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青雲6巻 おまけ

 ドーラという薬師がシエナ村に生まれ育ち、もはや五〇年が経った。

 シエナ村、というよりは、この島の人々の寿命は長くはない。

 生活は過酷で、食べるものは少なかったからだ。

 多くの者が、ドーラの年を迎えずにあの世へと旅立ってしまう。

 ドーラよりも年上といえば、シエナ村では村長のボーナぐらいなものだった。

 自分も老いたものだ、とドーラは思う。

 村で誰よりも死者を看取ってきたのが、薬師であるドーラだった。

 ドーラは薬師としての生き様に誇りを持っている。

「十の頃から始めたこの仕事、ぽっと出の若者に指図されるいわれはないわい……」

 ぽつり、とドーラが呟いた。

 声はひっそりと家の中に響き、かき消えていく。

 薬の匂いの充満する家だった。山中を駆けずり回って手に入れた種々の薬効のある物品が揃っている。ドーラの宝だ。

 ドーラの師は素晴らしい人だった。彼はこの島に生えるすべての植物を知っていた。他ならぬ自らの体で、その薬効を試したのだ。

 一つの植物でも、葉と茎、根、種、花など場所によって薬効が異なる。

 そのうえ人の体にとって良いものばかりとは限らない。

 手足にしびれをきたすものもあれば、下手をすれば失明するようなものもある。

 ひどく腹を下す物もある。

 ドーラの師は、ときに重体となりながらも、人を救う薬を求めて、師は自分の体を代償に試し続けた。

 その貴重な知識の結晶を、一つ一つドーラに教えてくれた。

 それでも救えない命はいくつもあった。

 急な流行病で、あるいは獣に襲われ、戦で傷つき。

 一体何度、自分の力の不甲斐なさを恨んだだろうか。

「だが、あの男、妙に確信を持っておったな……。なにやら知識があるのか……」

 どこから来たかよく分からない、怪しい男。

 だが、村にいくつもの改革を行っている手腕は見事だ。村長のボーナも深く信頼を寄せている。

 只者ではないのは確かだった。

 そんな男が、自分の妻の出産のために提案してくることだ。

 自分の妻を愛するが故に、下手な手を打とうとはしないだろう。

「信じてよいのかの……」

 ドーラにはまだ判断がつかなかった。


「それでお前さんはどうしたいんだい」

「まだ決まっておらん」

「ふふん、お前さんにしては珍しいじゃないかぇ」

 ドーラに対してこんな生意気な態度を取れるのは、もはやシエナ村でもボーナ一人になってしまった。

 だからこそ、ドーラは相談に乗ってもらうことができる。

 他の者ではこうもいかない。自分たちの命が握られたも同然なのだから。

 村での立場としても、偉そうなことは誰も言えない。

 普段はそれで構わないと思っていた。今更悩むこともないと感じていた。

 だが、実際にどうしようかと判断に悩んだ時、話をできる相手が極端に少ないことに気づいた。

「ボーナ、アンタはエイジとかいう男を信じられるのかい?」

「ああ。ワシは信じるよ。あの男は本物だよ」

「くく、まさかそんな男が現れるとはな。アンタは筋金入りの頑固者だと思ってたが」

「ワシが悪いんじゃない。満足行く男が現れなかったのが悪いのさ」

「よく言うよ。ああ恐ろしい」

 軽口を叩きながら、ドーラはボーナの反応をそっと伺った。

 エイジという男の評価を告げた時、ボーナにはなんの気負いもなかった。

 ドーラを乗せるために言ったというわけでもなさそうだ。

「ワシに聞く前に、お前さんはどう思ってるんだい」

「素人が半端な口をきくな、という気持ちと、こいつならもしかして、本当に知っているんじゃないか、という気持ちがせめぎ合っている」

