同時に急激な睡魔に襲われ、俺はデスクの上に倒れてしまう。

 ぼやける思考の際で、彼女は俺の耳元で囁いた。


「それでは良い夢を……」


 その言葉を最後に、俺は意識を失った。















 俺は一部上場企業に勤めるサラリーマン。

 自分で言うのもなんだが、今までの人生であまり失敗という経験をしたことはない。


 人生の階段をトントン拍子の二段飛ばしで駆け上り、同期や先輩を残像が見える速度で追い越した俺は、いつの間にか部長となっていた。


 常に効率重視、巷のトレンドを把握し、一早く我が社の企画部へ反映させる手際の良さ。


 部下達への的確な指示、無駄のない仕事環境、ノー残業イズライフ。


 正直思い通りにならなかったことなどない。

 このまま出世街道まっしぐらなのだろうと、我ながらそう思った。











 仕事帰りに部下の女と軽く飲んだ後、俺は彼女を連れてホテルに来ていた。

 彼女はベッドの上でおねだりをするように俺に告げる。


「ねえ部長~、そろそろ奥さんと別れませんか?」


 なんとも打算的な誘惑じゃないか。

 俺は煙草の煙を吐きながら。


「それは世間的に悪印象だからね、お互いの立場を考えると得策じゃない。けど、俺は君を一番愛しているよ」


 彼女を立てつつやんわりと断った。

 俺が出世するにあたって、余計な不安要素は必要ないのだ。

 今のままで丁度いい。これ以上でもこれ以下でもない。

 愛人という絶妙な関係だからこそ、いらんストレスを感じない。


 俺は最善たる現状を壊さないように、適度に妻も彼女も可愛がってやることが女との上手い付き合い方なのだ。















 深夜を回った頃、俺はタクシーで我が家に帰宅すると。


「おかえりなさい……あなた」


 普段は寝ているはずの妻が、何故か今日は起きていた。

 しかもだ、どこか気が立っているようにも見える。


「お、おお、ただいま。起きてたんだな」


 若干警戒しながらも妻にそう返すと。


「ねえ、今日はどこに行ってたの?」


 いつもは聞いて来ない妻が、今日に限って妙な探りを入れてきた。


「ああ、部下と会社近くの飲み屋に行ってたんだよ。悪いな、つい遅くなってしまって」


「本当にそれだけ?」


 ゴクリと、俺は無意識に唾を飲み込んだ。


「……ああ、もちろん。どうしたんだ? 急に」


 すると、妻はスマホを取り出し、ある画像を俺に見せてきた。


「いっっっ?!」


 それは愛人と腕を組みながらホテルへ入る場面。

 加工でも何でもない、先程寄ったホテルに間違いなく、紛れもない証拠である。


「この人があなたの部下なの?」

「いや……これは……」

「うん、分かるよ。あなたモテるもんね」

「…………」


 妻の目に見えない威圧に、俺は言葉が出て来なかった。


「でもね、毎晩ご飯作りながらあなたの帰りを待ってる私に対して、ちょっと酷いと思わない?」


「それは……」


 目が正気じゃない。ヤンデレ風な危機感を覚える表情だ。


「いいの、男だもん。浮気の一つくらいしちゃうよね。あなたを満足させられなかった私も悪いと思う。そこまで怒ってないよ?」


 と言いつつ、妻は突然後ろのポケットから包丁を取り出し、切っ先を俺に突き付けるのだ。


「だからさ、いっそ二人で心中しちゃえば、私達はずっと一緒にいられるよね?」


「おい……ウソだろ? 冗談で言ってるんだよな?」


 突然の事態に体が動かなくなる俺に、ジリジリとにじり寄る妻。


「あなた……愛してるわ」


 そして、勢いのまま包丁は俺の腹部へ突き刺さり、激痛と共に意識が遠のいてゆく。


「すぐに私も行くからね? 少しだけ待っててね」


 どうしてこうなった?


