2:いじめっ子の魂 -有栖川 奏恵-
「トート、何を見ていらっしゃるのです?」
「ふむ、ターゲットのこれまでを見ていた」
「何かお分かりになりましたか?」
「うむ、次の仕事はこの女だ。有栖川奏恵……近くの白華学園の高等部に通う二年生。これまでにもいじめという愚行で一人を自殺に追いやっている他、登校拒否にさせたこともあるらしい。現在もいじめを繰り返しているようだな」
閻魔大王の依頼を正式に引き受けてから既に三日。今日も今日とて散らかり放題の書斎で作業をする主人の元に、黒猫――トイフェルが顔を出した。
近くまで駆け寄り、彼の肩に飛び乗るとモニターに映し出されるターゲットの情報に目を通す。流石に名前だけでは、と思ったのか他の情報が送られてきたのが昨日。それからと言うもの、トートはずっと書斎に閉じこもり次のターゲットの情報を整理していたのだ。
「ははぁ……文字通りのクズってわけですね。もっとも、今回閻魔大王がリストに挙げた者たちは今後も人命を脅かす可能性が非常に高い者だけですけど……」
「お前はまずその口の悪さをどうにかしろ」
「そんなわたくしも可愛いとお思いのくせに」
「……」
トートから、それ以上の言葉は何も返らない。無言は恐らく肯定なのだろう。
それを知っているからか、今日もトイフェルは主人を言い負かしたことに「ふふん」と勝ち誇ったように胸を張ってみせる。
そんな相棒猫を横目に見遣り、トートは静かに椅子から立ち上がった。
「どちらへ?」
「うむ、俺はいじめと言うものの詳細をよく知らん。具体的にどういった行いをしているのかをこの目で確かめに行く」
「そうですね、いじめと一口に言いましても色々とあるようですし……お供致します」
トートは優秀な死神だ、彼が手を下せば生き物の魂は強制的に身体から引きずり出され、文字通り肉体的な意味で死を迎えることになる。
それゆえに、本当にターゲットがそうまでしなければならないほどの存在であるのかを、彼自身が実際に自分の目で見て判断しなければならないのだ。言われるまま魂を回収するのでは、いつか間違いが生まれる。
本来は未だ生きていられるはずの者を殺してしまう、という間違いが。
* * *
「トート、胸が痛みますか?」
マンションを後にしたトートはトイフェルを肩に乗せたまま、目的とした白華学園への道をのんびりと歩いていた。行き交う人々は、真昼間だと言うのに黒衣を纏うトートに見向きもしない。冥界案内人――つまり死神の彼を肉眼で捉えられる人間など、そうそういないのだ。
とは言え、犬や猫、カラスなどの動物は別だ。動物たちはトートを見るなり、牙をむき出しに唸ったり「あっちへ行け」とばかりに吠え立ててくる。
そんな中、肩に乗るトイフェルから掛かった問いかけにトートは視線のみを横流しに相棒猫を見遣った。
しかし、ここでも返答が返らないところを見れば――やはり、肯定なのだろう。
「……無理もありません。生きている者を殺して強制的に魂を引きずり出すなど、デァ・トートは滅多になさいませんでしたから」
「閻魔の言うことは分かるし、現世に誕生した命を予期せぬ死から守るのは俺の仕事だ」
「ですが、おつらいでしょう。もうずっと、このような仕事はしておりませんでしたし」
「……予定外の命が失われるのは避けねばならない、やむを得ないこともある」
本来、生き物は「自分がいつ死ぬのか」を定めて現世に誕生してくる。
冥界案内人とは個人個人が定めた死の瞬間に立ち会い、肉体を離れた魂が迷子になってしまわないようにあの世に送り届けるのが仕事だ。今回のように強制的に生き物を殺して魂を引きずり出すなど、滅多に行われない行為なのである。
それゆえに、トイフェルは主人のことが心配になった。
「……おつらかったら、特別にわたくしをもふもふしてもよろしいですよ」
「断る」
「トートのツンデレなところ、嫌いではありません」
「許可など取らん。触りたければいつでも好きに触る」
「……それを人間はセクハラと言うのです」
そんなやり取りをしている間に、目的とした学園が見えてきた。
この白華学園は中等部と高等部、大学部に分かれているらしく、生徒の数が非常に多い。そんな学園で一体何が行われていると言うのか。
侵入を阻むかのように閉ざされた門を見上げると、トートは静かに目を伏せる。その刹那、ザァ――と一陣の風が吹き、辺りの木々を揺らした。
「……トイフェル」
「どうなさいました?」
「今日は何曜日だ?」
「ええと、土曜日でございま……あっ……」
学園内の人間の気配を探ったが、あまりにも数が少なかったのだ。
そこで相棒猫に問いかけたものの、トイフェルも曜日のことは今ようやく気付いたのだろう。
土曜日――学校は休みだ。
出だしからのつまずきに、トイフェルは別の意味で主人が心配になった。