「気持ちではなく理性はどうなんじゃ?」

「理にかなっておるように思う。これまでの経験をさらに昇華させれば、あのエイジという男の言うとおりになりそうな気はする」

「なんだ。答えはもう出てるんじゃないか」

「そうだろうか。まだ間違っている可能性もあるんだよ?」

「ふん。それこそ試すしかないじゃないか」

 どれだけ考えても、実際にやってみない限り答えは出ない。

 ボーナにそう言われて、ドーラは頭を殴られるような衝撃を受けた。そうだ、たしかにやってみない限り、結果は分からない。

 他でもない、やってみて試してみる。

 それは自分の師が教えたことではなかったか。

「どうやら気持ちは固まったようだの」

「ふん、お前さんの思惑通りという感じがするが、仕方がない」

「おお、か弱い年寄りを前に何という言い草じゃ」

「ふん。笑わせないでおくれよ」

 ヒッヒッヒッ、と合わせたように笑い合う。

 年を取ると素直になるのが難しくなる。

 だが、だからこそのやり取りの楽しさがあった。

 ドーラはボーナに少しだけ頭を下げた。

 ついでに頼まれていた薬湯を渡す。

「少し薬の減るのが早くなってきたんじゃないかい」

「最近は体がなかなか動かなくなってきたわぇ。やはり年には勝てんな」

「お前さんは殺しても死にはしないよ。だから長生きしな」

「もちろん。ひ孫が子どもを生むまで死ねんな」

「はは。お前さんならそれも本当になりそうだ」

 まだ生まれてもいないひ孫の出産に立ち会うか。

 夢物語のようだが、はたしてできるのだろうか。

 シワシワになった己と、ボーナの手を見ながら、ドーラは押し寄せてくる若者たちの時代の勢いを感じていた。


 新たに建設されたという産院に着いて、ドーラはひどく驚いた。

 明るさに優れ、換気がしやすく、かといって保温性にも優れる。

 多量の水が楽に汲め、水はけが良い。

 ドーラの知らない建物がそこにはあった。

「こいつぁ驚いた。あの男、本物か」

「おう、エイジかい。あの男はよくやってるよ」

「フェルナンド……。お前さんも認めてるようだね」

「まあ、僕は大工でいつも道具で世話になってるからね」

「これを建てたのもお前さんだしなあ。腕を見るにはちょうど良い関係か」

「まあ、仕事をバンバン振ってくるのだけは、勘弁してほしいんだけど」

 やれやれ、と頭をガシガシ掻きむしるフェルナンドは、本当に疲れた顔をしている。

 この産院が計画されて数カ月。突貫工事だったようだし、大変だったのだろう。

 随所に凝らされた工夫の数々が、フェルナンドの苦心を表している。

 だが、疲れているだけではなく、新たな技術を貪欲に吸収し、一回り成長した実感からか、その顔は晴れやかでもあった。

「お前さんから見て、この産院はどうだい?」

「僕の最高傑作だよ。間違いなくね」

「それほどか」

「同じ技術を転用したら、暑さ寒さに強い家がたくさん建てれる。薪の消費も少なくなるし、灰や煤に悩むことも減るだろうしで、良いこと尽くしさ」

「そうかい」

 フェルナンドが自分の建てたものに対して、深い信頼を寄せているのは間違いないことだろう。

 実際に軽く使っただけでも、その凄みはドーラにも理解できた。

 ちょっとした工夫の積み重ね、たとえばドアを開けるのに足でも開けられるようにして、手を触れなくて良いようにするなどと、徹底して考えられているのだ。

「お前さんにとって、エイジという男は信頼に足るわけだな」

「ああ。僕は信じてるよ。いつも突拍子もない提案ばかりしてくるけど、その知識は本物さ。いや、使いどころを考えられるんだから、知識だけじゃなくて頭も切れるんだろうけど」