 いや、今までが上手く行き過ぎていたのか……。

 人生などどうにでもなると、俺は甘く見ていた。舐めていた。


 どれだけ自分が優れていても、他人の心は読めないのだと……ここにきてようやく痛感した。













「はっっっ!」


 ビクリと体を仰け反らせながら、俺は目覚めた。


「……え、ここは?」


 見慣れたオフィス。誰もいない、夜のオフィスだ。

 先程の記憶を思い返し、しばし呆然と周囲を眺めていると。

 突然背後から声がした。


「いかがでしたお兄さん。良い夢は見れましたか?」


 振り返ると、そこには先程俺をからかってきた女性、夢魔さんが笑みを浮かべ立っていた。


「……夢?」


「はい。現実とはかけ離れたサクセスストーリーをご覧頂けたかと思いますが?」


 そうか……今までのは夢だった。全部……。


 俺は大きく溜息を吐き。


「どこがいい夢だよ! 最後バッドエンドじゃねえか!」


 安堵と共に彼女に怒鳴った。


「どうせなら最後まで成功者でいさせてくれよ! 一夫多妻のハーレム状態で毎日酒池肉林の宴に溺れる主人公でありたかったよ、いっそのこと!」


「うわ~ここぞとばかりに欲出してきましたね~」


 俺の切なる願望を、ケラケラと一蹴する夢魔さん。


「先程も言いましたけど、今見せた夢はあなたが人生の選択肢で選ばなかったルートです。元々存在しない道を作るのは……私の仕事ではないのであしからず」


「夢魔ってあれでしょ? サキュバスとかそういう、男の欲望を夢で叶えてくれる存在じゃないの?」


「あ~私そっちタイプじゃないので」


 と、ばっさり否定される。

 まあ、そもそもこうしてよく分からん力で俺に夢を見せた事自体、非現実的な現象である。


 そんな超常現象を司る、わりと人外な彼女に期待してしまったのはたしかだ。

 夢を操れると分かって少し欲が出てしまった。


 そんなことを思っていると。


「ですが、代わりに夢の内容を現実に反映させることは可能です」


「え……」


 なかなか夢のある事を言ってくれる。……夢だけに。


「出来るんですか? さっき見たようなエリートな自分になれたりするんですか?」


「ええ、そりゃあもう。むしろ私がエリートみたいな存在ですから」


 満面の笑みで告げる彼女に、俺は心の底からその方法を期待した。


「ど、どうすれば……」


 その続きを尋ねると。



「誰かの人生と取り換えてしまえばいいのです」



 囁くように、俺に告げた。


「今の底辺の人生を、社会的カースト上位の方に押し付けるだけで、あなたは何の苦労もなく豊かな生活が手に入りますよ」


 そんなことが、出来るのか?


「対価はあなたの寿命の半分。大体二十年くらいでしょうか? 今なら特別プライス、十五年にまけても構いませんよ」


 ニコニコと商談を進める夢魔さん。


「どうせ長く生きようとは思ってなかったでしょう? 先の見えないブラック企業で心を擦り減らしながら長生きするより、行く先が全て明るく照らされた成功者として、短い人生を歩むほうが有意義だと思いませんか?」


 甘い誘惑。まるで獲物を捉えた捕食者のような目をしている。

 しかし、悪い話ではない。


 自由なく苦しみながら一生を終えるより、自分の意のままに過ごす束の間の一生のほうが、たしかに有意義に思えてくるのだ。


 半分の寿命と、誰かの人生を換えるだけで……。


 …………。


 ……。


 それは俺の代わりに、誰かが犠牲になるってことか?


 俺の人生を無理やり背負わせて、自分はのうのうと楽して生きる。

 そういう選択か……。


「さあ、どうします? まあ、あまり悩むような事でもないですけど」


 まあ、そうだな。今まで良い思いして過ごしてきた相手なら、この後底辺を味わっても十分釣り合う人生だろう。


 俺も味わったんだからいいじゃないか。

 この辛さを誰かに押し付けたっていいじゃないか。


 そう思い、俺は決断した。


「俺は――」














 それからしばらく経った頃。

 俺は会社を辞めた。


 今は別の職場で新たなリスタートを切ったのだ。

 給料は前よりも少ないが、職場環境は圧倒的にホワイト。

 プライベートの時間も増え、割と不満はない。




 あの日出会った夢魔さんに、俺は言った。


『今のままでいい』と。


 たしかに魅力的な提案だったし、後悔していないと言えば嘘になるが。

 やはり、自分の人生を他人に押し付ける事に躊躇してしまった。


 元の環境に左右され、自身の持つスペックが平等じゃなかろうと。

 成功者は成功者なりに努力して成功者足り得るのだと、そう思ったから。


 今の現状を悲観的に捉え、二つ返事で贄にしてしまうのはただの逆恨みと変わらず、筋違いも甚だしい。


 それに、どんな環境でも気持ち一つで楽になったり辛くなったりするものだから。


 きっと夢で見たような未来はなくとも、今の現状は十分変えられると。

 夢魔さんと出会って再確認した。




 彼女は最後にこう言った。


『はあ~欲のない人ですね~。余裕のない人間はもっと卑しいものだと思っていたのですが』


 つまらなそうに吐き捨てながらも、少しだけ微笑を浮かべ。


『残念ですけど交渉決裂です。まあ、せいぜい体を壊さないよう、頑張って下さい』


 呆れたように、労いの言葉を贈った。


 そして栄養ドリンクをデスクに置いて、彼女は去っていったのだ。


 以来、夢魔さんを見ることはなかった。

 結局彼女は何者だったのか。

 疲弊した脳が見せた幻影なのか、はたまた本当に人外の類なのか……。


 いずれにせよ、ほんのひと時でも『素敵な夢』を見せてくれた彼女に。


 俺は心から感謝した。





ご覧頂き有難うございました。

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