旅立ち。
JR黒結晶駅。とある地方都市の終着駅として活用される、切符売り場と自販機、それにコインロッカーが設備の全てという堂々たる小駅である。
しかしながら、どんな小さな場所でも人の営みというものはさして変わりない。
桜庭 実は今、新たな旅立ちを前にしていた。長い受験生活の甲斐あり、志望大学にストレート合格。そして大学寮への転居も決まった。
「じゃあ行ってくる」
「体に気を付けて。辛くなったらいつでも帰って来るのよ」
「ああうん」
初めての一人暮らしに適度に興奮しながら、母親に適当な返しをしつつ、電車に乗った。ちょっと遠出をするのにも、学校の遠足に行くにも、いつもこの電車に乗っていた。慣れたものだった。
家族で一緒の昼食を食べ終えた午後1時半発の電車は、そうして出発した。
同日午後1時20分。
「もうすぐ出るから。電車じゃ話しにくいから、一旦切るよ?じゃ、現地で」
時折 葉一は彼女との電話を半ば強引に打ち切った。不自然に思われたかも知れない。
葉一は今日、彼女とのデートの帰りに、正式に結婚を申し込むつもりであった。そのために不自然にならないように振る舞っているつもりで、過去最高に「出来上がって」いた。
大丈夫。いつものように。普段どおりに。
・・・時間までは、本当に普通に楽しめば良いんだ。
少しだけ落ち着いた葉一は時間に余裕を持って、1時半の電車に乗り込んだ。
午後1時45分。
桜庭実はやけに人の多い電車内で、少しだけ身を縮めていた。ラグビー部で汗を流していた実の体格は、女性に換算して二人分。少々、肩身が狭い。
まあ、贅沢な悩みだ。引っ越しの荷物はすでに業者によって送られている。自分は身一つ。
それに通勤電車に揺られている父は毎日こんな感じなのだろう。
ちょっぴり実は、大人の気持ちが分かったような気がした。
午後2時15分。
黒結晶駅発電車は間もなく大学前駅に到着する。春休みシーズンであっても、この駅前町自体がちょっとした観光地なので、乗り降りする客は少なくない。
葉一はやたらデカい若いのの隣で立っていた。というか乗客がどんどこ乗り込んでくるので、こうして立っていた。彼女と一緒にいる時も、こうして二人で立っている。
駅前の小さなカフェで待ち合わせ。学生時代からずっと。
でもこれからは違う。結婚したら待ち合わせるより早くに出会える。
この街から離れて、二人で。
午後2時20分。
「速報です。JR黒結晶駅を午後1時半発の電車が、大学駅前にてスリップし、乗客の生存は絶望的とのことです。駅前のカフェに突っ込んだ車体は原型を留めず、当時カフェ店内に居た店員や客の安否も不明です。遠出には危険が伴うものですね?」