「薬師としての知識もあると思うか」

「さ、それはどうだろうね」

「なんじゃそれは」

「何でも知ってるわけじゃないだろうし。知ってることは多いだろうけど、それでも全知全能じゃない。ただ……」

「ただ、なんだ」

 思わせぶりにフェルナンドが言葉を切ったせいで、つい気になって先を促してしまった。

 にんまりと笑うフェルナンドの笑顔が腹立たしい。

 こちらが深く興味を持っていることを見破られているわ。

「ただの思いつきだけで提案するような男じゃないのは確かだよ。何か言われたなら、信じてみてもいい。この村は、その積み重ねでどんどん変わってる」

「そうかい。まあ楽しみにしているよ」

「そうすると良いよ」

 気軽に言ってくれるものだ。

 薬師としての仕事は、ミスがあれば患者が死ぬかもしれない。

 余計な手間をかける暇など、一体どこにあるのか。

 だが、その一手間が病状の回復につながる気もする。

 まったく悩ましい。患者を実験台にするなど、普段なら一蹴しているところだが。

「ああ、それと」

「はい?」

「良いものを建ててくれて、ありがとうよ」

「ひょっ」

フェルナンドがまるで鳩が豆鉄砲を食らったような表情で驚いている。

 普段はキリリとした男前が台無しで、少しばかり溜飲が降りた。


 ドーラは結局、エイジの提案をすべて呑んだ。

 それどころか知っている内容をすべて吐き出させもした。

 十分に理解できたとは言えないが、聞けば聞くほど、深い知識の結晶に触れている気がする。

 まるで数十年、数百年を積み重ねて蓄えた人類の叡智に触れているような、恐ろしさ。

 興奮とともに畏れの感情が起こってくる。

 だが、何よりもドーラを驚かせたのは、エイジの行動だった。

 子どもが無事に生まれた。

 だというのに、母親であるタニアが倒れたのだ。

 意識もなく、脈もない。もはや死は免れないように思えた。

 なんだ、あれほど言っていたが、結局助けられないのではないか。

 死は神様によって定められた絶対的なものである。

 諦められないエイジの気持ちは分かる。

 助けられないのは苦しく、ツラい。

 だが、それでも認めて生きていかなければならないのだ。

「命は神が定めたものだよ。リベルトが生まれ、タニアが死んだ。それは神様がそう定めたんだ。いくら旦那でも、これ以上は死者の冒涜だよ」

 ドーラはもはや、タニアの救済を諦めてしまった。

 その瞬間。

「――リベルトに会いたくないんですか!」

 エイジの叫びとともに、タニアが呼吸を取り戻した。

 それは常識を覆す現象だった。

 死者を蘇生させるなど、神の御業としか思えない。

 「奇跡だ……」

 思わず口から声が漏れた。

 この男はなんと素晴らしい、いや、凄まじいのか。

 どうしてこれほどの男の言葉に、あれほど反発を覚えたのか。

 ドーラは己の行いを深く恥じた。

 なによりも、自分は諦めた。

 エイジは諦めなかった。

 これまでに死んでいったものでも、もしかしたら助かる術はあったのかもしれない。

 今からでもやり直せる。

 過去に救えなかった人を救えるわけではない。

 だが、これからの病人や怪我人を救うことはできるはずだ。

 ドーラはもう一度、学び直そうと思った。


 それから、しばらく不思議な光景が見られるようになった。

 村でも重鎮として知られ、尊敬と畏怖を集めるドーラが、足繁くエイジのもとへと足を運んでいるのだ。

 そうしてエイジに対して必死に知識を得ようと頼み込む。

「良いじゃないか。もう少しだけ教えておくれよ。なっ、ちょっとだけじゃから」

「もう勘弁してくださいよ。私にだって仕事があるんですから」

「そう言わずに。村のものが怪我をしたときに助けるためなんじゃ。なっ。なっ?」

 嫌そうに断るエイジと、死んでも退かぬとばかりの態度を示すドーラ。

 そのやり取りを見慣れてきたのか、弟子たちは呆れた表情で見守るばかり。

「ちょっとだけ。さきっちょだけで良いんだ。ほれほれ、リベルトの世話の仕方を教えてやるから。な? ななっ?」

「本当に、かんべんしてくださいよー!」

 エイジの悲痛な叫びが鍛冶場に響き渡った。

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